55. 抑えられない衝動
ミレイザは町にもどり噴水広場の長椅子に座ると、ぼーっと風景を眺めた。空は晴れていたが雲がその日差しを隠そうとしていた。
「アリッサさーん」とそこへラルドがミレイザを見つけて駆け寄ってきた。
「アリッサさん、もう用は済んだの?」
「ええ」
「なにか買ったの?」
「野菜とお花を」
「へぇー、野菜を花を買ったんだ」
「ええ、そう」
どこか元気のないミレイザを見ながらラルドはわざと明るい声を出した。
「アリッサさんて料理つくるの?」
「え?」
「野菜を買ったんでしょ」
「ええ、すこし」
「へぇーすごいなー、ぼく料理なんてしたことないよ」
「家の手伝いで、すこし習ったから」
「ふうん」
「そろそろ帰りましょう」
「ん? うん」
こうしてふたりはダリティアまで帰っていった。
ミレイザは母親のことを想いながら空を見上げる。雲が分厚くいまにも雨が降りそうな空。そんな空を見てミレイザは愁色を濃くした。
ダリティアに着きラルドに依頼料を渡すため残高を確認した。
「今日は盗賊とか狂獣に出会わなかったから、1000リボンでいいよ」
「そう、わかったわ」
ミレイザは1000リボンコインを取り出してラルドに渡した。
「まいどあり、またぼくを雇いたくなったらいつでも言ってよ」
「ええ」
ラルドはさっそうと駆けていった。ミレイザは彼の背中を見送ったあと骨董屋へと向かった。
骨董屋に着き店の中に入るとマビポットは客と話し合っていた。それがすむと彼女はミレイザを見るなり「やあ」と声をかけてきた。
「今日はどうした? あ、そうそう、お金のほうがまだだったね。今日アメズイスの杖を依頼した人が来てさ、報酬のほうをもらったからアリッサに……」
マビポットは残りの分のお金をミレイザに渡した。
「また、なにか依頼が来たらそのときはよろしく」
「は、はい。あのう」
「ん、なに?」
「モンスターの体をふつうの人間にもどせる薬とかってないですか?」
「え? もんすたー」
「あの、その……」
ミレイザはどう言っていいのかわからずに下を向いた。
「モンスターを人間にする薬ねぇ……」
「はい」
「まだモンスターがいたときの話、そういったものを開発していると聞いたことがあるけど、でも、それを開発途中で大魔王が仕留められたから、その話はなくなったんじゃないんかな」
「そうですか、それはどこで開発されていたんですか?」
「クロバー研究所」
「くろばー?」
「この指輪を開発した組織さ」
「場所はどこですか?」
「まあ、教えてもいいけど、どうしてそんなことに興味津々なんだ? モンスターがはびこっているわけでもないのに」
「それは……」
マビポットはカウンターにまえのめりになりながらミレイザの顔をのぞき込んだ。ミレイザは答えに困り、口を閉じる。自分がゾンビだからとは言えない。
もっともらしい理由を考えているがなにも浮かばなった。
「モンスターはこの世から消えた。それは事実だから、もうそれにおびえる必要はないよ。それでもそのモンスターを人間にする薬が欲しいって言うなら、言ってもいいけど、まさか友達か知り合いがモンスターになっちゃった。なんて言わないよね」
「え、ええ、ちがいます。護身用に欲しいだけなんです」
「護身用? もし、なんらかの原因でモンスターがあらわれたとして、それがアリッサを襲ってきたとき、そこでその薬を使おうってこと?」
「はい、まあ」
「それよりも、なにか武器とかのほうがいいんじゃないの? まだまだ武器屋や防具屋は商売をつづけているからね」
「武器はちょっと扱えなので、むずかしくて」
「ふうん、そう、でも研究所へ行ったところでその薬があるかわからないよ。それに、追い返されるかもしれないし。コネがないとね」
「コネですか……わかりました。ありがとうございました」
ミレイザは骨董屋から出て行こうとした。マビポットは彼女のどこか寂しそうな背中を感じて、呼び止めた。
「あ、ちょっと」
ミレイザは振り返りつくり笑いをうっすらと浮かべた。
「モンスターを人間にする薬、依頼を出しておこうか?」
「へ?」
「ほら、ここで依頼を出しておけば誰かがそれを見てさがしてきてくれるって話」
「ぜひ、お願いします」
「じゃあ依頼料なんだけど、いくらにする?」
「あの先ほどもらった2万リボンを返しますので、それでお願いします」
「えっ? いいの? たしかに依頼料が高ければそれなりに多くの人は引き受けてくれるけど……」
「お願いします」
ミレイザの真剣な頼みにマビポットは快く受け入れることにした。
「わかった。2万でその依頼を出しておくよ」
「ありがとうございます」
ミレイザは店を出て歩き出した。この体を治したいと思う気持ち、自分が人間ではないという気持ち悪さ。それらは彼女の中で強くなっていった。
早くどうにかしないと……。
酒場の前を通りかかったとき、ピサリーが酒場に入ろうとしていた。ミレイザは彼女を呼び止めた。
「ピサリー」
その声にピサリーは振り返った。疲れているように目を半開きにしながらミレイザを眺める。
「いたのか。おまえも寄るか?」
「ええ」
ふたりはいつもどおり席に着くといつものように注文して食事をはじめた。
ミレイザは水を飲みながらピサリーをちらちらと見ていた。ゾンビの体を治す約束は? いつまで待てばいいの? そんな思いを彼女にぶつけたいが、ミレイザにはできなかった。だが、体が震えはじめている自分を抑えることができなくなっていた。
もう、ふつうの体にもどりたい。その衝動だけは抑えきれなくなっていた。
「ぴ、ピサリー」
「ん?」
「わたしの体を治す約束」
「なおす? ああ、いつかな」
「もうすこし早くできないかな」
「できるわけないだろう」
「どうして?」
「あたしは魔法の練習で疲れているんだ。その話はあとにしてくれ」
もう待てない。もうこんな体、嫌だ!
