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茨の冠 ~沼の姫~  作者: 榮光
旅路
3/3

黒鉄の鎧

 ブフフンと荒い息を吐く馬を宥め、手綱を杭で打つ。

 初めての乗馬で下半身がガタガタと震えた。私は痺れが残る腰をさすりながら立ち上がる。そんな私を見てニーラさんは揶揄うように笑ったかと思えば、すぐさま部下に顔を向けて指示出しの作業に戻った。

 私は今、彼女の部隊と共にヨグジュ村の近くまで来ている。

 村の外に出たことが無いため見覚えはなかったが、なんとなく周りの景色に馴染みがあった。黄色い砂で覆われた大地と、目の前に広がる数え切れないほどの岩山。生物の気配が全く感じられない荒野は、確かにヨグジュ村を囲っていた空間と同じ空気を(まと)っていた。

 

 「ロート、君の故郷は後ろの岩山の上だよ」


 辺りを見回す私に、指示出しを終えたニーラさんが声をかける。

 彼女の後ろでは慌ただしく準備を進める兵士が行き来していて、そのさらに奥の方には大地を力任せに引っ張り上げたような、天を突く絶壁がそびえ立っていた。

 

 「ここまで連れて来てしまったが……敢えてもう一度言うよ。今からでも遅くないから引き返した方が身のためだ。君は見ない方が良い。きっと後悔する」


 彼女が私を案じて言ってくれていることは理解できるし、正直私自身もあの景色をもう一度見ると思うと、恐怖が湧き上がる。それでも私は諦められないでいた。

 私のようになんとか生き延びている人や、助けを待ち望んでいる人が居るかも知れない。もし父様や母様も上手く逃げて私を探しているのではと考えると、大人しく座って待つことなど出来なかった。


 ニーラさんを見上げて首を振る。それを見た彼女の表情に影が差す。そのまま彼女は何も言わずに持ち場に戻った。

 

 「姫。担ぐぞ」

 不意に後方から声がした直後、足が浮く。

 

 「結構揺れるだろうから、ちゃんとしがみ付いとけよ?」

 

 そう言って後ろで私たちの会話を聞いていたガウルさんは、私を背におぶったまま隊列に行進を始めた。

 日に()らされて少し熱くなった鎧が肌に触れる。

 約五十人程の兵士はニーラさんを先頭に、視界を埋める絶壁へと足を進めた。


 ガウルさんの背で揺られること十数分、周りの兵士たちがチラチラと好奇の視線を向けてくる。私に直接話しかけてくる者は居なけれど、ザワザワと波紋のように広がる彼らの騒めきに不安を覚え、ガウルさんの首元で交差する腕に力が入る。

 場違いで異質な存在。大方そのような認識だろう。

 傷の痛みと緊張で眉間に(しわ)が寄った。

 私を案じてくれたのか、ガウルさんは周囲の視線を散らすべく大げさに手を振る。私はその気遣いがありがたかった。

 

 「姫の村は、どんな所だったんだ?」


 ある程度周囲の喧騒(けんそう)が収まったころ、大きな背中越しにガウルさんが()うた。


 「ヨグジュ村は……何もないけど、良い所」

 「貧しかったのか?」

 「そんな感じじゃなくて……何て言うか、暇?」

 

 村には天幕と礼拝用の祭壇、そして広大な土地以外、何も無かった。

 荒野で村の形を成したからか、土地は有り余っていたがその(ほとん)どは農地として活用され、それすら叶わないような瘦地(そうち)は放置されるか集会用の広場として活用していた。


 「ほぅ……つまり遊び場には困らないって訳だな」

 「……ガウルさんって、やんちゃですよね」


 子供のような着眼点に呆れてしまう。ニーラさんがため息を吐く癖の出所が分かった気がした。

 ガウルさんもガハハと大きな声で笑う。


 「おうよ!子供心は忘れちゃいけねぇからな!」

 「それで上官に目をつけられても?」

 「もちろん!人生楽しけりゃ後はどうとでもなれだ」

 「子供そのものですね」

 「実際まだ成人してねぇし」

 「……嘘だ」

 

