26. 少女期のあやまち
次の日。
「おい、起きろ」
ピサリーの声でミレイザは起き上がった。彼女はベッドのわきに立って眠そうな顔を向けている。
「あたしは学園に行くから、おまえは骨董屋の女を見張っていろ」
「朝から見張るの?」
「ん? ああ、たぶんずっと骨董屋にいると思うけど、もしかしたら約束をすっぽかすかもしれないからな」
「骨董屋にいるんならわざわざ見張らなくても」
「わからないぞ。今日は骨董屋が休みだったり、店番が違ったりしているかもしれないからな」
そう言って、にんまりと笑みを見せて腕組みをしながらしめしめとあごに手を当てる。ミレイザは困ったように眉根を寄せて目をそらした。
「もし、ピサリーの言ったとおりになったら? いなかったりしたら?」
「そうなったら、ミレイザ。おまえが聞き込みをしてさがし出せ」
「わたしが?」
「そうだ」
なにかを頼られているまなざしをピサリーは向けた。ミレイザはまた誰かにだまされてしまうのではないかという不安がため息交じりに流れた。
「でも、学園は午前中までなんでしょ? だったら一緒に」
「今日は都合悪く一日中になる。ローゼリスのやつが課外授業の一環でなにかをやるらしい」
ピサリーは面倒くさそうに言うとため息をひとつついた。
「一日中?」
「そうだ、だから今日は遅くなる」
「じゃあ、そのあいだわたしがずっとマビポットさんを」
「そうだ」
ミレイザはうつむいた。こういったことで頼られるのが自分にとってつらいと感じてしまうのだ。うまくできるかどうか不安になってしまう。起きてもいないこをあれこれと考えてしまい、悪いほうへ悪いほうへと行きついてしまう。
ピサリーは学園に行かなくていい彼女に嫉妬をしつつたずねた。
「なんだ、なにか予定でもあるのか?」
その問いにミレイザは顔を上げた。すると昨日ハンガーにかけた自分の服が目に映る。それは弱々しく、元気なくそこにかかっていた。
「あ、うん」
「……そうか」
ここでミレイザの機嫌を取っておけば、後々これをネタにできるとピサリーは思った。
「いいぞ、それを済ませてからでも」
「ほ、本当?」
「ああ、ただし気をつけろ。おまえをだますやつはそこら中にいるからな」
「うん」
その返事を確認するとピサリーは部屋を出ていこうとした。ミレイザは言い忘れたことを思い出して彼女を止めた。
「ピサリー」
「あ?」
「この指輪の中にあるお金……」
「ああ、使ってもいいぞ」
「いいの?」
「あたしはあたしのやつを持っているからな。盗賊からうばったものだが。おまえはそれを使え、額は少ないが足りるだろ。なにに使うのか知らないが」
ミレイザはほほえむと自分の人差し指に嵌めてある指輪を見つめた。
「ありがとう。それと連絡はどうするの?」
するとピサリーは人差し指を上に向けて見せた。クロバーの指輪が光に反射して輝く。
「指輪を使う」
「指輪?」
「そうだ、クロバーの指輪同士、連絡を取れるのを知っているよな?」
その問いに対して、ミレイザは険しい顔を見せながら首をかしげた。
「知らないのか?」
「うん、指輪を身に着けたこと自体なかったから。でも学校ですこし習ったことあるわ」
「そうか。じゃあ、あたしが連絡をする。そのとき指輪が振動するから、それにふれろ。そうすればあたしの映像が出るはずだ」
ミレイザは半分わかったふりをしながらうなずいた。それを確認してピサリーは部屋を出ていった。
子どものように一から十まで教えてもらおうはしなかった。会話でいつもわからないことが出てくると、迷惑をかけたくない、話を先に進ませたいというあせる気持ちが先走り、ついついなんとなく理解しただけでうなずいてしまうのだ。そうやって回避しても後々面倒なことになるとわかっていても、体がそういった反応をしてしまう。
ミレイザはそんな自分に小さなため息をついた。
ひとりになった部屋を見まわす。穴の開いた服がハンガーにかかっている。ミレイザはそれをあらためて確認すると眉をひそめた。
服を修理してくれる場所があればいいけど……。
