第四十五話 きりぎりす
「では、ドゥルブデンにもあのミネバの出所が掴めないのですね……」
途方に暮れた風のリリヤンに、エゥポレッタは難しい顔で腕組みした。
「いや……我が宮でないのだから、出所自体は自ずと絞られるが……」
「シゼル宮じゃないですか?器にも色々と仕込んでたみたいですし、あの弟子が焦りから残された叡智を歪めて再現していることも考えられるでしょう」
「おい。滅多なことを言うな。あの者にも苦悩があるのだ。
転生を重ねた師を失い、宮の叡智を預かる身となる弟子の苦労は生半可なものではないぞ」
「ああ出た!そりゃあもう、大変でしたでしょうよ!エゥポライゼ様を失った痛みと戸惑いは私のような一介のヅァンには分からないんですよねぇ?はいはいすみませんね分からなくてどうも!」
「なっ…いつまでその失言を引きずっているんだ貴様は……!?」
「失言だろうと本音は本音でしょうに」
「ヒラカ!」
「はい黙りますすみません〜」
隙あらば痴話喧嘩を始めるエゥポル宮の師弟を横目に、リリヤンは何か自分の思考に浸っているようで、その目はここではない何処かを見ていた。
「リリヤン=トルド……?」
「……うん?なんだい?」
「いえ。何か懸念があるのかなと……」
「まぁ……懸念だけは色々とあるよね」
「それは、まぁ……」
しばらくヒラカのネチネチとした責め立てに誠意応じていたエゥポレッタだったが、キリがないと踏んだのか無理やり話を打ち切ってリリヤンに再度向き直った。
「しかし、ラァダイェン様の御子ということは、あの者は人の子種を持つのではないか?ヅァニマ院で匿うというのは危険に過ぎるだろう」
「あの子は形こそ大きいですが、まだほんの幼子ですよ。まだ種付けを恐れるような時期ではないと思いますが」
「いいや、王の民はその形の大きさが要だ。彼らは天衣とは子の成し方から違う。糸紡ぎの修練を積まずとも子種さえ注げば胎の中で形を成せる。
その上、その行為には毒の叡智を得るまでもなく快楽を伴うのだ。
つまり形の大きい者に判断力がないという状態がもっとも危険と言える。
快楽の毒を知る其方ならそれが分からんか?」
「それはまぁ……耳の痛い話ですけれど」
エゥポレッタの説教を右から左に聞き流しつつ、リリヤンは視線で僕とイェンを指し示した。
「見ての通り、イェンはシゼルに執心しています。
他の者に対する関心は薄いようですし、わたしはシゼルと共にグァラガラ様の元に仕えるのが良いのではと考えているのです」
「……なるほど、シンか。私は領外の世情には疎いが、王族は国と国の友好の為に子種を交える場合もあると聞く。
良い方に転べば良いが……どうなることか」
眉間の皺をぎゅっと摘むと、エゥポレッタは深々と溜め息を吐いた。
エゥポレッタの外見は二十歳前後の青年のそれで、二十代の後半に見えるリリヤンよりも幼い顔立ちのはずなのだが、この厳しい表情のせいで老けて見えている。
もっとも、四人分の人生を生きているエゥポレッタの体感年齢から言えば、十分に若々しいと言えるだろうけれど。
「まぁ良い。シゼル、我が宮で学びたければギナを飛ばせ。牛車を迎えに寄越す」
「ギナを飛ばす……ですか?」
「ああ。これを渡しておこう」
言って、エゥポレッタは腰紐に連ねていたやや細長い卵型のものを差し出してきた。
素直に受け取って眺めてみる。つるりと透明感のあるそれは、人の親指ほどの大きさをしている。
「それは伝達用に調整されたギナの卵だ。エゥポル宮では器の成形の修練にもよく用いている。
それを虚空から胎に取り入れ、繭として産み落とす。すると生まれたギナは習性から女王のもとに飛んで帰るようになっている。
その卵は女王がエゥポル宮にいると認識するよう練られているので、其方は産むだけでいい」
「ええと、虚空とはどこでしょう?」
「糸管の根本にある割れ目のことだ」
「………」
僕はなんとも言えない気持ちでもう一度ギナの卵を見た。
秘部に入れた途端に中の蜂が孵って暴れ出すなんてことはないんだろうか。
想像するだけでぶるりとくる。
「ううん……」
