第十二話 娼婦のアーヤ
「……それって、僕がリリヤン=トルドを食べるってことですか?アンバのようになりはしませんか?」
リリヤンがとんでもないことを言い出した気がして、僕は眉根を寄せた。
とてもさっきまでアンバへの対応を誤ったのではと顔を曇らせていた人物の発言とは思えない。
けれどリリヤンはなんでもないという風に肩をすくめた。
「天衣がやり取り出来る記憶や記録といったものはね、人にとっての食物のようなものなんだ。体内に取り込んで己の一部となることはあるが、多くは時が経てば排泄される。
それに、すでに“我”を持っている天衣の魂を塗り替えるほどの糸というのは、わたしのような並みのヅァンに到底出せるものじゃない。
アンバのあれは、ほかに己と定められるような核がなかったからこそ定着しているんだ。逆に言えば、それだけ白いアンバですら、わたしの言動の表面的な部分しか模倣出来なかった。君に移したところでせいぜい同じ景色を一緒に見ている程度の同化しか起こらないさ」
「そういうものですか」
「そうとも。でなければ、わたしの代でもっと多くのヅァンを宮仕えに出せただろう」
「あの頃のわたしは愚かで必死だったから」とは、リリヤンの言いである。
つまりリリヤンは、アンバ以外にも多くの“白”に記憶を移すことを試したんだろう。ようやく表面を真似るくらいに浸透したのはアンバだけで、リリヤンの努力のほとんどは水泡に帰したということらしい。
「生まれて死ぬまでどころか、ほんのひと時を見せるのが精いっぱいなんだ。随分試したお陰で、この場面だけは鮮明に移せるようになったけれどもね」
「………見てみたいです」
「うん。いいよ。じゃあこっちにおいで」
手招きされて、距離を詰める。
月明りの中、リリヤンが人差し指をつう、と持ち上げた。
その爪先から、細い細い、リリヤンの薄灰色の髪よりも細い糸が唾液のように艶めきながら垂れていく。
「舐めて」
言われて僕は、餌を待つ雛みたいに口を開けた。
舌を伸ばして、銀糸を受け止める。
味も温度もないのに、糸が躰の中に入ってきたのがわかった。
舌の上で転がして、ゆっくりと飲み下す。
閉じた瞼の裏に見える光景があった。
あれはそう。今日と同じような月明りの夜だった。
“あたし”はお偉い学者様だっていう客に教えてもらった自分の“名”を表す文字を練習してた。
忘れないように何度も何度も。馬のケツより汚い宿の壁板に刻んでた。
それを見てたカミラが寝床から指さしてケラケラ笑ってた。
「アーヤ姐ったら、娼婦が字なんて覚えてどうすんのさ!」
あたしは別にどうするもこうするも考えちゃいなかったから、笑って流そうとしたんだ。
でもマイが大真面目な声でカミラに言い返した。
「ばかねアンタ。アーヤ姐はアタイたちとはデキが違うンよ。お偉い学者さんに見受けされてお国へ連れられてったら、“奥方”ってもんになンのよ。学がないとやっていけないじゃない」
「お国ってどっちの?西?東?」
「どっちだっていいわよ。少なくともここよりウンと良い暮らしよ」
「良い暮らしって、どんな暮らしよ」
「知らないよ、ばかねアンタ。ほんとばか」
二人のやり取りに思わず笑っちまって、あたしは名前を刻む手を止めちゃった。
「“奥方”なんてのは想像もつかないけど、西の都には“大学”というのがあるんだって。そこでは偉い学者の先生たちが毎日夜明けまで灯りをつけて学問の話をしてるそうだよ」
「毎日朝までって!油がいくらあっても足りないじゃない!偉い学者さんってのはそうまでして、一晩いくらもらえるってわけ?」
「アッハハ!違うよカミラ。学問てぇのは、一晩いくらのお商売じゃないんだ。なんでも“叡智”というものを見つける為に、みーんなが寄ってたかって身につけた技を教えたり、教えられたりするンだって」
「どういうこと?それじゃ、一晩油を燃やしてもオマンマに繋がらないってこと?」
「そうなのかもね。それっくらい、西じゃあみぃんなが豊かなのかも」
「ウッソォ~!」
タダ働きが何より嫌いなカミラがげぇーっと舌を出した。
そしたら部屋の隅でジッとしてたリンまで起き出してきた。
「アーヤ姐は教えるのが得意だから、金を貯めて西へ行けば学者の先生になれるかも」
リンは病気が顔に回っちまって以来、ずうっと臥せってる。客を取れないのにオマンマを分けてもらうのがミンナに申し訳ないって、いつも黙って小さくなってたから、声を聴けるだけでなんだか嬉しくなっちまう。
「やぁだこの子ったらサ。男のイカせ方なんて知ってても先生にはなれないよ」
「男の扱いだけじゃないよ。アタシ、アーヤ姐がしてくれるオハナシが大好きなんだもン」
「ああ!アタイも好きだよ!特にさぁ、あのハナシ!」
「エェ?どれよ?」
「「モドキの木!」」
リンとカミラが声を揃えてそう言った。
あたしは娼館で娼婦の母さんの股から生まれたから、途中から売られてきた皆よりずっと母さんと過ごした時間が長かった。
母さんが話してくれたおとぎ話をしてると、売られてきたばっかりで心細い子たちもピタッと泣き止んだンだよね。
モドキの木の話はその中のひとつだった。
「ねぇ、モドキの木のハナシをしてよ」
遠慮してばっかのリンがいつになくハッキリねだるから、あたしも期待に応えたくなっちゃったね。
ヨゥシ!と袖をまくって、あたしはいつものように話し出した。
「モドキの木は、西と東の真ん中の、ひろぉい荒地のこれまたド真ん中に生えていました……」
百年も雨が降っていない荒地で、モドキの木はどうして立っていられるのかしら。
それはモドキの木の不思議な言い伝えを聞けばすぐにわかります。
モドキの木はなんと、死人を生き返らせる木なんですって。
昔々、荒地で驢馬を死なせてしまった憐れな男がおりました。
男は長年連れ添った驢馬の為、せめて墓標の代わりにと、荒地の真ん中にポツンと立っていた頼りない若木の下に、驢馬を埋めてあげました。
けれど荒地で驢馬を失った男もまた、じきに驢馬のもとへ逝くさだめが待っています。
男は最後かもしれない夜を驢馬の墓の木の傍で過ごしました。
ところがその晩、男は不思議な物音に目を覚ましました。
音は男の頭の上、頼りない若木の枝のてっぺんから聞こえます。
見上げればなんと、細くて白っこい枝の先に、大きな大きな白い実が成っていました。
パンパンに膨らんで、いかにも水が入っていそうな大きな実に、男はありがたくかぶりつきました。
ところがどっこい!