 聞いたところガウルさんは17歳らしい。この見た目で私と三つしか離れていないのは……なんと言うか、酷く裏切られた気分だった。

 今も私の目の前で、肌色の丸い頭が陽の光で眩く輝いてるのに。


 「姫、今失礼なこと考えてたろ」

 「……そんなことありません」

 「声震えてんぞ」


 ガウルさんと話している間に私の緊張は解け、不安も腕の痛みも感じることなく居られた。


 「まぁなんだ。そんなに離れてぇし、さん付けとかしなくていいぞ?楽に接しても構わねぇよ」

 「うん」

 「ついでにリエンに対しても改まる必要ねぇぞ。あいつは成人してても中身がダメダメだからな」


 そうこう話すうちに私たちは崖の麓に到着した。



 「注目!」


 先頭のニーラさんが足を止めて命令をくだす。その声に合わせて部隊は一斉に足を止めた。


 「今回の暗獣被害地はこの岩山の上だ。斥候の調査によると残党は確認できていないらしいが、皆十分に警戒した上で捜索に尽力してほしい」

 「「「はっ‼」」」


 兵士たちの声が重なり、木霊となって響く。直後、


 「(さん)!」

 

 己の隊長の命令に従い、兵士たちは二、三人ずつ分隊に分かれた後、各々配置に就き、隊列を維持したまま高い岩壁を登り始めた。

 

 「私たちも行こう」

 「あいさ」


 私はガウル、ニーラさんと共に登るらしい。と言っても荷物のように担がれるだけだが。

 ガウルは私が落ちないように腰に紐を回して固定する。そのまま他の兵士と同じように、岩肌に手を付け登攀(とうはん)を開始した。

 垂直に伸びる崖をざらついた岩肌や窪みを利用して器用に登り、所々短刀で壁を削って足場を生成して後続への道づくりも並行して行う。大きな出っ張りがある時は座って腕を休めるなど、休憩を挟みながら頂上を目指した。

 

 大き目の突起があったので私も背中から降りて腰を下ろす。ガウルとニーラさんの顔には汗粒がびっしりと実っていた。

 見下ろすとはるか遠くに地上が見える。ここから落ちたら間違いなく即死だ。

 眺めるだけでも肝が冷えて足が(すく)む所まで兵士たちは、これと言った安全装置も無しに上って来ていた。

 

 「今回は静かっすね」

 「ああ。移動中に襲撃がないだけでも本当にありがたいよ」

 「間違いねぇ」


 乾いた風が頬を撫でて通り過ぎる。静けさに包まれた崖の(なか)ばで私は焦燥(しょうそう)を忘れ、目の前に広がる広大な荒野を見つめていた。


 「この景色に見覚えはあるかい?」

 

 数日前まで当たり前のように目にしていた光景を眺め、私は頷き肯定する。

 多少視点が低いけれど、村の端に位置する高台の景色に間違いない。

 となれば、この上はすぐヨグジュ村に繋がっているだろう。もう少しで村に着くと思うと、様々な感情が渦巻く。

 その最中(さなか)、私に出来ることは、誰でも良い、ただ一人でも生きていてほしいと願うことだけだった。


 

  * * *



 ――切なる祈りは神に届くと信じていた。


 知っていた、と言うべきだろう。

 探索が始まって数時間が経っても、誰一人として生存者は見つからなかった。

 私の望みとは裏腹に集められるのは人の腕や脚、又それらの欠けた胴体と最早(もはや)人だったのかすら怪しいほどに潰れ、捻れた肉片だけだった。

 村の跡地を埋め尽くす死骸と蔓延(まんえん)する腐臭が、私の希望をズタズタに切り捨てる。

 突っ立ったまま作業を眺めている最中、ふと一人の兵士が手に持った腕に目が留まる。

 力任せに胴体から引き千切られたように(むご)い壊れ方をした腕の先に、持ち主の瞳の色に合わせて作ったはずの指飾り。自身の周りの雰囲気を和ませる空気を纏う、ほんのりと優しく微笑む姿が記憶に残る彼女の腕は歪に曲がり、爪が掌に食い込んで、彼女の最期がどれほど苦痛に満ちたものだったのかを語っていた。

