ふあんてい。
籠のなかの鳥は、もう外の世界を知ることはできなくなってしまいました。
死の恐怖から、まるでトリカゴの小鳥のように解放された浮口は、
非常灯を頼りにして真っ暗な校内の階段を駆け降りた。
幾度躓いただろう。
幾度叫んだだろう。
それでも彼女は生を求め、ひたすら走る。
内から鍵を開けて校舎を出ると、そこにはいつもと変わらぬ日常の景色が広がっていた。
空は屋上にいたときのように暗くはなく、三人で話をしていたときの夕焼け色に染まっている。
誰もいなかったはずの校舎の周りには、多くの生徒が友人たちとの雑談を楽しんでいた。
しかし、浮口はそれに気付く様子もなく、顔を青白くさせたまま門を走り抜けた。
「ごめんなさい」と何度も繰り返し呟く彼女を異様な眼で見る輩がいるのも、仕方のないことだろう。
時間はあっという間に過ぎ行く。浮口が我にかえったとき、既に太陽は沈み、人工的な光りが彼女の影を地に映し出していた。
「ここは……」
見慣れた商店街の広い一本道。ふと足を止める浮口を避け、人の波は騒がしく流れて行く。
このとき初めて、浮口は自分が現実に引き戻されたことを実感した。
しかし、ほうと息をつく間もなく、彼女の心を攻め立てるものがあった。
……回想だ。
浮口の脳内に、友人であった二人の怯える声が流れ始める。
次第にそのボリュームは大きくなり、やがて屋上での惨劇の記憶がよみがえってくる。
「いやぁああああ!!」
血に塗れた友人と悲鳴の洪水に耐え切れなくなった浮口は頭を抱えて奇声をあげ、ついに気を失って人込みの海に沈んだ。
それは、これ以上思い出したくはないという、彼女なりの小さな抵抗だったのかもしれない。
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次に浮口が眼を覚ましたとき、彼女は病院のベッドの上にいた。
あれから通行人の誰かが救急車を呼んでくれたのだろう。
白に囲まれた浮口は、未だ意識のはっきりしていない頭のなかで微かな違和感を覚えた。
「な、にこれ……!!」
浮口は首を横に回し、その眼に映ったものに驚愕する。
なんと、彼女は長く伸ばしていた爪を切られ、柔らかな素材の白い布で左右の手首をそれぞれベッドの柱に括りつけられていたのだ。
足は幾らでもばたつかせられるが、上半身の身動きは取れない。
そのような現実も受け止め切れぬまま、狂いそうになる浮口に再び悲劇の記憶がよみがえった。
「殺さないで!!私はまだ死にたくないの。だからお願い、もうやめて!私を助けて!!」
ベッドの上で暴れ狂う彼女を、病室の外から覗く者があった。
それは精神科の医師であり、彼女に救急車を呼んだ人間の「突然悲鳴をあげて倒れた」という
言葉のために、試しに浮口をベッドに固定したのだった。
「……やはり正解だった。いつまた同じ状態になるか分からないからな。彼女が普通の生活に戻ることは難しいだろう。まだ若いのに……本当に可哀相な子だよ」
医師は独り言のようにそう呟くと、やがて浮口の部屋の前から立ち去って行った……。