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茨の冠 ~沼の姫~  作者: 榮光
旅路
2/3

目覚め

 見慣れない天井の(もと)、目が覚める。

 元は白かったであろう小汚い布は影がかかっていて、随分と使い古された天幕なのだろうと思った。

 どこ?

 辺りを見渡しても人の気配はしない。壁際に光虫(こうちゅう)がふよふよと漂っているので、誰も居ない訳ではないだろう。どうやら席を外しているようだ。

 現状確認をすべく起き上がって外に出ようと思い腕を動かしたら


 「ぅあっ……!」


 眩暈がするほどの激痛が走った。

 恐る恐る右腕へと目を向けると、真っ赤に染まった布が二の腕から手首にかけて、きつく巻かれている。

 

 「怪我?」


 布と私の皮膚に挟まった薄紫の葉は、血液の生臭さと混ざり何とも言えない悪臭を放っている。

 しかしこの毒々しい見た目の葉はその見た目に反して陣痛効果があるみたいで、全く動かない腕に負った傷の痛みは、何とか我慢できる程度に抑えられていた。

 体のあちこちが痛む。幸い動かすことは出来たが、とても歩ける状態ではない。

 取り合えず回復を優先するべきだと判断し、再び眠ることにした。



 目を閉じると鮮明に蘇る死の景色。

 黒い波が大地を(とどろ)かせ、村目掛けて|(うごめ)き、押し寄せてくる。

 建物が崩れ、悲鳴を上げる村人を引き千切り、嚙み砕き、弱者を(なぶ)愉悦(ゆえつ)に酔いしれ嬌声(きょうせい)をあげる巨大な黒い獣。

 数刻前まで共に笑っていた人は皆、抵抗も許されず、瞬く間に黒い波に吞まれ肉片となり、大地に散る。

 圧倒的な捕食者による蹂躙だった。

 戦事などとは無縁だった私たちは逃げ惑うばかりで、獣はそんな私たちの血潮(ちしお)で祝杯を挙げ、宴の場を楽しむように村を貪った。



 体が震える。

 家族を失った悲しさと化物に対する恐怖が混ざり私に襲い掛かる。

 涙がこめかみを伝って枕を濡らす。

 私は左腕で目元を覆って嗚咽を漏らすしかなかった。


 「それ以上動くと傷口開くよ」


 どれほど泣いていたのだろう。不意に耳元で声がする。

 声のする方を向くと、白い髪を胸元まで垂らした女性が近くの椅子に腰かけていた。私を睨む細い目からは好意も敵意も伺えない。

 彼女はじっと私を見つめながら口を開いては閉じ、何か悩んでいるかのように唸りながら、もごもごと呟いていた。

 光虫の羽音(はおと)と、リンリンと歌うような鳴き声が場を埋める。


 「その……ここは安全だから怯えなくていいよ」


 やがて発された彼女の声は、鋭い目つきに反して力の抜けた、おどおどしたものだった。

 ふうっ、と一つ短く吐息を漏らし、金色の瞳が私を視界から外す。

 彼女は立ち上がり、所々凹んで青黒く変色した鎧を脱ぎ捨てた。その下から(あらわ)になる血気のない白い、しかし異様なほど生気を感じさせる、戦士の体。

 袖から伸びる両腕は細いながらも筋張り、引き締まった長い脚は揺ぎ無く体を支えている。身長は私より頭二つほど大きいだろうか。女性らしい豊満な体つきではないが、彼女の独特な雰囲気のせいか、一人間として魅力的に映った。


 彼女は見るからに重い鎧を軽々と壁際に投げつける。鎧は天幕を揺らし、ガシャッと鉄のぶつかる音を上げて床に落ちた。

 雑な人だ。

 表情に出ていたのか、彼女は私を見ると慌てて自身の抜け殻を整頓する。

 思わず笑い声が漏れた。彼女は気まずいのか短く喉を鳴らして振り返り、僅かな笑みを口元に浮かべ、座っていた椅子へ腰掛けた。


 静寂が室内を満たす。


 「あ」

 「ん?」

 「助けてくれて、ありがとうございます」


 私は沈黙を破り礼を述べた。恐らく彼女が私をあの死地から助け出したのだろう。

 笑みが消えた彼女の表情に、僅かな哀れみの色が浮かぶ。

 私を救出する際、彼女も見たのだ。文字通りの死体の山を。

 