前にクリーニング屋に誘われてお金をだましとられたことを思い出した。人と妖精が手を組んで嘘をつかれたこと。ただ、服はちゃんと直してくれていた。だからそうなったけどうれしかったのだ。ボロボロの服が直っていること自体が。
ミレイザは身支度を整えると服を指輪に入れて宿屋をあとにした。
外に出ると日の光が目をくらました。町の人たちはまだまばらでとおりは閑散としている。修理屋をさがすため歩き出した。町の真ん中にある噴水広場まで行き辺りを眺める。すると、子どもたちの笑い声がどこからか聞こえてきた。そのほうへ目を向けると、花屋を曲がりどこかへと男女数人の子どもたちが歩いていく。
身なりはそれぞれ制服を着ている。一瞬妖精たちかと思ったが、人間の子どもたちの集団だった。
制服の左胸辺りに花と剣のダリティアブローチがついている。ミレイザはそのブローチを見て、それがなにを意味するのかがわかった。
それはこれから学校へ登校する子どもたちを意味していた。ブローチは学生を意味して、学校へ入る通行書でもある。ダリティア国内にある学校ならば学生はみなそのブローチをつけなければならない。
学年によりブローチの色は異なる。学年が一番下なら黒。一番上なら白のブローチになる。それは虹色みたいにだんだんと明るめの色に変わっていく。
6歳までは親が読み書きを教えており、7歳になれば学校へ通えるようなる。7歳から15歳までの9年間の教育を受けることができる。お金を払えば誰でも学校に入学できる仕組みで、入学時の1年目は100リボンからはじまる。学費の高さは1学年上がるごとに50リボンずつ増えていく。
そのため、学校を卒業したいときはいつでも卒業できる。
学校へ通わなくても問題はなく、家計に余裕がなければ親が子どもに勉強を教える家庭も多い。支払える資金があったとしても強要はされない。子どもを入学させるかさせないかは親が決める。
ミレイザは自分の学生時代を思い出した。ミッドラビッドでも学校はあり、同じように左胸にブローチをつけて通う。町の外をモンスターがうろついていたため、そのときは専属の冒険者をふたりほど護衛としてつかせた。
学校ではモンスターと戦える教師がひとクラスにふたりほどついて生徒たちの面倒を見る。学校のまわりには専属の冒険者数十人が護衛として見守っている。モンスターが町に入り学校まで攻めて来たときは、彼らによってすぐさま退治された。
教養と戦闘を主に学ぶ。自分の身は自分で守れるように戦闘訓練はとくに力を入れていた。
ミレイザは戦闘の授業がとくに嫌いだった。訓練がはじまると彼女はすぐに縮こまり膝を抱えて座り込んでしまう。体を震わせて下を向く。誰かとの組手になるといつもそうなってしまう。
「ロティーリス。訓練にもどりなさい」
先生の声を聞いても黙って下を向き立ち上がろうとはしなかった。見かねた先生は強制的にミレイザを立たせて戦闘訓練に参加させた。だが、すぐに膝を抱えてしまう。そのためミレイザと相手になった生徒はひとりで訓練をするはめになってしまうのだ。それは学年が上がっていっても直ることはなかった。
同年代の生徒はミレイザと組まされることが嫌だった。「ロティーリスとかよ」となかば怒らせつつ罵ってくるが、ミレイザは相手と目を合わすことさえできなかった。
先生からは相手の目を見るようにと注意しているが、目を下に向けてうつむいてしまうのだ。
もともと無口な性格だが、こういったこともありますます孤立していった。
中には優しく声をかけてくれる生徒もいるが、それでもなにも言えないくらい、恥ずかしさと恐怖感が胸の奥底から這いずりだしてくる感覚に襲われてしまう。
声をかけてきた生徒は無視されたと勘違いをされて彼女から離れていった。
そんなミレイザにある転機が起きた。それは戦闘訓練でいつもどおり膝を抱えて授業を放棄していたときのこと。ふと、ある男子生徒一組に目を止めた。体格差のある彼らが組手をしていた。そのふたりが並ぶと身長差があった。
背の高い生徒ボルと背の低い生徒ゼノンが組手をはじめる。ゼノンは果敢に攻撃をしかけていった。ボルは余裕の表情で適当にあしらっていく。