「その程度を難しがっていては転生の儀など行えんぞ。せっかくの素質だ、修練に励み、よく学ぶと良い。
それに、ギナは一度覚えれば重宝するぞ。女王の練り方次第では簡単な声を届けるギナを産むことも出来るようになる」
「えっ!それは……確かに便利ですね……」
「そうだろう。糸紡ぎは奥深く、叡智は尊いのだ。我が宮に来た折には女王の練り方を教授しよう」
「あ、ありがとうございます……」
教育熱心なエゥポレッタの授業はとてもありがたいが、アナエラへの態度を考えると、ヒラカには面白くないのではないだろうか。
僕は窺うようにヒラカを見た。
それに気付いたヒラカがパチパチと瞬いたのち、可笑しそうに笑う。
「なんですか?私が悋気を起こすとでも?レッタ様は宮に召し上げたすべてのヅァンに教育を施されます。今さらですよ」
「そうなんですか……?」
シゼル宮にもそれなりの人数のヅァンらしき天衣がいたけれど、下働き以外の仕事をしていた様子はなかったし、そんな高度な教育を受けている気配も見えなかったと思う。
同じ三宮でも、本当に宮によって性質が異なるのだなと感心する。
アンバがリリヤンを忘れてしまったのは寂しいが、エゥポレッタの授業を受けるアンバの姿を想像すると、なんとなくほっとした。
僕はもらったギナの卵をそっと握り直すと、改めてエゥポレッタに礼を言う。
「エゥポレッタ=ドゥルブデン。ヒラカ様。この度は格別のご配慮ありがとうございました。
頂いた機会を無駄にしないよう、僕なりに励みます」
「ああ、知識は天衣の武器だ。叡智に真摯たれば天の衣が舞い降りよう。
では、世話になったなリリヤン=トルド。また春に」
「ええ、また春に。叡智を尊ぶエゥポル宮に、天の衣が舞い降りますように」
別れの挨拶を交わすと、エゥポレッタとヒラカは牛車に乗って去って行った。
つい昨日までは、転生なんかの為に、と天衣の社会を否定していたはずなのに、今この国で一番シアに近い人にいつの間にか親しみを覚えている自分に戸惑う。
どうしても転生を重ねなければ天衣という生き物が存続出来ないというのなら、その最高位に居るべきはエゥポレッタのような人物なのかもしれない……なんて。
彼の何を知ったというわけでもないだろうに。
「……さぁて。そうこうしている間に夕食の時間になってしまいそうだ。わたしは白の間を確認してくるよ」
「リリヤン=トルドは少し眠った方が良いんじゃないですか?全然休めてないでしょう」
「それはそうだけれど、トルドとして最低限の仕事はこなさなければね。実を言えば、預かった白の数を把握する以外のことは、大抵わたしが好きでしていることなのさ。
したいことばかりして、やるべきことを疎かにしていると、キリギリスのように凍え死んでしまうだろう?」
「え?」
「なんてね。アーヤが“母”から聞いた物語の中にそういうのがあるのさ。
“キリギリス”というのは“布を織る女”という意味らしいよ」
「へぇ……」
「じゃ、シゼルとイェンも、厨房を手伝ってやっておくれ」
「あ、えと、はい」
「はーい!」
一瞬アリとキリギリスの話かと思ってしまった。
アーヤが過去に実在した人物だとしても、それは地球ではないだろう。
アリとキリギリス自体どこにでもありそうな教訓話だし、そもそもイソップ物語の原典ではアリと対比された虫はキリギリスではなかったという話も聞いた覚えがある。アーヤの言う“キリギリス”が日本語のキリギリスの発音に近くてもなんの意味もない。
僕は院の中に去っていくリリヤンの後ろ姿を見送った後、イェンに向き直った。
「ねぇイェン。さっき、手に何か装着してたよね?あれ何だったの?」
「?」
「えっと、手の先がこう、黒いので、尖ってたよね」
「あっ!これのこと?」
イェンが右手を持ち上げると、外套の下からみるみる黒い何かが広がっていき、イェンの右手を包んでいく。
一瞬でイェンの手が爪の先までぴっちりと黒い何かで覆われてしまった。
「うわぁ……何これ?どうなってるの……?」
外套をめくると、黒い何かは僕が産んだアンダーウェアと一体化していた。