 「貴女は何故あの村へ?」


 固い死体を押し退けた記憶を振り払おうと、質問を投げる。

 何故彼女はあの場に居たのか。

 ただ偶然近くを通り過ぎるのはあり得ない。村は延々と広がる荒野の中に位置している為、村での暮らしは主に自給自足と数月に一度の遠出の交易で成り立っていた。そんな場所に偶然辿り着いて私を助けるなんて、信じられない話だ。

 そんな辺境に何の目的もなく来るはずが無い。


 彼女は少し間を置いてから口を開ける。

 

 「私はアレクティア聖龍国軍の名のもと、信託に則り偵察および暗獣(あんじゅう)殲滅の為派遣された軍人だよ」


 そこまで言って彼女は立ち上がり、頭を下げる。


 「村を助けられず、本当に申し訳なかった」


 聖龍、地域によって龍神と呼称する龍は、かつて善と悪の概念が散乱する混沌の渦中(かちゅう)にて、全ての悪をその身に取り込み、封じ浄化した。その後、龍の体は大地で朽ち果て、意思が宿り命が芽生えたと語り継がれている。

 今となっては事実の確認も出来ず、神話やおとぎ話の類として幼いころに聞く程度だが、依然信仰を貫くものも大勢いる。

 私の村も龍神様を信仰していたし、聖龍国と名乗るアレクティアもまた龍を神と信じ、国教と掲げ崇める国だろう。


 目の前で純白の髪が揺れる。

 頭を下げた女兵士は、その体勢のまま肩を震わせていた。


 心優しい人なのだろう。

 自分と全く無関係な他人のために涙を流し、私の身に降りかかった理不尽が自分のせいだと攻めているように見えた。

 

 「そうですか」


 私はそれ以上言葉を紡げなかった。

 理由は彼女が言った『殲滅』という言葉。

 彼女にはあの化物を倒す(すべ)があるのだ。

 

 ――間に合っていれば

 

 化物を退けられたかもしれない

 村が滅びずに済んだかもしれない

 家族が死ぬのを見ずに済んだかもしれない


 憎むべきは私の全てを壊したあの獣共だ。彼女じゃない。

 頭ではそう分かっていても、卑しい人間の心は無意識に希望に(すが)ってしまう。

 私は目を閉じ、昂る感情を抑え、毛布で全身を包み彼女を拒絶する。

 これが今の私にできる最大限の配慮だった。


 サッと布の擦れる音がして、足音が遠ざかって行く。

 やがてその音が聞こえなくなった時、私は安堵の吐息を吐いた。

 今はもう少し休みたい。

 そう思い私は再び暗闇に意識を委ねた。



 * * *


 

 「生きて。何があっても生き延びて」


 暗い部屋の中。

 私の肩を両手で強く掴み、私に最期の呪い(ことば)を放つ母の目は、慈愛と悲哀の色を浮かばせて私を見つめ、涙していた。

 ほんのりと赤みがかった長い金色の髪の隙間から首飾りが覗く。

 薄く白い、菱形(ひしがた)の首飾り。緩く曲線を描く八つの三日月は対を成して重なり、中央に浮かぶ透明な宝石を囲っていた。

 

 「母様は……?」

 「私はここを離れられないの。だからロート、あなた一人で逃げなさい」


 そう言って母は私を抱きしめた。

 僅かに震える体から、暖かい体温と心臓の鼓動がじんわりと私に染みる。

 これほど強く抱きしめられたのは何時(いつ)ぶりだろう。私もそっと母の首元に腕を回した。

 


 そうすること数分、やがて母は腕を解き、体を離して立ち上がった。

 私を見据える両目から、先ほどまでの気弱な色は感じられない。

 

 カラン……


 外で鉄が転がる音が響いた。


 「走って!」


 母の声に押され、身体が動き出す。

 振り向きざまに母が口にした言葉は、扉を破った(おびただ)しい数の黒い鎖に搔き消された。


 

 カンカンカンッと、鉄同士がぶつかる軽快な音で目が覚める。

 しばらくすると入口の布が開き、先ほどの女兵士が顔を覗かせた。

 布の隙間から陽の光が差し込む。どうやら朝まで眠っていたようだ。

 彼女は体を起こした私と目が合うなり、気まずそうに口の両端に皺を寄せて目を逸らした。

 あの態度は良くなかったな、と思いながらも口を開ける気にはならない。

 どちらとも口を開かずにいると、開いた入口からほのかに香辛料のピリッとした匂いが、私と彼女の隙間を埋めるように入ってくる。


 クゥ


 仔犬の鳴き声のような音が沈黙を破った。

 顔がふっと熱くなる。私は恥ずかしくて片腕でお腹を押さえたけれど、すでに鳴った音はどうする事もできない。そっと顔を上げ様子を伺うと、女兵士は顔を逸らしたままクツクツと笑い声を(こら)えていた。