かじった実が裂けて中から出てきたのは、見慣れたブチまでそっくりそのままの、男の驢馬だったのです。
生き返った驢馬に男は大喜び!さっそく驢馬に乗って東の町に帰り着くと、皆にあの不思議な木のことを話して回りました。
男を真似た町人たちは、病気で死んだ羊や狐に殺された鶏のむくろを背負って、荒地の木を訪れるようになりました。
木の根元にむくろを埋めると、次の朝には死んだものどもの“モドキ”がたちまち実になっておりました。
そして、実が成るたび、死んだものが生き返るたび、モドキの木は大きくなっていきました。
木はやがて大木となり、不思議なモドキの木の評判は西の都にまでとどろき始めたのです。
西の都には、もうじきに人生の終わりを悟った大賢者がおりました。
大賢者は言いました。
その木が本当にそっくりそのままを真似られるなら、百年積み上げた私の叡智を移せるか試してやろう、と。
どうせじきに終わる人生。その木の下で死んでやろう。そう言うのです。
大賢者は豪胆でしたが、慌てたのは弟子たちです。
どうかお供させてくださいと足に縋るもの、不思議な木のインチキを暴いてやろうと意気込むもの、木が取りこぼす大賢者の叡智をなんとか拾えないかと嗅ぎまわるもの。
そうして不思議なモドキの木の下には、大賢者と四十人の弟子たちが集まりました。
弟子たちは木の下で大賢者の最期の時を待ちました。
一晩が経ち、二晩が経ち、十日が経ちましたが、その時は一向に訪れません。
それどころか、凍える荒地の夜に弟子たちの方が次々と先立って行きました。
百二十日を数えた頃、全ての弟子が死に絶えて、ようやくその時が来ました。
モドキの木の根元には、四十と一人のむくろが集まりました。
モドキの木は大きく大きく膨らみましたが、一人の大賢者と四十人の賢者の叡智をそっくりそのまま実につけるなんてことは到底出来ません。
けれどモドキの木も生き物ですから、次の死体を呼び寄せるモドキを作らねばなりません。
四十と一人の叡智を吸い上げたお陰で、モドキの木には分かってしまいました。
四十一人の中でもっとも賢いものの頭、四十一人の中でもっとも美しいものの顔、もっとも優しいものの心、もっとも丈夫なものの身体、もっとも豊かなものの記憶。
それらを四十一人の中でもっとも空っぽなものの魂により合わせれば、たったひとつのモドキで万の死体を呼び寄せられるということを。
けれど困ったこと。四十一人の賢者の中には、魂が空っぽなものなど誰一人いなかったのです。
ですからね、今もモドキの木は砂漠のド真ん中にあって、四十一人の誰より空っぽなものがそこを訪れないかと、じっっと待っているのです。
もしもあなたがこの四十一人の誰より空っぽだと思うなら、モドキの木を探してごらんなさい。
そこで死んだ空っぽなあなたは、この世のすべてを備えた姿で生まれ変われるのですから。
「あンがと、アーヤ姐……アタシ、このオハナシだぁいすきなんだぁ」
あたしはこの話、なんだか好きになれないンだけど、宿の子たちは揃ってこの話を聞きたがるんだ。
自分が空っぽだと思える寒い夜に聞くと、来世はいいことあるって思えるンかもしれないね。
「……ねぇアーヤ姐、アタシが死んだらさァ、モドキの木の下まで連れてってよ」
「ばかねぇ。縁起でもないこと言わないでよ」
リンは顔から膿が出始めるといっつもこうだ。
あたしはリンの膿をそぉっとぬぐって、布を替えてやる。
「お願いよォ……アタシ、次はウンときれいでかしこく生まれたいンよ……大賢者って、先生みたいなモンなんでしょぉ?アーヤ姐はアタシになんでも教えてくれる先生じゃないか……アタシを連れてって、埋めておくれよぉ」
「ああもう、わかったよ。わかったから、お眠りよ」
「ほんとう?約束よ……きっと、きっとつれてって、ちゃあンと木の下に埋めてくンなきゃいやぁよ?」
「はいはい。約束だよ。ちゃあンと、連れてく。連れてくからさ……」
やくそく、やくそくって言いながら、リンは眠り、マイは眠り、カミラは眠り、あたしも眠った。
けど次の朝にはもう、リンは目を覚まさなかった。




