第三十九話 グァラガラ=シン
「どうしよう……もし人が集まってるなら、イェンが戻れなくなるよな……」
両翼の院から出るには中央の院を通らなければならない。防犯の為か、左翼には人が通れるような大きさの窓もないのだ。
焦る僕に構わず、ガラは金色の方の瞳でじっと壁を睨んでいる。
「誰か死んでおるようだぞ。どれ、物見に参るか?」
「いやいや!イェンを連れていくのも残すのも危険すぎますよ!見つかってしまいます!」
「ふむ?では俺様の背中に張り付いて髪の中に隠れておれ。機を見て外に出ればよかろう」
「そんなこと……」
出来るんだろうか。
ヅァニマ院の警備は害獣も外敵も想定されていない為、見張りは夜這いを防ぐため各棟の入り口に立っているのみである。その見張りをすり抜けてきたイェンの隠密能力であれば可能なのかもしれない。
「イェン、出来る?」
「出来ると思う!やってみる!」
「じゃあ、それでいきましょう。ガラ様、お願いします」
「うむ。シンとなった俺様は闇夜に忍ぶなどという行為とは無縁であるからな。
ウァラアラの寝込みを襲った時のことを思い出して心が躍るぞ」
ウァラアラとはガラの親友という話ではなかったのだろうか。
寝込みを襲ったとは穏やかではない。
ともかくも、僕たちはガラの客室をそっと抜け出した。
左翼の通路を抜けた先で、見張りの兵が何やらそわそわと落ち着きなく立っているのが見えた。
「何かあったか?」
声を掛けたガラの方を振り返って口を開き掛けた兵が、その様変わりした肉体にぎょっと言葉を失う。
説明がないことに焦れたガラは中央との接続部にあるモザイクアーチをひょいと覗き込んだ。
イェンが背中に張り付いているのだから、あまり身を乗り出さないでもらいたいものだ。
左翼の通路を振り返って確認する。
王女一行はまだ出てきていないようだけれど、このざわめき具合では時間の問題だろう。
僕はガラを中央の入り口側に押し出しつつ、兵の注意を引くため話しかけた。
「どうかしましたか?何か騒がしいようですが」
「あ、ああ……天衣が襲われたようだ。下手人は倒されたが……」
僕も身を乗り出す。
中央の院の真ん中を通る広い廊下。天衣に与えられた客室の中で最も広いエゥポル宮の部屋の前に、倒れた人影が確かに見える。
とは言え電気もない闇夜のことだ。転々と立つ見張りが持っている松明だけでは心もとなかった。
だが視界が悪い今がチャンスだ。これ以上兵が集まってきたら、イェンを逃す隙がなくなってしまう。
僕はガラの腰布をくいくいと引いて、打ち合わせ通りイェンにサインを送らせた。
イェンがほとんど音もなく飛び降りて来たところまでは見えた気がしたが、その後は僕にも行方を追えない速さで闇に溶けていってしまった。
本当に忍者のようだ。
イェンを逃がせたことに安堵したのも束の間、闇を切り裂くような金切り声が上がった。
「いやああああああああああ!!!」
「ヴィネアンテ様!?」
「姫様、如何しましたか!?」
声の主は左翼の通路を通ってこちらに歩いてきていたらしい王女ヴィネアンテだった。
「あ、あ、兄上……!今兄上がそこに!!」
しまった。中央の入り口を出るイェンの姿が月明かりで見えてしまったようだ。
けれど急激に成長しているとは思いもよらない王女には兄ラァダイェンの亡霊にでも見えたらしい。
「落ち着いてくださいませ姫様!兄君はすでにお亡くなりになったではありませんか!」
「いいや……いいや!確かに兄上であった!!おかしいと思ったのだ!あの“けだもの”が毒などで死んでくれるわけがないと!やはり生きておったのだ!!」
王女の取り乱しように、周囲の侍女たちも困惑気味だ。
「なんにせよ、そのようにお声を上げられてはなりません。お部屋にお戻りを……」
「い、いや、いやだ!グァラガラ殿!わたくしを守って下さいませ!約束は果たされねばならぬのでしょう!?」
諌めようとする侍女たちを振り切って、ヴィネアンテがガラの足下に走り寄って来た。