 

 「とりあえず食事だな。積もる話はその後にしよう」


 歩けるかい?と問う彼女に頷く。私が立ち上がると、彼女は私が通り易いように入口を広く開けた。

 

 音が遮断されていたのだろうか、天幕の外は思いの外騒々しかった。

 見渡す限りの人、人、人。

 大方は鎧姿で腰に帯剣した兵士のような者ばかりだったが、所々普段着で動き回る人も居れば、下着のように薄い布切れを身に纏った女性もいた。

 ここを通るのか、と少し気圧されたが、幸い私たちが目指すのは天幕のすぐ裏にある広場だった。

 広い更地にぽつぽつと、火起こし場が等間隔で設置されているだけの簡易的な調理場。

 そのちょうど真ん中辺りに位置する場所で、大男二人がしゃがんで鍋を突いている。

 私たちが近づくと、足音で気配に気づいたのか彼らは鍋から視線を移しこちらを向いた。

 その拍子に私と目が合う。


 「姫が起きたか!」


 先ほどの鉄音を発していたであろう混ぜ棒を持った男が立ち上がり、高揚した笑い声を上げながら腕を振る。毛髪の無いその頭部は光を反射し、眩しく輝いていた。


 「少しは回復でき……ちょ、振り回すな!熱い!」


 隣に座る青年の頭上に、混ぜ棒についた汁が降りかかる。藍色の短い髪はスープでベトベトになっていった。

 その内、棒が頭を打ったことで怒りが爆発したのか、汁を防いでいた青年が立ち上がる。人差し指で混ぜ棒の男を指さし怒鳴ると、反発するかのように口論が始まり、取っ組み合いに発展した。


 「いいぞー!殴れ殴れ!」

 「また喧嘩か!今日はどっちが勝つんだ!?」

 

 人が集まり数多の野次が飛び交う中、倒し倒されを繰り返す内に土煙が舞い、カランと音を立てて鍋が放物線を描いた。

 

 中身も。

 

 私がその様子に気圧されていると、隣で心底呆れたと言わんばかりの深いため息が聞こえる。

 そっと視線を向けると同時に、怒気を垂れ流す女兵士は乱闘の場に身を滑らせ……瞬時に両手で彼らの顔を鷲掴みにし、自分より一回り大きい男たちを軽々と持ち上げた。

 目で追えない程の速さと、しなやかな動作に私は驚愕する。


 彼女が喧嘩の場に上がったことで瞬時に当たりが静まり、調理場には拘束された男たちの悲鳴のみが響く。


 「散れ!」


 女兵士の一言に、三人の兵士を囲む輪が四散した。


 人気(ひとけ)の無くなった調理場で、男たちは自身の顔面を軋ませる手を剝がそうと足をバタつかせ必死に抵抗する。しかしその努力虚しく彼らが自力で脱出することは叶わない。


 「駄犬(だけん)ども、いい加減人間らしい振る舞いが身につく頃なんじゃないか?あ?」


 昨日のおどおどした態度は何だったのだろう。全く別人のような形相で男たちを締め上げる彼女の姿は紛れもなく強者のそれだった。

 メリメリと指が顔面に食い込む。彼女が力を込めると男たちの悲鳴は増し、今にでも破裂するのではないかと思えるほど彼らの顔が赤く染まり心配になった。

 幸いそのような惨事が起きる前に拘束が解かれる。

 

 「ガウル、リエン」

 「はっ‼」


 男たちの声が重なった。それがまた気に食わないのか不機嫌そうに睨み合うが、女兵士が再び腕を伸ばすと、ヒィッと小さく悲鳴を上げ彼女に目を向ける。どうやら彼らは部下に当たるらしいが……馬は合わないようだ。

 

 「飯抜きだ」


 先ほどまで真っ赤だった顔が瞬時に真っ青になる。


 「ニーラ隊長!遠征中にそりゃないですよ」

 「ならお前たちが地面にぶちまけたスープでも啜ればいい」

 

 件のスープは既に土に浸み込んで泥と混ざっている。

 