 地面に置かれた腕をそっと手に取る。

 血の気の無い、所々黒く腐った精白(せいはく)な細腕は、冷え切って生気を感じられない。

 強く握られた拳を指の骨が折れないように丁寧に広げ、再び地面に戻した。

 唾液に苦味が混ざる。

 私は人気(ひとけ)のない場所へ急いで向かい、吐物(とぶつ)を吐き出した。

 

 分かっていた。目にもした。それでも鼻を刺す腐臭と、無残なかつての友人の姿は私に疲弊(ひへい)(もたら)す。

 一瞬で理解した。あの時見た暗獣の群れは死の波となって、一抹の希望の付け入る余地も無く、村の命を全て奪って行ったのだと。

 根拠の無い希望的観測に(すが)りついた果てに突きつけられた真逆の現実。

 内臓を直接手に取り捻ったような感覚が私を襲う。腕の傷も痛みから悲鳴を上げ始めた。

 私は左手を傷口に添え、強く握りしめる。


 「ッ……!」


 酷い痛みで眩暈がしたが、痛覚は良い気付けになる。私は血に濡れた布を傷口に押し当て、村の中央広場を目指し歩いた。

 歩きながら覚悟を決める。

 望みを捨て、ここに生者は居ないと自分に言い聞かせて、死臭(ただよ)う道を進んだ。

 

 道すがら違和感を覚える。先ほどより明らかに死体の数が少ない。

 兵士たちがある程度運んだと考えるのが妥当だろうが、何かがずっと引っかかる。

 そして広場に近づくにつれて見えてくる、巨大な円錐型の、黒い”何か”。記憶にない建造物に不気味さを覚え足を進めると、前方で抜き身の剣を掲げた兵士が私を止めた。


 「お嬢ちゃん。中隊長曰く、これ以降は立ち入り禁止だそうだ」


 そう言伝(ことづて)を頼まれた兵士の顔色は青白く、彼がこの先でどんな光景を目にし、なぜニーラさんが私を近づけまいとするのか想像できた。

 ニーラさんは広場の惨状に私が耐えられないと判断したのだろう。私を絶対通さないようにと、念入りに言っていたそうだ。


 「俺個人的にも、嬢ちゃんを通したいとは思わないな。”あれ”は子供に見せて良い(たぐい)の物じゃあない」

 

 そう言いながら彼は腕を(さす)り、私に引き返せと手を振る。

 さすがに私より大きい男性相手に無理やり押し通ることも出来ない。来た道を戻ろうと身体を(ひるがえ)した。



 カラン……カラカラカラ……



 唐突に聞こえる鉄の転がる音。思わず足が止まった。

 私はこの音を聞いたことがある。

 

 「アッ……グァ!」

 

 鉄同士がぶつかる鈍い音が響き、悶える声がする。

 咄嗟に後ろを振り向くと、つい数秒前に私と話していた兵士はゆっくり(うごめ)く黒い鎖に胸と腹部を貫かれ、自身の首を絞める腕を搔き(むし)藻掻(もが)いている。その抵抗を気にも留めない腕に絡みついた鎖は自ら黒く発光し、禍々(まがまが)しい霧を垂れ流す。漆黒の鎧に身を包む人型の、しかし決して人とは呼べない空気を放つ誰かはそのまま指先に力を込めた。

 

 グジャリ


 首の骨が握り潰され痙攣する兵士の体を鎖が引き裂く。

 三つに分かれた身体は一瞬淡い緑色の光に包まれ、力なく転がり落ちた。

 対象を仕留めた”それ”はゆっくりとこちらを向く。目が合うことはなかった。その存在は顔面を蜈蚣(むかで)が|這うように蠢く鎖で包み、顔を隠していた。


 先日夢で扉を壊した鎖だった。


 隙間なく巻き付いた鎖の中の表情は分からない。ただ押し潰されそうに重くなった空気から、”それ”が私を視線に捉えていると理解した。

 この地を犯した、死を具現化したような化物の群れを遥かに上回る威圧感。それ晒された恐怖で身体が竦む。

 逃げるべきか?それ以前に私は逃げられるのか?

 全神経が危険だと警鐘を鳴らすが、私の身体は捕食者に睨まれた獲物のように固まる。


 動け足……動け動け動け動け動け動け動け動け動……!

