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僕の転生じゃ、ない  作者: のっぴきララバイ
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第九十四話 アランの分岐点

沈んでいく。抱き合ったまま、真っ逆さまに。

激しい潮流に乗って、シゼルの胎を突き抜け、深い深い、本物の海へ。


「リリヤン=トルド!?」


目を開ければ、僕を胸に抱くリリヤンの姿があった。

けれど彼の意識体は引っかかったセーターのように端からほつれ、すでに爪先から形を失いつつある。

このままのスピードで落ちていけば、やがてリリヤンの外装は一本の糸にまでほどけてしまうだろうと思われた。


「た、たすけて!コロモさん!リリヤンがほどけちゃう!!」

「ンン~……自己が解けるというのはなかなか興味深い体験だよね」

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょう!?コロモさん!コロモさんてば!

僕の命綱なんでしょう!?早く来て!!」


叫ぶと、激しい水流が起こった。

僕らが落ちてきた方向から、あの巨大な白蛇が踊り出してくる。

白蛇はその勢いのまま、解けかかっていたリリヤンの意識体を僕の目の前でばくりと飲み込んでしまった。


「うわあ!?リリヤン!?」

『衣でくるんだんだよ。この外装はオリジナルのリリヤンと相性が良い。

多少同化してしまうだろうけれど、このまま糸を綱にしてしまおうね。やはり、糸では“命綱”として頼りない』

「なに言ってるか分かんない!はやく止まって!上昇してくださいよ!」

『無理だよ。繋げるために潜ったんだろう?この潮流は直行便さ』

「そんなあ!?」


白蛇の言う通り、強い重力に引き寄せられるように落下は続いていた。

僕はせめて離れないように白蛇に摑まるのがやっとだった。

光の届かぬ闇に吸い寄せられ、包まれたと思った瞬間、今度は圧倒的な光に目を焼かれる。

最小に分化し、同時に見分けがつかないほど同化した生命の塊が押し寄せてきた。

顕微鏡を覗いたようなその視界はやがて宇宙となり、銀河となり、太陽系から地球を見つけ出す。

白蛇にしがみついたまま、僕はまるで隕石みたいに日本に……空藍が母とその恋人と三人で暮らしていたあのマンションに落下した。

ぶつかる、と目を閉じた分厚い天井はすり抜けて、あれだけ加速していたのが嘘のように、僕らはその部屋でふわりと停止した。


懐かしい、空藍の部屋だ。


最低限の家具に、着替えと、いくつかのデバイス。それ以外は何もないつまらない部屋。

そこには、十歳の相田空藍がいた。

壁にもたれかかってベッドに腰を下ろし、グラス型デバイスでビジョンを見ている。あの頃のいつもの光景だ。

けれどその姿は今、景色の一部として目の前にある。


僕は呆然として、そこに降り立った。しがみついたままの白蛇は、長い尾の先が天井を突き抜けて天へと続いている。命綱を手放さないよう、僕は蛇の頭に体をすり寄せた。


『ンン~ッ!面白い!ここがシゼルの記憶の世界なんだね!』

『……リリヤン=トルド、なんですか?それとも、コロモさん……?』

『さあ、どちらだろう?』


軽妙で好奇心に溢れた白蛇の声はいかにもリリヤン=トルドらしかった。だからこそ、見分けがつかない。

繋ぐ時点があそこでなければいけないとしても、リリヤンに見られたくなかった。

僕の気も知らず、白蛇はわくわくを抑えられないという雰囲気だ。


突然、コンコンとノックが聞こえた。

僕はびくりと身を震わせる。あれが始まるのだ。

空藍は反応しない。少しの間を置いて、もう一度ノックが響く。


「……ア、アランくん。は、入るよ?」


ドアの向こうから独特のどもった言い方で、男の声が掛かる。

空藍はそれにも反応しない。

じきに、ためらいつつもノブが回され、部屋に男が入ってきた。

年の頃は三十後半。移民らしい彫りの深い顔立ちで、がっしりと逞しい体躯がどことなくマクスを彷彿とさせる大男だ。


「アランくん……ち、ちょっといま、話いいかな?」

「…………」

「……ア、アランくん……き、聞こえてるかな?グラスおいて、ど、ビジョン止めてく、くれないかな……?」


依然無視を決め込む空藍に、男は困り、焦り、苛立つように、みるみる表情を変えた。

瞬間的に苛立ちが勝ったのか、カッと顔を赤くして、空藍からグラスデバイスを無理やり剥ぎ取る。


「は、はなし、聞くとき!顔見る!!」

「………」


怒鳴る男を冷ややかに見返す空藍の顔を、僕はまじまじと見つめた。

こんな顔だったろうか。記憶と矛盾はないのに、客観的に見る自分の顔には、鏡を見るのとは違う不気味さがあった。

ハーフらしい、日本人にしては目鼻立ちのくっきりとした顔だ。髪が短いせいか、混血なせいか、はたまた少年期特有のものか。我ながら、一目では性別が分かりにくい容姿をしている。