 「隊長。ご存じないかも知れませんが、人の腹は泥で満たせません」

 「リエン、私がそれを知らないとでも?」


 短髪の青年が説得を挑んだが、更に不機嫌そうになった自身の隊長を目の前に押し黙った。

 憤怒している上官を前に、何か手はないかと模索する男たちの目が私を捉える。

 その途端、一筋の光を見つけたと言わんばかりに肌頭の男が私に向かって叫んだ。


 「姫!姫も何とか言ってくれよ!俺たち昨日の夜から何も口にしてなくて力が入らねぇんだ~」

 「待て……」


 何故私のことを姫と呼ぶ。そして何故そこで私に縋る。

 上官の静止をするりと躱し、ガウルと呼ばれた男が私に接近する。昨日から何も食べていない割には素早い動きだった。

 私にぶつかる直前にしゃがんだ巨体を見て、確かにこの大きさの人間に食事抜きは酷なのではないかと思ってしまう。

 

 「なぁ姫、頼むよ~。隊長は多分姫の言うことは聞いてくれるだろうからさ」

 

 ニッコリと微笑むガウルさんの肩越しに、後を追って来た彼の上官と目が合う。

 どうすれば良いのだろう。戸惑いながら女兵士を見上げると、彼女は眉間に(しわ)を寄せ、深いため息をついてから目の前の男を横薙(よこな)ぎに蹴り飛ばした。


 「ならさっさと作り直せ!」


 

 * * *



 木製の器に、深い赤色のスープが注がれる。

 ピリピリとした刺激的な匂いが鼻孔を刺激し、食事を待ちわびていた胃袋が早く飯をよこせとギュルギュル鳴いた。

 

 「ほらよ、姫」


 私は体中砂まみれの大男から器を受け取る。器には雑に捌かれた肉や野菜がゴテゴテと転がっていた。

 一口啜ってみると脂っこい見た目に反し、味は意外とさっぱりしていた。それでいて肉の旨味を逃さずしっかり野菜と汁に染み込ませている。

 しかし辛い。

 

 「どうだ姫、美味いだろ。」

 「うん。でも辛いです」

 「ナッハッハッハ!これは骨で出汁を取った後、乾燥させたコチャルの実をすり潰して作るスープだ。食ったら血行が良くなって身体が温まるから、我慢してたんと食え」


 コチャルの実は甘い香りの花が咲く、指先ほどの小さくて丸い真っ赤な木の実で、割とそこら中に()っている。私の村の幼い子供は皆その香りに惑わされ木の実を口にし、この世は文字通り甘くないという現実を目の当たりにすることが通過儀礼と化していた。

 

 空いた胃腸に暖かいスープが染みて飽満感でいっぱいになる。

 器を地面に置くと、目の前で鍋の中身を混ぜながら肉を探す男たちの姿を横目に女兵士が話しかけてきた。


 「改めて紹介しよう。私はクリーシャ・ニーラ、アレクティア聖龍国軍(せいりゅうこくぐん)で小隊長を任されている。そして君の目の前に座る(うるさ)いのがガウル。その横の目つきの悪い奴がリエンだ。隊員は他にも居るが、今回は私たち三人が主軸となって任務に就いている。」

 

 ニーラと名乗った女兵士は、食事を終え器を地面に置き口元を拭く。向かい側では二人の男が我先にと自身の器にスープをつぎ足していた。

 ニーラさんは何かを促すように私を見つめる。依然彼女の細い目は鋭かったが、睨んでいるより微笑みに近いと思えた。

 

 「えと……ヨグジュ村の舞い手、アシェ・ロートです。助けて頂きありがとうございます」


 昨日の非礼を詫びる想いと乗せて感謝を述べ頭を下げる。

 返事が帰ってこない。

 もしかして昨日の態度を思い出し怒っているのでは……そう思って恐る恐る顔を上げると、三人の兵士は珍獣を見るような目で私を見つめる。


 「マジもんの姫様じゃねぇか」


 と呟くガウルさんの声が聞こえた。

 

 「はい?」


 私は村の長の家系だが、別に姫ではない。

 私の疑問に答えるようにリエンさんが口を開く。


 「龍神によって舞い手に選ばれた者は神殿に迎え入れられ、神の名のもと王族と同等、あるいはそれ以上の待遇を受ける。何せ神直々(じきじき)の選択だからな。あなたが舞い手なら信託を告げる神殿の使者に会っているはずだが……」


