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木戸の向こうの空間には、甘ったるい匂いのする淡い紫の煙が漂っていた。ウッドは招かれるままに部屋の中ほどの椅子に座る。フロスはウッドの一挙手一踏足をつぶさに見つめていた。
「それの中のものは、休ませてやらないでいいのか」
ウッドが床に頭陀袋を置こうとするとフロスが口を挟む。勘が鋭いのか、それとも既にウッドの目的までお見通しなのか。
「何も、しないな」
「ああ。わしは大丈夫だ。お前と同類だからな」
同類――それはペグ族の歌を耳にしたことのある者同士という意味で使われた言葉なのだろう。
けれどまだウッドの方はフロスが何を考え、どんな目的があって彼らをここへ入れたのか、量りかねていた。
「そこのわしのベッドを使うがよい」
後ろを見ると部屋の奥に石を切って組み合わせたような簡易ベッドが設置されていた。上には藁が敷かれ、寝心地は悪くはなさそうだ。
「いいのか。すまない」
ウッドは軽く頭を下げ、頭陀袋を手にベッドまで歩く。その動きの全てがフロスに監視されているような気がして、あまり良い気分では無かった。
袋の口を広げ、手を突っ込んでネモの小さな体を掴んだ。彼女をゆっくりと引き出す。
「それか」
いつの間に背後に立ったのか分からなかった。真剣勝負であったなら、確実に殺されていただろう。
だがフロスの関心はウッドには微塵も無かった。ぐったりとウッドの掌の上で手足をだらりとさせている小さな彼女を、恐ろしいほど集中して凝視していた。
「歌虫だ」
「分かっておる」
「彼女はとても疲労している」
「まだ生きてはいるんだな?」
「ああ、それは」
フロスがネモに向けた視線には、やはり既存のアルタイ族とは異なる色合いが見て取れた。他者を本気で心配する、己のこと以上に気に掛けている。そんな素振を見せる奴はウッドは自分以外にはお目に掛かったことが無い。
「彼女の体調が戻るまで、ここでゆっくりしていくとよい」
ウッドがネモをベッドに横たえると、フロスはそう言ってもの惜しげに部屋の中央へと戻って行って、自分の揺り椅子に腰を下ろした。手摺のついたその椅子に体を預け、ゆっくりと足で反動をつける。彼は目を閉じ、ゆっくりと前後に揺れるままに何か思考しているようだった。
ネモが落ち着いた寝息を立てているのを確認してから、ウッドもそこを離れる。フロスに気取られないように注意しながら用意されたもう一つの椅子に座ったが、その直前に彼は目を見開いて口元を歪めた。
「まだ名前を聞いておらんかったな」
「ウッド、と申します」
「帝国にいたことがあるな」
「ええ、少しの間だけ」
短い受け答えだけでも、フロスには気後れを感じさせられた。一言一句から己の生き様を読み取られてしまいそうで、答える度に言葉を選ばなければならない。そんな圧迫感を覚えた。
「歌を聴いたか」
フロスはウッドと目を合わせないままに訊ねた。
「歌は聴いたのか」
ウッドが黙って答えられないでいると、再度、もっと強い調子でフロスが訊いてきた。仕方なくウッドは本当のことを言う。
「聴いた」
その答に満足したのか、フロスはその時漸くウッドの目を見てから、ふっと溜息を洩らすようにこう答えた。
「また、聴きたいものだな」
それからフロスは部屋の奥にあるもう一部屋から貯蔵していた小さくて黒い蜥蜴の干物を持ってきて、ウッドに与えた。この岩山に生息している唯一の動物らしい。時々、それを狙って鷲に似た大きな鳥がやってくるが、最近はやってこなくなったという。
ウッドが「聴いた」と答えたことで気持ちに何か変化があったのか、フロスは自分が何故ここに来たのか、何を求めて生き続けているのか、それを一つずつ語ってくれた。