というか、アンダーウェアの生地が増殖して腕を包んでしまったというところだろうか。
「シゼルたちを待ってる間に出来るようになったの!」
「へぇぇ!これってガラ様の血の効果なのかな?」
「きっとシゼルがすごいからだよ!」
「いや……それはさすがに違うと思うけどな……まぁいいか。ちょっと触ってみてもいい?」
「うん!どうぞ!」
イェンのやたらに逞しい腕に触れてみる。
黒いスーツはイェンの隆起した筋肉にぴったりと吸い付いており、触ってみても皮膚の感触しかしない。
何か着ているというよりは、肌に黒く色を塗っただけという風にも見える。
いまいち強度が上がっているようには思えなかった。
「さっきの尖ってたやつも自由に出せるの?」
「うん!あの時はシゼルを怖がらせた奴をやっつけようと思ったら咄嗟にできちゃったんだけど……ボク、一度できたのは忘れないんだ!」
「うう〜んさすがイェン」
いわゆる“感覚を掴むのが上手い”の精度が異常に高いのだろうな、と感心する僕の前で、イェンは言葉通りに難なく右手を黒いニードルに変えてしまった。
恐る恐る触ってみると、先端に行くにつれ硬くなり、先端はかなりの硬度を誇っているようだ。
確かにこれなら武器になりそうだ。
グァラガラの言葉を疑っていたわけではないが、流してもらった血が無駄にならなさそうで一安心だ。
「それにこんなのもできるよ!」
「なになに?」
イェンがニードルを解く。
黒い生地が今度は両腕に広がり、小手のように両手の甲に付けていた盾を覆い尽くした。
黒い盾の出来上がりだ。
そしてイェンはさらに、黒い盾の真ん中から先ほどのニードルを生やしたり収納したりして見せてくれた。
「おお〜!すごい!かわいいよイェン!」
「えへへ〜!でもね、もっといいのがあるんだ!」
「えっ、なんだろ?」
「シゼルがすきなもの!」
言って、イェンは両腕の黒盾を解くと、黒い生地を胸元に集め始めた。
このあたりで予想がついてしまい、僕の口の端が引き攣る。
黒い生地はイェンの胸でもとの際どい下着のようなデザインに戻り、尚且つそれが豊満に膨らみ始めた。
グァラガラを参考にしたのだろう。黒い偽乳は乳頭の形や下乳の垂れ具合までグァラガラそっくりだった。
「どうぞシゼル!めしあがれ!」
「召し上がらないよ!?」
偽乳をたっぷんと持ち上げたイェンが輝く笑顔で実食を勧めてくるが、即座にお断りしておく。
昨夜のみんな違ってみんな良い乳決着はなんだったのか。
「イェン……ガラ様と比べる必要なんてないってお話されてたでしょ?」
「うん。ボクもう、ちぶさが小さいのがイヤなんじゃないよ。
ボクいつもシゼルによしよししてもらってるでしょ?シゼルが疲れた時に、ボクもシゼルをよしよししたいと思ったの」
「イェン……」
イェンの気持ちは嬉しい。嬉しいのだけれど、色々と突っ込みどころが満載だった。
まず勘違いしているようだが、イェンの乳房はけして小さくない。立派なボリュームを誇る雄っぱいだ。
僕は改めて目の前の偽乳を見た。
正直好奇心は疼く。イェンが持ち上げるたびぷるんぷるんと揺れる乳房。中心の窪まりに指を突っ込んだらどこまで沈んでいくんだろうと試したくなるふくよかな乳首。
触りたい。吸いたい。ここで暮らしたいと思わせる魅惑のオプション付き物件。
けれど駄目だ。
イェンの身体がどうであれ、心は幼女のままなのだ。
幼女ママのおっぱいに甘えるなんて、天が許してもバニアシュの平定者が許さないだろう。
「う……ん……ありがとうイェン……すごく、すごく魅力的だけど、これはもっと時間が経ってから、僕が本当に疲れて生きる希望を失った時に提供してくれると嬉しいよ……」
「シゼル……生きる希望失うの……?」
「そういう時が来ても、イェンがいれば安心ってこと」
「ボクがかわいいから?」
「そう。イェンが世界一かわいいから」
「そっか……わかった!」
納得したイェンが黒い生地を収束させると、見る間に偽乳は跡形もなく消え去った。
さようなら僕だけのおっぱい枕。また会う日まで。