 選ばれる?選択?何のことだろう。

 舞い手は神官のような立ち位置で神事(しんじ)の際、神に踊りを捧げる踊り子として祭壇に上がり踊りを奉納する。

 人々の祈りを踊りを通して神に伝える、神事の(かなめ)となる存在だ。

 私は幼い頃から舞い手として育てられ、数年前から年に一度の祭りの最終日に祭壇で踊りを捧げていた。

 そのことを三人に説明する。

 

 「舞い手として育てられた?」

 「神殿の連中に何か手違いでも起きたんだろ」


 ガウルさんが適当に言い放ち、自身の器にスープを補充したが、リエンさんはそれ以降、難儀な悩み事ができたように黙り込んだ。

 しかし外にも舞い手が居るという事実は興味深い。

 どんな舞いを踊るのだろう。一度観てみたいと思った。


 「あの……神殿の舞い手に合うことは出来ますか?」

 「ん?ああ、出来るよ。ただ今は代替わり中だからね。ロートが神殿に行けば引継ぎの際会えると思うよ。もっとも、本当に舞い手だったらだけど。まぁまさか任務の最中にこんな偶然が起きるとは予想外だった」


 リエンと同じように難しい顔で話を聞いていたニーラさんが答える。

 彼女も疑問は残れど、考え事は部下に一任したようだった。

 どうやら私が神殿の次期舞い手になるらしい。


 「王族と同等の存在でも会えるんですね」

 「厳密に言えば王族でもないし、民に会って祈りを聞く事も仕事の一環だからね」

 「じゃあ、神殿に舞い手候補は何人いるんですか?」


 私の問いに、ニーラさんは面白い冗談を聞いたかのように笑った。

 

 「龍神の選択を受けるのは歴史上いつ、どの時代でも一人だよ。それに神の意向を先んじて把握なんて出来ないしね」


 すれ違う情報に頭に疑問符が浮かぶ。

 それはおかしい。だって


 「でも、村に舞い手は私の他にも複数人居ましたよ?」

 

 食器を片そうと手を伸ばしたままニーラさんが凍り付く。

 他の二人に目を向けると、そちらも同じように固まっていた。

 ガウルさんの手から器が落ちて赤いスープが大地に散らばり、中の具材がコロコロ転がって行った。

 

 「舞い手が複数居るって……聞いたことあるか?」

 「無い。神殿の教えでもその様な内容はなかったはずだ……」


 (うな)る二人と凍てついた一人。

 全員が衝撃を受け動けないでいる。

 

 「と……とりあえずこの話は後にして、そろそろ出発しましょう」


 リエンさんの言葉で三人は再び動き出す。

 あぁ、と短く返事をして彼女は天幕の方へ足を運んだ。

 

 「姫も天幕で休んどきな」

 

 (うなが)されるまま私もその場を発った。



 そっと天幕の入口を開けると、ニーラさんは既に鎧を装備していた。

 彼女は私を見つけると、入ってくるようにと手を仰ぐ。

 椅子に座ると、彼女は血が染み込んだ赤黒い布を新しいものに変えてくれた。

 へばり付いた血が乾き、固くなった布を捨てる。

 

 「傷の治りが早いな。跡は残るだろうが二、三日もあれば動きに支障はないだろう」


 そう言って彼女は私の頭を優しく撫でた。

 大雑把だったけれど、私の髪を分ける手はとても心地よかった。 


 「もう帰るんですか?」

 「いや、今日は被害調査の予定だ。君はここで休んでいると良い」


 ついでに調べる事もできたしな、とニーラさんは呟いた。

 先ほどの事だろうと推測する。

 となれば、彼女が向かうのは……


 「私も連れて行ってください」


 ついて行かなければならない、と何故か強烈に思った。

 ニーラさんは凛とした表情を崩さずに私と目を合わせる。


 「駄目だ。ここに居た良い。それに残党が残っていないとも言い切れない」

 

 正論だ。

 しかし私に折れるという選択肢は無かった。

 

 「行きます」

 「駄目だ。休んで傷を治すべきだ」

 「私の村、私の家です。唯一生き残った私が最期を看取るべきです」

 「うっ……」

 

 苦虫を噛んだような顔でニーラさんが目を逸らす。私の勝利だ。

 負い目に追い打ちをかけるようで多少申し訳なかったが、今はそれよりヨグジュに行く方が大事だ。

 ふぅ、と諦めの混じったため息と共に、彼女は身体を翻す。


 「私は忠告したよ」


 そう言い放ち先行する彼女を追って、私も天幕を後にした。


うちの姫様の旅が始まりました。

一緒に見守ってあげてください。

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