「構わんが、俺様は死体を見に参るぞ?」
「死体など!この世で兄上より恐ろしいものなどない!兄上から守って頂ければそれで良いのだ!」
「そうか?ならまぁ、ついてくるがよい」
ガラが肩をすくめて歩き出したので、僕も王女も小走りでついていく。
大股で歩くガラに置いて行かれまいと必死な王女は、しきりにイェンが出て行った入り口を振り返り歯の根も合わないほどに怯えていた。
(……なんだかマクスの言ってたラァダイェンの印象と噛み合わないような)
ヴィネアンテだけではない。不思議な力を持つ巨人のガラからも、ラァダイェンは殺しても死なない怪物のように言われていた。
一体どんな人物だったんだろうか。
ラァダイェンに思いを馳せていられたのはそこまでだった。
廊下に倒れていた人影が識別出来る程度まで近付いたところで、僕は体を硬直させた。
それはガラの言う通り死体だったが、見覚えのある死体だった。
小柄だが引き締まった体、天衣や王国民よりは前世の地球人に近い顔立ち。
それもただ人種的に同じというだけではない。焦点の合わない目を見開いたその顔は、額に刺さったミネバまでまさしく僕を襲って来たあの森人に瓜二つだった。
「……触れるなよ小娘殿下。始まるようだぞ」
「な、なにが………」
王女が聞き返した次の瞬間、額のミネバから白い触手が吹き出し、森人の身体を食らい始めた。
何から何まであの時と同じである。
肉を食い、骨を食い、宿主を食らい尽くしたあとは己を食い合う。
その様子にヴェールの下の王女の顔がひくっと引き攣ったのとは対照的に、ガラは心底から悲しげな声でぽつりと漏らした。
「なんと憐れな……惨いことをしよる」
何故か僕にはガラのその言葉が、森人ではなくミネバの白蛇に掛けられた弔いだったように聞こえた。
「――ええい!灯りが足らん!!もっと松明を待て!!ほかに緑灯はないのか!?」
と、蛇の共喰いがまだ続く中、焦燥に駆られた叱責が飛び、何人かの兵がばたばたと動き出す。
声はエゥポル宮の客室からだった。
灯りを取りやすくする為だろうか、分厚い入り口の幕は取り払われており、中を窺い知ることが出来る。
部屋のごく手前には少女らしい体躯が血を流して横たえられており、少女に被さるようにかがみ込んだエゥポレッタの股ぐらからは四匹の蛇が伸びていた。
よく見れば少女はエゥポレッタの弟子のヒラカだった。
腹に大きな斬撃を受けており、内臓が傷付いているように見える。
最初、蛇はヒラカの内臓を食い破っているのかと思った。
けれどよくよくその動きに注視すれば、人工臓器のようなものなのだろうか、損傷した肉片を繭で生成する蛇、出来た肉片を欠損部に縫い合わせる蛇、それをサポートするように施術箇所に溜まった血を吸い出す蛇がいる。
それはさながらロボットアームによる精密な外科手術のようだった。
驚くべきことに、この開腹された状態でもヒラカには意識があった。
どことなくリリヤンに似たやる気の無さそうな目が、朦朧としつつもエゥポレッタを捉えている。
「お……切り捨て、くだ、さ………合理…的では……あり、ませ……」
「黙れ!!喋るな馬鹿者が!!!誰かルゥルゥを呼んで参れ!あれの麻痺毒が要る!」
ヒラカの言葉に、エゥポレッタの叱責が飛ぶ。
麻痺毒とは、麻酔のことだろうか。
「くそっ!血が足りぬ!ルゥルゥはまだか!?」
「血であれば俺様のをくれてやっても良いぞ」
「―――!?」
まったく聴き覚えのない声に警戒しつつ顔を上げたエゥポレッタが、女体のガラに驚愕する。
「その身体……そうか、やはり貴方は砂の巨人か!」
「そのような呼ばれ方は好かぬな。俺様は特に砂を寝ぐらとしているわけでもなければ、まして巨人でもない。貴様らが小さいだけだ。
そんなことより、血は要るのか?要らんのか?」
「……っ、貴方が本物のシンなのであれば、その強大な回復力は喉から手が出るほどありがたいが……同時に“我”が強すぎて今私に残っておる糸では中和できん……!
