第八十五話 糸と輪
「えっと……ルゥルの揺り籠はこのまま朽ちるだけなんですか?」
指さした先には、巨大な揺り籠の幹がある。
単純に木材としてもかなりの量が取れそうではあるが、エゥポルの糸の性質を鑑みるに、人が生活の中で利用するには色々と問題があるのかもしれない。
けれど丁寧に介助してミルガを食べさせる手間をかけて白を成長させるくらいだから、物理的な大きさは大事なのだろう。
「どういう意味ですか?」
「いえ、なにか、再利用などは出来ないのかなと思って。白の代わりに素材に使うとか……」
「研究用にいくらかは持ち帰る予定ですが、揺り籠は白棺とは違ってエゥポレッタ様の転生の糸紡ぎには使用出来ませんよ。
というか、埋葬の知識を得た際にそのあたりの“理解”も伝わっていませんか?」
「ええと……糸を取り入れた時に強く意識した部分は自分の“理解”として取り出しやすいんですが、意識しきれなかった部分はそのまま収納されてしまって探さないと取り出せないというか……」
「………なんですかそれは?どうしたらそんな余白の無駄遣いが出来るんです?」
ヒラカにじっとりと睨まれて、視線をそらす。
話を逸らしたつもりが、別方向から素質の持ち腐れが露呈してしまったようだ。
僕は取り込みの際にマーキングした情報の収納先を追わないと意識の上層にまで理解を浸透させられない。なのでその時その時で必要に迫られなかった情報は、例えるなら通販で買ったものの未開封のまま物置きに積まれていく荷物のように放置されている状態だ。
空藍の頃にはなかった検索や高解像度化の機能があるだけでも随分便利で把握しやすいと思っていたのだが、きちんと転生術を学んでいる天衣からするとあり得ないほど無駄だらけらしい。
「ひょっとすると、シゼルの記憶方法は天衣よりも人のそれに近いのではないかと私も考えていた」
「エゥポレッタ様?」
揺り籠の根の具合を確認したり、兵士に何か伝言を頼んだりと動き回っていたエゥポレッタが戻ってきた。
「秋にヒラカが其方の胎を検めただろう。あの記憶を私も見たが……其方の胎はどこか、体外に確保した余白に接続しているように思える」
「体外?そんなこと可能なんですか?」
「賢き御使いは遠く離れたシアに接続し叡智を得ていたという。
なのでそれを再現せんと編み出された技術はいくつかあるのだ。どれもシアそのものに接続することは叶わなかったが……
例えば、揺り籠を転生の依代とする術も元を辿ればシアに接続する試みから編み出された」
「え?じゃあ、揺り籠に記憶を保存出来るんですか?」
「いいや。揺り籠の中には分化し続ける小さな“我”が詰まっており、記憶が取り込まれたとしても混濁しきったそれは情報として取り出せるような代物ではなくなっている」
「じゃあ、ルゥルの揺り籠を食べてもルゥル宮が引き継いできた叡智は取り込めないんですね……」
「その通りだ。それが出来るのであれば、わざわざ同じ我、同じ型の器で転生する必要もないだろう?」
「なるほど……なんだかもったいないですね」
「あなたがそれを言いますか?」
「うう……」
ヒラカの突っ込みに息を詰まらせた僕に苦笑しつつ、エゥポレッタは続けた。
「だが揺り籠の糸には、小さな我が、より強く大きな我に集まり同化する性質がある。
新しく揺り籠に埋葬された天衣の我は必然、分化前の状態であり、その比較的大きな我を核として同化することで、揺り籠は一時的に埋葬された天衣と同じ我を持つことになる。
永続的な記憶の保存は出来んが、一時的に我を保存することは出来るのだ」
「んっと……?大きな我に集まって同化する性質、ですか?それって、より小さく分化していく性質と相反してませんか……?」
「そう思うだろう?しかし我の同化は分化に至る為に必要な工程なのだ」
我の分化というのは細胞分裂のようなものなのかと思っていたが、また少し違うのだろうか?
