『8』
「お腹空いてきた…。厳密には霊力を蓄えているから空いてはないけれど」
闇の中、狐は呟く。神社に座っている自分を俯瞰して見ている、そんな不思議な光景を前にして狐は考える。
「他の8人は起きたのかなぁ…。もしかして我だけ起きているとかそんなことはない…はず?いやいや、起きてからすんごい時間経ったぞ!寝坊助ばかりか!はぁ…前みたいに玉藻前様に会いたい」
何故だかわからないが身体は動かない。まるで身体と魂魄が切り離されているような感覚。そうなると色々と考える時間があり、身体を手に入れて初めて会った人間達のことを思い出す。
出会い頭…というのはおかしいかもしれないが、それでも矢を放たれ、腕や足に刺さった。あの時は本当に痛かった。だから敵だと思って滅ぼそうとしたんだ。
だけど、そう言えば…あの3人組のうちの女の方は何もしてなかった気がする。それどころか話を聞こうとしてきたような…。しかし、今となっては生きているのかも分からない。そうするとなんだか少しだけ申し訳ない気持ちが浮かんでくる。
「奇抜な格好をした女だったな…。今の世はあれが最新の流行ということかの?昔にお参りに来た者たちは麻服に草履だった気がするが…いやはや思った以上に刻が流れている気がする」
1人でいると色んなことを考えてしまう。あの頃はただ褒めてもらおう、笑顔になってもらおうと必死になって収集したものだ。それが今や散り散りになり、尊敬する玉藻前も消滅してしまった。
「みんなが来るまでが待ち遠しい…。ーーーーーーぐぬぬ、だめじゃ、身体は全く言うことを聞かんぞ」
試行錯誤して身体を動かそうにも全く動きそうにない。ただその身体は霊脈から力を少しずつ吸い取り、何かを待つようにジッとしているだけだ。
「動けたら次は西に行ってみよう。東に行こうとしたら打たれたわけじゃからな。また打たれたら…その時は油断せずに殺そう!」
闇の中で狐はただそう言って色々と試してみるのだった。
やがて夜明けが近づいてくる。森は相変わらず凍土のように氷を張り巡らしていて、森の上で台風のように凍った霊脈が渦巻いている。
寒さで起きた者もいれば、いつもの定刻だと背筋を伸ばす者もいる。完全に太陽が顔を出した時、2度目の討伐の時間がやってくる。
「昨晩はよく眠れたよありがとうな」
「滅相もない。私もあの一回だけで、なおかつ怪異は現れませんでしたから、よく眠れましたよ」
「にゃにゃ〜!おはようなのにゃ!にゃあは身体ぽかぽかでいい目覚めだにゃ〜」
「この猫娘、私の寝ているところに潜り込んでスヤスヤしてやがったよ…。まぁ、お陰で私も暖かく過ごせたがな」
「私はいつでも動けるよ。じゃあ…九十九、指示お願いね」
1部隊減り、現状で社奉行所からの3部隊と九十九を中心とした部隊と偵察隊は一堂に会する。先日と同じように指示を出す九十九だが、今回は明確な目標を定めて、彼自身も森へと入る旨を伝える。
「先日は1部隊が犠牲になった。だから次は俺も出て、この異変の元凶を鎮めようと思う。作戦は昨日と少し変わるが、基本的には各々の討伐目標を倒すことと、もし…元凶である狐の怪異に出会ったならば即座に帰還するように」
「昨日は成果ありませんでしたからね。我々の未来のために頑張りましょう。そのためにあなた方兄弟を雇ったのですから」
「そうだが、別に倒してしまっても構わんだろ。それが出来ればあんたらも楽ってもんだ」
「いや…狐だけじゃない。見通しの利かない森で鬼や天狗、土蜘蛛も息を潜めているだろう。だから最優先は離脱することだ、それは守ってもらう」
「はいはい、一番偉い雇い主だから一応忠告として受け取っておくが、現場のことは現場で判断するぜ」
「俺たちはいつも通りやって、その上報酬も貰えるわけだからな。命あっての物種だ、そうさせてもらうか」
「私たちも同意見です。とりあえず…カラクリに巻き込まれないように他の方は注意してください」
各々の課題がある中で一応は耳に届いたようだ。…これ以上の犠牲を出さず、この異変を終結しなければ。
「では、期限は日が暮れるまでに。よろしく頼む」
そしてまた今日も森の中へと進軍する。始めに御船、宗左衛門、田門丸は今回馬車にて待機してもらい、昼過ぎに小鈴と飛鷹が戻ってきて宗左衛門と田門丸がその役割を変える形で話を進める。単独で交代は不測の事態に対応できないためそのような形となる。御船は先日のように森の外から来る怪異に対して警戒網を張ってもらうことになった。
他の部隊を見送った後、九十九達も出発する。一歩森に踏み入れるだけで世界は変わる。奥に進めば進むほどに氷のオブジェのように樹々は立っていて、視界も若干悪い。太陽の光で溶けて蒸発でもしているのか霧のようなモヤがかかっている。
「正直…これで決めないと今後は難しいぞ」
「兵站はあるけれど…成果を上げれないと士気も下がるし、何よりこの気温…いつ凍傷や低体温症になってもおかしくないからね」