大変惜しいが、ヒラカには使えぬ……」
「そうか……」
エゥポレッタも、そしてガラも、本当に口惜しそうだった。
僕は生成出来る糸の量が異常に多いというリリヤンの言葉が脳裏を過ぎる。
ガラの血を輸血用に中和するなどという高度なことは出来る気がしないが、ヒラカの血を舐めれば同じものを生成することは可能かも知れない。
(けど……)
ただでさえ“黒”だかなんだかを疑われているのに、そんなことが出来ると知られて尚、天衣領を出してもらえるだろうか。
エゥポレッタはヒラカを助けようと必死だ。
(ここで恩を売れば、あるいはイェンだけでも見逃してもらえる……?いや、そんな公私混同をする人物か?ヒラカを助けようとするのだって、転生に必要だからで……)
僕が目まぐるしい打算の渦に飲まれて動けないでいるうちに、ルゥル宮一行が到着したようだった。
騒ぎを聞きつけたのか、リリヤンと、なぜかそれと連れ立つようにアナエラもいる。
「ルゥルゥ!!頼む!私の弟子に乳を分けてやって欲しい!」
「乳ですか……?」
「そうだ!血が足りぬのだ!ルゥル宮であれば誰か授乳期の者がおろう!?」
縋るようなエゥポレッタとは対照的に、ルゥルゥはこんな時でもおっとりと柔和な物腰で、首を傾げる仕草すら場違いなほど艶めかしかった。
「残念ですけれど、先程わたくしの部屋でも召し上げたばかりの灰かぶりが殺されてしまいましたの。ミネバを埋め込まれていたのか、遺体は跡形もなく消滅してしまいましたけれど……回復に乳を消費しましたのに、勿体のないこと」
「な……!?灰かぶりにミネバだと!?
……いや、しかし……わずかでも良いのだ!頼む!乳を……ヒラカに乳を!」
「エゥポレッタ……」
ルゥルゥが聖母のような少女のような、甘やかな微笑みをたたえて言い放った。
「貴方がわたくしに仰ったんですのよ……?天衣全体の行く末に利を配れ、と。
今その弟子に乳を割くことが天衣の利となって……?」
「なるに決まっておろう!?ヒラカは幼く見えるがもう三十を過ぎておる!私が二十年かけて叡智を移した貴重な知者なのだ!たとえこの傷が原因で凹型としては機能しなくなったとしても、次代を導くことが出来る!!」
「まぁぁ……本当にその一体にすべて注ぎ込んでいらしたのですね……」
「そうだ!」
「それはそれは……」
ルゥルゥが、優しく、それはそれは優しく微笑んだ。
「残念でしたこと」
「………!!」
エゥポレッタが愕然と目を見開き、次いでヒラカを見た。
ヒラカはヒュウヒュウと蚊の鳴くような息を吐きながら、血の気の失せた手を持ち上げ、つっと人差し指を示した。
「レッタ……さま……叡智を……糸を練りますので……エゥリケか……リリンナに……」
「……ッ馬鹿を申すな!!それは私の仕事だ!
貴様は回復に集中しろ!!!」
エゥポレッタが両の手でヒラカの指を握り込み、生成を止めさせる。
それは、師から弟子への、親から子への、あるいは夫から妻へのただ“死ぬな”という懇願だった。
僕はどうして良いか分からず、リリヤンの指示を仰ごうと顔を上げた。
けれど目に留まったのは、暗い歓喜に微笑むアナエラの顔だった。
その形の良い唇がうっすらと開いて、辛辣な言葉を紡ぐ。
「エゥポレッタ=ドゥルブデンは確か、わたくしにも仰いましたね。
諦めろ。切り替えろ。次を育てろ、と。
今こそその言葉をお返しする時なのでしょうか?」
残酷に、機械的に事実を突き付けたルゥルゥとは違い、アナエラのそれは感情的な復讐だった。
僕は思わずカッとなって、口を開き掛けた。
「乳なら僕の……ッ」
「わたしの血をお使いください!」
僕の言葉を遮ったのは、リリヤンだった。
まるでアナエラを隠すように前へ進み出て、エゥポレッタに進言する。
「其方が……?」
「はい。ご存じの通りこの身はトルドでございますので、混じり気は多いでしょうが……わたしはヒラカ様とは同じ宮の出でございますから、型も近うございます。エゥポレッタ様であればより分けられるかと」
「しかし、其方……」
エゥポレッタがリリヤンの胎を見る。
長年宦官たちの相手をしてきたリリヤンには、それだけ子種の記憶を抱え込んでいる危険がある、というところだろうか。
より分けというのがどのような技術かは知らないが、エゥポレッタがリリヤンの血を採ることの危険と理を天秤にかけているのが見て取れた。
「ご安心ください。わたしの胎はがらんどうでございます。長年試みてはおりましたが、どうやら胎での糸紡ぎが出来ぬ身のようです。
子種を受けていたとしても、ひと時で流れてしまっているでしょう」
「試してみただと?貴様トルドの身で……いや、それどころではないな……それであれば……しかし」
「辞めよ!!」
突然張られた大音声に、空気がビリリと震え、皆の注目が一点に集まった。
腕を組み、脚を開き、豊満な乳房を主張させて、女巨人は告げる。
「貴様!天の秤を授かりしバニアシュの平定者たる俺様、グァラガラ=シンを前に、己が利を両天秤へと掛けおったな!?天をも恐れぬ不敬と知れ!!」
院中に響くような怒号に一同……施術に忙しなかったエゥポレッタの蛇さえも一瞬動きを止めた。
ガラは尚も言い放つ。
「良かろう!この場の平定、グァラガラ=シンが請け負った!!