なんとなく、微生物の分解のようなイメージで想像してみる。
「“我”って結局なんなんですか……?」
「難しい質問だな。言語化は容易ではないが……かといって糸に練るには定義不足だ。
例えばそうだな……“我”も、目には見えぬほど小さな糸の集まりではある。ただし、肉体を形作っている糸とは別の性質を持つ。
天衣の肉体の最も小さな単位である“糸”には始点と終点が存在するが、我の最小単位にはそれがないと言われているのだ。このように」
エゥポレッタが右手と左手で輪を作った。
それも何故か、ただ左右の手を同じ形で繋げるのではなく、片方の手を逆さまにして作ったねじれた輪だ。
「仮にこの“我”の最小単位を“輪”と呼ぶ。
“輪”には同じ性質同士で接続し合い同化する性質と、反発し合い分化する性質の両方が備わっている。
よって、混沌の中で揺蕩いながらでもある程度の数量までは寄り集まることが出来る。
広義の意味で言えば、この“輪”が寄り集まったものが“我”ということになる」
「広義で言えば……ですか?じゃあ、狭義だと?」
「ああ、正確に言えば、寄り集まっただけでは魂を宿らせるほどの“我”のまとまりを持つことはない。
“輪”が寄り集まることで成った“輪の集まり”は、異なる性質を纏わせた別の“我の集まり”と接触し、反発を経験することで初めて“我”として独立する」
「他者の存在を認識することで自己の意識が確立する……みたいなことですか?」
「やや観念的な理解だが、まぁそういうことだ」
つまり“我”というのはやっぱり、言葉の響きそのままで“自我”のことと考えていいのだろうか。
人で言うところの精神や自我と呼ばれる意識をなにかこう……エネルギーの塊のようなものだとして。
その“意識”という塊の持つ反応や習性を、特殊な性質を持った糸……“輪”の特性によって再現している、というような。
「大きな我ほど引き寄せる性質の鉤をまとまりの外側に多く持っている為、その分同じ性質の“輪”を引き寄せ同化することが出来る。
しかし揺り籠という器の中で最大数まで同化し巨大化した“我”には外側に向ける鉤が残っていない為、新しく“輪”を繋げることが出来なくなる。
そこで比較的密度が低く変異が容易な外側の“輪”から鉤の性質の入れ替わりが起こり、今度は分化が連鎖していく。
揺り籠の内部では永久にこの同化と分化の連鎖が繰り返され、循環を生んでいる」
「うーん……すごく不安定ながらも安定してるってことは分かりました……
天衣の“我”が分化してしまう危険性はないんですか?」
「天衣の“我”は先程話した“輪の集まり”が凹型の“我”に反発して器に流れ込むことで独立したものだ。
揺り籠でも天衣でも、核となる強固な集まりは絡まり合って容易には分化せんが、外側の新しい“輪”による小さな分化は常に起こっているだろうな。
そして白のように核の結束が脆弱であったり、そもそも核と呼べる“輪”のまとまりが未成立である場合には分化の連鎖が止まらず、“我”のない状態……“習性”を持つだけの“糸”と“輪”の集合体に成り果てる。
言わば人の習性を持った“衣”だ」
「ん……?」
聞き捨てならない言葉が出た気がして、首をひねる。
「白と衣って同じものなんですか?」
「いいや。衣はもともと“輪”を持たぬし、人の習性にも練られてはいない。純粋な糸の集まりだ。
だが、同じ天衣の老廃糸を長く食らい続けることで“糸”の一部を“輪”に擬態させられる性質があるのではないかと私は考えている」
エゥポレッタが両手の親指と人差し指をくっつけた一本の“線”を作って見せ、次いでそれを“輪”にして見せた。
ただし輪の端は一か所途切れており、完全な“輪”にはなっていない。文字通り、“輪”に擬態した“線”だ。
「僕が取り込んだ“コロモさん”のように、疑似人格というか、仮想意識のようなものを持つようになるんですか?」
「そういうことではないかという、私の仮説だ。
疑似的とはいえ、“輪”の性質を持った衣の“疑我”は元となった天衣の“我”に近い性質で寄り集まり、結束の強い“偽我”を持つと考えられるが、それ故に天衣を他者と認識して反発する性質も併せ持ってしまうのではないだろうか」
「なるほど……」
ひょっとするとエゥポレッタが“衣”の生態に興味を持ったのは、自身がエゥポルの衣に無駄に反発されるのを悔しく思っての衝動だったのではと考えるとちょっと可笑しかった。
洩れそうになった笑いをかみ殺す。
「話を戻すが、其方が体外に保存した記憶に接続しているのではないかというのはつまり、天衣の誰しもが周囲に引き寄せ纏っている地中の“糸”を、記憶の媒体として無意識に活用しているのではないか、という仮説の上の仮説なのだ」
「地中の“糸”を……?」
「そうだ。老廃糸を通じて地中の糸にまとまりを持たせ、そのまとまりに“胎”の習性を纏わせることが可能なのであれば、器の大きさの制限を超えて、この大地そのものを記憶媒体と出来るのではないか、とな」
「なんだか壮大なお話ですね……」