「……怒鳴った」

「!ご、ごめんなさい……怒鳴ったは謝ります……」


冷たく突き放した言葉でこの家の“取り決め”を破ったことを糾弾すると、男は顔を青くして謝った。


「なんですか?」

「お、お話、しよう」


卑屈な笑みを張りつかせて、男がベッドに乗り入れる。

空藍は嫌悪を隠しもせず、伸ばしていた脚を折りたたんで距離を取った。

けれど男はその距離を詰めていく。


「ミ、ミサラさんは手術しろ言ったけど、ワタシはアランくん、い、今のままで良いと思ってるよ」

「…………」

「ワ、ワタシはアランくん、救世主と信じてるけど、カラダの性別関係ないと思う。だから、い、今のままでも覚醒おとずれる」

「……救世主じゃないし、スターシードでもないし、アセントもしない。僕はただ前世の記憶があるだけです」

「わかってる!わかってる!アランくんが嫌がることしない!」


瞳に狂信的な光を宿しながら、男は空藍の足元にひれ伏した。


「ア、アランくんが、配信もやめたがってること知ってる。

し、知らしめるしなくてももう良い。アランくんが、つ、遣わされたこと、大事だから。広めるは弟子の仕事」

「……ビジョンを出力しなくてもいいってことですか?握手会にも、講演会にも?それでどうやって収益保つんですか?」

「ワタシ、は、はたらく。この家、家族支えるから、だから、許されたい!」


男が空藍の足首に縋りついて、爪先に口付けようとした。

耐えきれず、僕は目を伏せた。


『いやだ……見たくない……!リリヤンにも見られたくない!』

『でも、ここは大事な分岐点なんだろう?』

『………ッ』


苦々しい気持ちで覗き見れば、空藍は男の手を蹴り払っていた。


「なにを……何を許せって?」

「ワ、ワタシとミサラさんの結婚、許されたい!国籍持ったらワタシ働く!二人のためたくさん働くよ!」

「ハ……堂々と国籍目当て発言ですか?」

「こ、国籍目当て違うよ!ワタシ、ミサラさん愛してる!アランくん愛してる!二人に救われたから、二人支えたいよ!」

「……母さんも僕もただの病人ですよ。誰も救ったりしてません。同じように心が病気な人たちを騙してお金を稼いでるだけです」

「ア、アランくんの前世の記憶、本物です!アランくんのビジョン見た時一目でわかったよ!そ、それにアランくんに触って、ワタシ病気なおったよ!奇跡に救われた!」


身振り手振りで感謝を示す男から、空藍はうんざりと視線を外した。


「……“前世の記憶を持つ少年の弟子”から、今度は“奇跡を起こす少年の父”になりたいんですか?救世主の父ならあんたは神ですか?」

「ち、ちがう!ワタシ、自分が代わりなの知ってる……!ミサラさん、今もアランくんのお父さん想ってる……

ワタシといてくれるの、ワタシがお父さんと同じ国から来たからだけ。それでいい。ワタシ、お父さんの代わりを頑張りたいよ!」

「……………」


必死に言いつのる男を空藍が睨む。

苛立っている理由は知っている。空藍自身が、“母さん”にとって死んだ父の代わりだったからだ。

けれどその体は女のもので、父の代わりとして“母さん”を抱くことも出来ない。

家族に入り込み、父の代わりの地位まで奪っていこうとするこの男が腹立たしくて、許せなかったのだ。


それは紛れもなく嫉妬だった。


「き、奇跡に救われたけど、アランくん嫌なら、救世主言わない、思わない!