心して聞くが良い!!!」
ガラが……いや、グァラガラ=シンが宣言すると、その肉体がみるみる変容し、頭が二つに割れ、半分は女、半分は男という異形に転じた。
最初に黒い瞳の男が告げる。
「その者の胎はただれた欲に犯され濁りきっておるが、要たる最奥は確かにがらんどうである!何者の母にもなれず、何者も残せぬ種無しの蛇よ!」
次に金の瞳の女が告げる。
「その者の魂はただ一人への恋慕に囚われておる!永久の子でありながら、すべての母であらんとする嘘吐きの中の嘘吐き、蛇の中の蛇!されどその魂には一片の迷いなし!」
そして男女の声が交わり告げる。
「「よって此度の天秤は互いの蛇の利に傾いた!!一方は血を分け与え、一方は血を受け取るが良い!
天の秤を疑うことは何人たりとも許しはせぬ!
即座に平定者シンの採択に従うのだ!!!」
誰もがぽかんと呆気に取られる中、採択を告げるだけ告げると、ガラの肉体はみるみるもとの女型に戻り、頭もひとつになった。
皆が動きを止めているのを見て、不思議そうに首を傾げる。
「どうした?早う血をくれてやれ。その童は今にも死ぬぞ」
ガラの言葉にハッと我を取り戻したようで、走り寄ってきたリリヤンがエゥポレッタの前に跪く。
エゥポレッタも頷き、施術に必要な最低限を残して、二匹の蛇をリリヤンに向けた。
「乳を晒せ。乳頭から吸う」
エゥポレッタの指示に従ってリリヤンが前をはだけると、二匹の蛇がそのヤツメウナギのような口を開いてリリヤンの左右の乳頭に噛み付いた。
血が吸い出されているのか、白い蛇の皮膚の下がうっすらと桃色に染まっていく。
「あッ……ンンっ……はぁっ、ンッ」
リリヤンの細い体躯が弓なりに反って、唇からは熱い吐息と嬌声が漏れた。
「これは……苦痛を快楽に変じる毒を分泌しておるのか?シンの仰る通り、相当に汚されて来たようだ……だが、“我”の混ざり気はそれほどでもない。この程度ならばより分けられよう……ヒラカと血が近いことも助かる……恩に着るぞトルド!」
「あッ、あッ、んぁッ……ひぃうッ!」
エゥポレッタが顰めっ面でぶつぶつ呟いている前で、謝辞が聞こえた風もなくリリヤンが身をくねらせている。
なんとも形容し難い微妙な空気の中、どしゃんと革鎧がぶつかる音に僕は振り返った。
見ればそこには、ルゥル宮の護衛で同行していたはずのマクスの姿があった。わずかに前屈みになりつつ、わざとらしく咳払いする。
「ゴホッコホン!あ、あ―……わ、私は不審な者がおらぬか外を見回って参りまする!ルゥルゥ様はそこを動かれませんように!」
適当に言ったのだろうマクスの言葉に、それまで呆然としていたヴィネアンテがハッと我を取り戻した。
「そうだ!わたくしは先程、外へ走り去る兄上を見たのだ!エゥポルの弟子とルゥル宮の灰かぶりを殺した黒幕に違いない!」
「な!?何を仰るのです王女殿下!?ラァダイェン様は春に身罷られたではありませぬか!……失礼ながら、ラァダイェン様が亡くなり最大の利を得たのは貴女様でしょう!それを……」
「馬鹿を申すな!!このわたくしが兄上に毒を盛るなど、脳裏に過った瞬間に犯し尽くされて消されるのが目に見えておる!そのような危険誰が犯すか!」
「な、何を!?精錬な戦士たるラァダイェン様を侮辱するのはそのくらいに……」
「やかましいぞ小人ども!!!」
マクスとヴィネアンテの罵り合いをガラが一喝する頃には、リリヤンからの血の採取が終わり、エゥポレッタの蛇が輸血管のようにヒラカに繋がれていた。