「そのくらい、貴様の器に対する糸の量は尋常ではないと言って居るのだぞ。分かっているのか?」
「う……」
足元を見下ろす。
基本的に靴を履かない天衣の例に洩れず、僕も裸足で土を踏んでいる。
この下に僕の老廃物やら妄想やらを食べる糸状の微生物がコミュニティを成形していて、脳みその代わりのように機能している……かもしれない、という話だ。
確かにそれなら、地中の糸を増殖させて無限に脳を肥大化させられそうな気がするが、いつの間にか地球がまるまる誰かの脳に変質しているというのは、なんだかB級映画のようでシュールだった。
いや、実際映画などという高尚な娯楽はB級だろうとC級だろうと空藍の頃にも大して観たことはなかったけれど。大戦前の豊かな時代に使われた言いまわしで『B級映画のような』という慣用句があったのだ。
「話を戻すって言えば、最初に仰ってた、僕の記憶方法が天衣よりも人のそれに近いというのはどういう意味なんですか?
人の周囲にも糸が集まるんでしょうか?」
「いいや。糸は多少人の老廃物も食うようだが、人の周囲に衣が出来るほど糸が集まるということはない。おそらく人の老廃物には“輪”の性質が備わっていないか、老廃物となった時点で“輪”の性質は失われているのではないかと思う。
無論、人が地中に記憶を貯めているとは私も考えておらんし、地中に接続して叡智を得ているわけでもないだろう。
だが私の長い人生の記憶には、人が時おりどこからか叡智の一端を降ろしているのではないかと思える瞬間が何度もあった」
「どこからか、というと?」
脳でも胎でも、ましてや地中でもないとすると、一体どこだと言うのだろう。
僕が首を傾げると、エゥポレッタはピッと一本人差し指を立てて、青天井を指さした。
「天だ」
つられて空を見上げる。
太陽は真上からほんの少し傾き始めていた。
「天って、あの天ですか?」
「そうだ。古語というものがあるだろう?あれは太古の昔、巨人が天と直接言葉を交わす為に与えられていた言葉の名残りだという。
つまり大昔には、地に生きる者たちにも天の啓示を得る手段があったのだ。
しかし巨人がその身を縮ませ、古語が衰退した今でも、天啓を受ける者というのは少なからず存在する。
地上から語り掛ける術が失われたとしても、天が気まぐれに授ける啓示を受け取ることはあるというわけだ」
「………………」
「なんだその顔は?」
「いや……だって……」
急にスピリチュアルな話になってしまって、僕の中の黒歴史が疼く。
至って真面目な調子のエゥポレッタに困惑しつつ、僕は感想を述べた。
「天啓って、オドラバイナとかそういうのですよね……?
エゥポレッタ様はそこに天意があると信じていらっしゃるんですか?」
「オドラバイナだと?あんなものが天啓であってたまるか。ああいったものは天の威を借りて人が己の都合の良いように物事を運ぶための……」
言いかけて、ここが王宮の只中であったことを思い出したのか、エゥポレッタが慌てて口を噤み、咳払いした。
オドラバイナは電気ウナギ的な生き物を女性の股に這わせて、膣に入り込んだら不義密通が証明されるとかいう頭のおかしい神明裁判だ。
ギナの通信でもエゥポレッタはオドラバイナに懐疑的な様子だったと記憶しているので、彼の言う人の天啓というのがああいったトンデモ占いのことではないと分かって少しほっとする。
ただ、オドラバイナの結果を根拠に王妃を処刑し権力を得ようとしているアダ将軍の配下に囲まれた状況で言うことではなかったかもしれない。
少し声を潜めてエゥポレッタが付け足す。
「とにかく、占術と天啓とはまったく別物だ。
中には占術を通して天啓を得やすくする者も居るやもしれんが、利によって如何様にも傾く祈祷師の言葉を天啓と語るのは危険な思想だぞ」
「でしょうねぇ……」
「ともかく、そういうことだ。人の中には時折、遥か未来の可能性に触れてきたかのような未知の知識を生み出す者が現れる。
其方の言う“別の世界の記憶”というものも、一人の天衣が練り上げられる情報量を越えているのではないかとな」
「天から得るのと地中から得るのじゃかなり違う気がしますけど」
「そうか?天であれ地であれ、この世は未だ目には見えぬほど小さな混沌の粒に満たされていると言うぞ。
匂いが漂うのも、音が届くのも、色が見えるのも、混沌が満ちているからであると考える方が自然だろう。
ならば、天からとなし地からとなし、混沌を伝って届く目に見えぬ“糸”や“輪”というものも存在し得るのではないか」
「おお……」
「おお、とはなんだ」
「いえ、やっぱりエゥポレッタ様はすごいなぁと思いまして……」
よく分からないけれど、エゥポレッタの推察は神学的に言うところの“エーテル”のような考え方なのではあるまいか。
そういう発想に至っているというだけで、さすが叡智の番人たるエゥポレッタ=ドゥルブデンだと素直に感心してしまう。
「……余計な話をしてしまったな。早く揺り籠が片付くと良いのだが、あまり腐食の進みが速すぎても危険なのだ」
「そういえば、兵の皆さまは昼には食事を取られないんですか?