「それに加えて未知が多すぎるな…。実際、今歩いている所も鬼の縄張りなのさ。でも、隠れているのか全く気配も感じない」
「にゃあの【気配察知】でも引っかからないにゃよ。少し遠くに盗賊部隊がいるってちょこっとわかるくらいにゃ」
「私の方はこの森だと若干足手まとい感は否めないですね…空を飛べないので。ですが、【遠視】があるので役に立てばいいのですが」
魔獣の森【薄氷】は思った以上に広い。西紀城に向かうにせよ、この森か海上、山脈のいずれかを避けることは叶わない。最短でかつ危険なこの森を、船での怪異遭遇はあるものの比較的安全にいくなら海上を、翼獣人の助けや道の開拓されている山脈を通る他ない。
九十九も玉藻前のことについては六花からその昔のことを聞いた。それにより西紀城と美鶴城の交易が断絶されたことも。なんにせよ、より多くの助けを借りるなら、この森の踏破、異変の鎮圧は必須条件である。来るべき戦いの時に備えるなら…だ。
しばらく一行は歩くと、九十九は手を横に振って静止を促す。
「…みんな止まってくれ。怪異の気配を察知した。恐らく天狗の集団だろう。木の中にいるのか、何体かいるのが分かる」
「へー、九十九も【気配察知】が使えるんだな。それにしても偵察隊といい優秀な人材が揃っているな」
「にゃあより精度が高いのがやるせないにゃ…」
九十九が指差す方向には大きな樹がそびえ立っており、距離は約2町。メートルなら220メートルにもなる。その中腹の少しばかり膨らんだところに固まっているそうだ。
「では、牽制は私がやりましょう、弓でつつけばこちらに来るかと」
「いや、私に初撃をやらしてくれ。天狗の姿は見えないが、銃弾ならあれを貫通することも容易い」
「よし、それで行こう。七海と小鈴も備えていてくれ。敵は右斜め前の樹木中腹辺りの膨らみにいると思う。じゃあ…作戦開始」
「おーけー、まかせてよ」
「わかったにゃよ!」
「早速いこうか…!【精密射撃】!」
まずはターンッと身体を震わす甲高い音を撒き散らすと銃弾は木を貫通して当たってしまったのか慌てている様子の天狗たち。ぞろぞろと外に出てきてこちらを視認すれば、3体の天狗が木々を飛び移るようにこちらへと敵意を向ける。
「当たれば御の字ですが…!!」
弓を引き絞り輻射するように3本まとめて放つ。ちょうど木から木へと移動する1体の足に刺さって体制を崩し落下する。
残りの2体は木の上で扇を振り風を巻き起こしこちらに攻撃を仕掛ける。それには礫が仕込まれており縦横無尽にばら撒いてくる。
しかし、それが到着する前に七海と九十九は大きく跳んでいた。小鈴は一歩遅れたようで後ろに下がり回避行動を行う。
「落ちたのは任せた!…【壁走】」
「うんーーーーーー【疾風突き】!!」
落ちてきた天狗は地面に落ちれば跳躍しようとしていたのだろうが、その落ちるまでの数秒で七海は剣先を前へ置くように構えると、速さを損なうことなく天狗の胸元に突き刺さる。血飛沫が後ろにある木へ散乱すると、七海は鍔まで刺さった刀を引き抜き、それに上書きするようにへばりつく。
九十九は七海に任せて木の上まで走り出す。【壁走】をすることで重力に逆らうことなく駆け上がる。
「これは…この前、九十九がやっていたことにゃ!」
「すげぇな、人間って木を走れるんだな」
やがて天狗の所まで辿り着くと、手前にいる天狗には足払いをして回し蹴りをお見舞いすると、それは狙ってやったことなのか、小鈴の目の前まで飛ばされてしまう。しかし、天狗も一瞬を見逃さず、すぐさま反撃しようとする。
「おっと…危ない!」
木に残ってしまった天狗は扇を振り風を起こして距離を取ろうとするが、九十九はその予備動作から脱力し、対峙している木の枝を膝を支点にして、一瞬のうちに風をかわす。そして、落ちる勢いを利用して一回転し、再び天狗の目の前に立つと指を折り曲げ、天狗の頭に右掌をかざす。
「さて…これで終いだ、【掌底無拍子】」
架空兵器としてよく名前の上がるパイルバンカーのように、全身の身体をフル稼働させて、ただ一点を貫く掌底撃。
曰くそれはまるで砲撃、それは浪漫。脳髄をぶちまけてゆらりと力なく自由落下すると、どしゃりと地面に吸い寄せられた。
「これで終わりにゃ!」
一方の飛ばされた天狗は小鈴の右足にて上へと飛ばされると、その後ろに構えていた六花が狙いを定める。
「いい位置だ…【銀弾破魔】!!」
銃身に霊力が宿り、それを火薬の炸裂と共に銃弾は運動エネルギーの尽きた宙に留まる天狗の元へと飛んでいく。そして爆発四散。血の雨を降らして決着となる。血に濡れないように小鈴はそそくさと下がり、六花とハイタッチを交わす。
「まさに狙い通りにゃよ。なかなかやるにゃ!」
「へ、猫娘こそよくあそこに打ち上げたもんだ」
パシンと乾いた音を鳴らし、こうして天狗の討伐は終了するが、あくまでも最終目標は狐であるため、消耗することなく勝利を収めたことに九十九はそっと胸を撫で下ろした。