ミレイザはイライラしてきた。それはとても憎むような感覚が体を覆うように。その衝動に駆られてドンっとテーブルを叩いた。ピサリーとその周りにいる客たちは驚きを見せて、その場に沈黙が走った。
「わたしを治して!」
「あ?」
ミレイザの中に眠る者が動き出してピサリーの首をつかみ上げた。彼女の目からは血の涙があふれる。
「わたしを治してよ……」
その絞り出すような声を聞いたピサリーは、急なできごとに対応できずただ苦しい顔を見せた。窒息死しそうになるまえに、ピサリーは杖を出して刹那を使った。
とたんにザーザーと降りしきる雨の中。そこは酒場の前だった。
誰にも見つからないところへ移動したかったが、苦しすぎてそれ以上遠い場所へは移動できなかった。ピサリーはすぐさまミレイザを引き離すために、二段階目の火の玉を放った。
首をつかんでいた手は熱と圧力により引き離され、お互いが吹き飛ぶように離れた。ミレイザは地面に倒れ、ピサリーは壁にぶち当たった。
ピサリーは背中の痛みをこらえながら体勢を立て直すと杖をミレイザに向けた。首には爪あとが赤い線のように残りそこから血がにじんだ。
「どうしたんだ?」
遠くのほうで燃えながら倒れているミレイザをにらみながら言うと、ピサリーはこうなってしまった状況を考えた。
今日はミッドラビッドに行ったはずだ。そこでなにかあったのかもしれない。
たしか母親に会いたいと言っていたな。
ピサリーはそこまで考えると、なんとなく事情がわかった。
……あいつを正気にもどすにはアレしかないか。
ピサリーは以前、ミレイザが寝ているときこっそりと足の指に浄化の魔法をかけてみた。すると、指はふつうの肌色にもどったのだ。しばらくするとまたもとどおりにゾンビの皮膚にもどった。
それを見たピサリーは、浄化を使えばミレイザは人間にもどってしまうと思った。だから、浄化は彼女にかけないようにしていた。
毎日ミユウをあびているのにゾンビのままなのは、水の混じった少量の浄化では効果がない。あびてもすぐにもとにもどってしまう。だからミレイザ自体自分の体の一瞬の変化に気がつかない。
つまり、高密度の浄化でないと役に立たない。
そんなことを思いながら『だれがもとにもどしてやるか』と、ピサリーはほくそ笑むのだった。
浄化を使わずにミレイザをもとにもどす方法はないものかとピサリーは考えたが、学園での練習がこたえているため、魔法がすでにつきかけていた。そう、使えるのは刹那と浄化くらいだった。
ミレイザは火をまとったまま立ち上がる。それから、一瞬でピサリーのところまで近づいた。ミレイザの鋭い爪がピサリーに向かってくる。刹那を使いそれをかわすと浄化の魔法を放った。だが、ミレイザはそれをよけてふたたびピサリーを攻撃しようとしてきた。
刹那を使い、いったん屋根の上に移動し考える時間をつくった。ミレイザは目を赤く血走らせながらあちこちと首を動かしている。雨の中、町を行きかう人々は少なくミレイザを見ては驚きを見せて逃げていった。
……このままだとらちが明かない。下手するとあたしの力が尽きてしまう。
ミレイザに受けた傷だけでも治そうとクロバーの指輪を確認してみるが、回復薬はひとつも入っていなかった。回復薬をその場で買うことができたが、値段が高いためピサリーはそれをしなかった。
ミレイザの状態を見てみると、ゾンビ化が前よりもひどくなっていた。皮膚は青黒くなっており、そして、すこしやつれていた。
前のゾンビ化がハーフゾンビ、つまり人間とゾンビの半分だとすると50パーセント。いまの状態は正気を失っていてもほかのやつを襲ったりしていない。だから、たぶんゾンビ化は70か80パーセントだろう。このまま放置しておくと取り返しのつかないことになってしまうかもしれない。
そこでふとピサリーは思い出した。学園でロジリッチに言われたことを。
『もうすぐ、あなたに降りかかる』
『それを早く手放したほうがいい。でないと……』
首の血が雨に濡れしたたり落ちる。
ピサリーは一か八かの賭けに出ることにした。
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