しばらくその組手がつづいたあと、勢いあまってゼノンはボルの顔を殴ってしまった。
「……ごめん」
ゼノンは謝った。しかしボルはそれを聞かずにいきなり殴り返した。それは、一度ではなく何度も何度もゼノンの顔にこぶしをぶつける。
それを見たミレイザはわなわなとしはじめた。その殴られている光景がスローモーションのように映って見えた。息をのみ目を見開く。
馬乗りになりボルは殴りつづけた。ほかの生徒たちは自分たちのことで精一杯なため、たとえ気がついたとしても止めに入らなかった。
ミレイザは誰か助けに行かないのかと辺りを見まわした。生徒たちは戦闘訓練に集中しているため誰も気づかない。先生に目を向けるとほかの生徒に指導していて見ていない。
ふたたび目をもどすと、ゼノンのほうは抵抗せずにぐったりしてきている。それから、手をのばしてそこから逃げようと首を横へ向けた。そのときミレイザと目が合った。
ゼノンはなにかを必死に訴えているように、口をパクパクしながら手を必死でのばしていた。
ミレイザはそれでも誰か助けに行かないのか辺りを見まわした。が、誰も気づかない。そして目を彼にもどすと手がぐったりと地面に倒れていた。
その瞬間、体中を熱がめぐった。それと同時に冷や汗が流れ、居ても立っても居られなくなり、彼を助けに行こうと立ち上がった。すると先生が突然笛を鳴らした。甲高い音が校庭中に響く。先生は一方的に殴りつづけているボルを止めに入った。
後日、なかば強制的な毎日にストレスがたまり、ついやってしまったとボルは言う。それからゼノンに謝った。しかし彼はうつむいて言葉を返さなかった。それは殴った張本人を目の前にすると、全身が震え吐き気を感じてしまうからだ。
それから、ふたりはクラスを別々にされて授業を受けることになった。
ミレイザは彼が助けを求めて自分を見ていたのに、すぐに助けに行けなかった後悔が何年たっても消えず、その光景がいつでもよみがえるように残ってしまった。
それ以来、ミレイザは笑うのをやめた。胸の奥底で消えないあやまちが呪いのようによみがえるたびに、自分をいましめるのだ。
ふと我に返りミレイザはいつの間にか近くの長椅子に腰を下ろしていた。登校する生徒たちが楽しげに歩いていく。彼女はその光景を遠い目をしながら眺めた。
もう、あのころにはもどれない。いままでの経験を積んだ状態であのころに帰れるのなら、迷わず彼を助けに行くだろう。そう思いながらミレイザはこぶしを強く握りしめて唇をかみしめた。
はっと気づいて立ち上がった。こんなことをしている場合ではないことを思い出し、服を直してくれる店をさがすため歩き出した。
町は目覚めたかのようにさっきよりも人が行きかい、にぎやかになっている。
ピサリーからの頼まれごともあるので、急いで事を済ませるために町の人に聞くことにした。だが、いざ話しかけるとなると勇気がいった。それは、自分のゾンビという姿がほかの人に知られてしまうのではないかということが、つねにつきまとっているからだ。
だから、ためらってしまう。ただ声をかければいいだけなのに体がすなおに言うことを聞かない。
ミレイザは建物のはしに立ち行きかう人々を静かに見送った。
よくよく考えてみると人に話しかけるということ自体が勇気のいることだった。普段誰かに話しかけるということはほとんどないため、彼女はそれすらも恐怖を覚えてしまうのだ。
無視されたり、面倒そうな顔をされるかもしれないという思いがよぎり、声が出せない。前はピサリーがそばにいたからそれに押されて話しかけることができた。しかし、いまはいない。
勇気の持てぬ自分にため息をつき、できるだけ声をかけやすそうな人をさがすことにした。しばらくさがしたが、ここで人の行き来を見てるのも変に怪しまれると思ったミレイザは、服屋をさがすことにした。
そこで働いている店員ならたずねやすいし怪しまれない。もしかしたら修繕もやっているかもしれない。
ミレイザはそわそわとしながらそういった服屋をさがし歩き出す。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。