アランくんがふつうの子供できるよう、ワタシが働きます!がんばってお金困らせないし、代わりでも良い“父さん”なります!」

「…………………」

「アランくん大事、ミサラさん大事……!あ、愛しています!」


男は涙ぐんでいた。拙い発音で必死に、真摯に訴えていた。


『彼、良い人だね』

『……そう見えるんですか?』

『そう感じる。とても弱いけど、だからこそ善良に思えるね』

『弱かったら、善良でも悪ですよ……』

『ふぅん?興味深い』


何が起こるのかと見守る白蛇の……リリヤンの視線が苦い。

僕はこの後、空藍が何をするのか知っている。

目を瞑って、耳を塞ぎたかった。

でも、ギイェンは僕がここを分岐点に設定していると言っていた。

ひょっとして、今から見る光景は僕の記憶と違うものにならないだろうか。

そんな淡い期待で、目が逸らせない。


「ア、アランくん……?」


当惑したような男の声。

その視線の先では、空藍がズボンを降ろしているところだった。


「な、なに?何してる?」


成長期特有の細く伸びた脚を、子供用のブリーフが滑り下りていく。

まだ毛も生えていない空藍の恥部が空気に晒されていた。

そして………


「うわああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」


家中に響く叫び声が、空気を切り裂いた。

意識体にはないはずの鼓膜がわんわんと鳴る錯覚を覚える。

薬で寝ているはずの“母さん”でも起こせるくらいの大音量だ。

突然目の前で上がった悲鳴に、男はパニック状態に陥っていた。

履かせようとしたのか、慌ててズボンとブリーフを握りしめる。

ドタバタと、廊下を駆けて来る音がした。

バンとドアが開け放たれる。そこには下着姿で髪を振り乱した“母さん”が立っていた。

すべてが僕の記憶通りだ。


「母さん!!母さん助けて!!こいつに触られたんだ!!!」


下半身を露出したまま、空藍は“母さん”に駆け寄った。

抱きついて、震えて、涙まで滲ませて。笑ってしまうくらいの名演技だ。

“少女”の脱ぎたての下着を握りしめたまま、男が愕然とそれを見ている。

“母さん”が、薬で朦朧とした頭を振ると、目を見開いて男を見つめた。


「ち、ちが、ちがう……ちがうちがう!ア、ア、アランくんがぬいだ!勝手にぬいだ!」

「触られたんだよ!足を舐められて、ま、股の、おしっこが出るところを……」

「う、うそ!!うそ!!アランくんの、ぜんぶうそ!!!ワタシ、愛してる言うただけ!!」

「そうだよ……愛してるって言いながら……近付いて来て、僕……ッ」

「うそうそうそ!!なぜ!?なぜ、なぜ!?」


互いの言葉に被せるように言いつのる二人を前に、“母さん”は膝からくずおれた。

下瞼がぴくぴくと痙攣し、震える手が髪を掻きむしる。

わななく唇が、小さく、小さく呟いた。


「…………また、また選ばせるの……?」


“母さん”の声は、すぐに空藍と男の怒声にかき消される。


「ミサラさん!!し、信じるください!!アランくんおかしい!!神の試練!信じるください!!」

「母さん……僕、僕を見捨てないよね……?ねえ?」

「……うるさい」

「ミ、ミサラさん!」

「母さん?ねえ?母さん!」

「うるさい!!!」


ああ、懐かしい。

ヒステリーを起こした時の、母さんの裏返った金切り声。

懐かしくて、気持ち悪くて、胸が八つ裂きになりそうだった。

母さんは泣いていた。気付けば、意識体であるはずの僕の目からも、涙が溢れていた。


『ご、ごめんなさい……ごめんなさい……』


嗚咽と共に、謝罪がこぼれた。

汚くてごめんなさい。卑怯でごめんなさい。少年を演じながら、同時に“女”を利用して、“母さん”を救えたかも知れない人を貶めて、ごめんなさい。


「出てって………」

「ミサラさん……ッ、ワタシ」

「出てって!!この家から出てって!!あんたなんか×××さんじゃない!!」

「ワ、ワタシそれでも――」

「出て行け!!!偽物!!!出て行け―――!!!」


“母さん”の叫びが、僕の胎を抉る。

僕への言葉だ。これは、“僕”への言葉だ。

胎の奥がボコリと膨れ上がった。

腹がうごめき、逃げ場を失ったそれが口から股からあふれ出た。


『お゛げぇ……ッ!げぼッ……ぐ、がぁ……ハッ』

『シゼル……!?しっかり!』


白蛇が……いや、リリヤンが支えようと頭を擦り付けて来るが、放流は止まらなかった。

真っ黒な糸が穴という穴から流れ出し、世界を埋める。

霞む視界を凝らせば、驚愕する空藍と目があった。

空藍が僕を認識していた。

その途端、バンジージャンプみたいに、僕の意識体が天に向かって引っ張られた。

白蛇は文字通り命綱となり、僕の体に巻き付いてみるみるうちに意識を引き上げていく。

その間にも、僕は黒い汚泥のような糸をビシャビシャとまき散らし続けていた。


客観的に観察する余裕があれば、汚い光景だと眉をひそめただろう。

僕から相田空藍への嫌悪を具現化したみたいに、黒い糸が滴り後を付いてくる。

逆再生のように猛烈な速さで来た道を戻って行くが、もはや景色に感嘆する心は残っていない。


僕の意識は、逃げるようにシゼルの胎へと還っていった。

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