 

 唐突に視界が黒く染まる。

 私は硬直したままずっと”それ”から目を離せないでいた。

 にも関わらず”それ”は私の意識が追いつかない速度で、瞬きすらしていないというのに、私の眼前に顔を寄せていた。

 

 いつ動いた?


 張り詰めた神経に更なる負担をかける鎖は鼻先で血の匂いを垂れ流し、表情の読めない顔はただじっと私を凝視していた。

 

 カキン……カキン……


 冷たい鎖の音だけが沈黙の中、鳴り続ける。

 剣尻(けんじり)形の鎖が音を立てる度、全身の毛が逆立つように鳥肌が立ち、先ほどの兵士の無残な姿を思い出す。

 

 ”それ”が首を傾げた。


 ――殺される


 死のイメージが(よぎ)った刹那(せつな)、”それ”は後方に飛び退き、直後私の目の前を一本の赤い閃光が通り過ぎた。

 岩を砕き貫いた槍は轟音を鳴らし、石礫(いしつぶて)が散乱する。長物(ながもの)が飛来した方向から多くの足音が聞こえ、見覚えのある大きな背中の両横(りょうよこ)に兵士たちが並んだ。

 

 「姫、大丈夫か」


 安堵した途端、私は息苦しさを覚え深く息を吸い込んだ。

 

 「ッハァ……ハァ……」

 「良し、大丈夫そうだな。怪我はねぇか」

 「うん……無い」

 「あれを前によく耐えた。リエン、さっさと隊長呼べ。半数逝く前にゃ来るだろうよ」

 「”緑”の時点でもう呼んでる。三分持ち堪えろだそうだ」

 「十人そこらでか……うちの隊長は躾け方が厳しいねぇ」


 軽口を叩きながらガウルは槍を引き抜いた。砕けた岩はガラガラと音を立てながら崩れ土煙を上げる。

 そのやり取りをじっと眺める黒い獣。

 

 「リエン。姫は頼んだ」

 「敵から目は逸らすな……そのうち死ぬぞ?」

 

 後ろを振り向く姿に悪態を吐くリエンと、それを鼻で笑うガウル。

 軽口とも捉えられる会話を交わす二人の顔は陰っていた。


 「母体相手に気ぃ緩めんなよお前ら」

 

 私はリエンと共に後方へと移動する。

 ガウルが槍を構えると同時に他の兵士たちも各々臨戦態勢に入る。一触即発の緊張感が張り詰める足元を白く光る陣が囲うと、”それ”は叫び声をあげるように鎖を捻り、突進した。

 鞭のように(しな)る鎖は兵士たちの合間を縫うように通り翻弄し、隙が生じれば先端を突き立てる。その動きに惑わされた者が貫かれたと思った矢先、先ほどの白い光が体を包み鎖を弾き返した。

 

 「神術、言わば’神の奇跡や祝福を人為的に起こすこと’と理解してくれて良い。これでも完全に対策出来る訳ではないがな」


 その言葉を裏付けるように、一人一人倒され力尽きる兵士たちの姿が目に入る。

 リエンは既に手一杯のようだった。強く嚙み締めた唇から血が流れる。それでも同僚を死なせまいと更に祝福を重ねた。

 しかしその行動が仇となる。

 三本の黒い鎖が隊列を通り抜き、リエンと私に襲い掛かる。光陣を見た暗獣は最初からリエンを最大の障害と認識していたようだった。

 十数人を同時に相手しながら、核心となる人物を疲弊させ真っ先に処理すべく手を抜き、罠を張る。その狡猾さを看破できなかった時点でこの結果は決まっていたのだろう。

 

 私たちの体を地面に縫い付ける黒い(くさび)が加速する。反射的に目を閉じた途端、身体が浮き上がり轟音が鳴った。

 

 「間一髪だ。ご主人様に感謝しろよ?駄犬」

 「……恩着せがましいですね、糞隊長」


 恐る恐る目を開けると、私はリエンに担がれたまま後退していた。そしてガウルたちよりも奥の方、彼らを翻弄し続ける存在が立っていた場所では土煙が舞っている。その中から聞こえる声は、この場に居る誰よりも強いであろう人のものだった。


多足類って気持ち悪いよね

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