確か、イェンはハレムに居た頃一日三食食べてたって聞きましたけど」
「一日に三度も食事を摂るのは人の中でも王族くらいだろう」
「そうなんですか?持ってきたミルガにも限りがあるので、出来ればイェンだけでも食事させてあげたいんですけど」
「なんだと?昨夜は食事が振る舞われなかったのか?」
エゥポレッタは憤慨したように眉間に皺を寄せ、周囲の兵を見渡した。
「……そうか。突然呼びつけた上に囚人のような扱いを受けさせてしまったとは……すまなかったな。
このたびの揺り籠の撤去でアダ将軍の見方も変わると良いのだが……
近々王女殿下の名で宴席が設けられ、其方らの披露目があるというようなことも聞いているので、何か状況が変わるやもしれん。
……ともかく、せめて食事は運ばれるように手配させよう」
「あ、ありがとうございます!」
食事の手配という言葉に思わず飛びついたが、何か聞き捨てならない言葉が出た気がする。
「でも、王女殿下の宴って?エゥポレッタ様は殿下にお会いになられたんですか?」
「いいや……アダ将軍を介していくつかのご許可を頂いたのみだ。警備の為か、お顔を拝する機会すら持ててはおらん」
王の逝去直後に王妃と王子を拘束し、軍が政治の実権を握っている今は、言ってみれば軍事クーデターの真っ最中だ。
素直に受け取るのであれば、緊張状態のなか王女の身を案じての措置と考えるところだが、婚姻は形ばかりで六将軍が王女を監禁しているのではないかと勘繰ることも出来る。
「宴ですか……わたしのようなトルドが列席するには畏れ多い場ですねぇ」
急に背後から声がして、驚きつつ振り返る。
白い枝を数本抱えてリリヤンが立っていた。
「リリヤン=トルド!離れて行動する前にはちゃんと報告して下さいよ!自主的にお手伝いされてたんですか?兵士に何か嫌なことされませんでしたか?」
「おやおや。なんだかシゼルの方がトルドみたいだねぇ」
「茶化さないで下さいよ……」
ヘラヘラ笑うリリヤンにむっとしている僕に構わず、エゥポレッタが話を戻した。
「ヅァニマ院が事実上解体したのだ。其方はもうトルドではなかろう」
「ははぁ。トルドですらなければ、糸も紡げぬ胎なしヅァンにはなおさら場違いかと思いますがね」
「……だとしても、其方一人がうろうろ出来る場所ではない。王宮に居る間はシゼルやイェンと共に居てもらおうか」
「畏まりました」
慇懃な態度で受け入れたリリヤンだが、こころなしか顔色が悪い。
実際、グァラガラの約束の範囲に含まれていないリリヤンの王宮での立場は危うかった。
宴に連れ出すのも心配ではあるが、それ以上に一人にはさせられない。
(権力者の宴席なんて……もしほんとに列席することになったら、僕がリリヤンとイェンを守らないと……)
現状、グァラガラ=シンという後ろ盾のある僕が一番確実に身の安全を保障されているはずだ。ここで二人を守れなきゃ、帝国についてきてもらう権利もないだろう。
そんな感じで、僕は心の中で勝手に決意したのだった。




