第7話 出逢いと再会
レイラはアッカー家の家庭教師をクビになった。
疑いは晴れたものの、スキャンダラスな過去を持つレイラを雇おうというものなどいない。
兄からは絶縁を言い渡されたが、ジルはレイラの靴や宝石をこっそり渡してくれた。立場上味方はできないが、多少の同情は感じているといったところだろうか。
おそらく違うだろうことは感じていても、レイラは心の奥でそう思い込むことにした。
自立したいと思ったのは本当だ。
(でも、帰る場所をなくしたいと思ったことなんて一度もなかった)
アッカー氏がこっそりと紹介状を書いてくれたため隣町で職が見つかったが、なぜかそこでも噂が広がり解雇された。村や小さな町の弊害だったのだろう。
どうにかアパートを借りたものの、仕事を続けられない為、わずかばかりの私物のほとんどは生活費に変わった。最後には腰まであった豊かな栗色の髪も売り、最後の家賃と汽車代にした。
(やっぱり小母様は帰っていないのね)
最後の最後にたどり着いたのは、祖母の親友の住む首都だ。人口最大の都市だから、レイラのことなんて誰も知らないし気にしない。久しぶりに楽に呼吸が出来た気がしたけれど、祖母が亡くなった後旅に出たキャデラン夫人は、今も帰っていないようだった。
(これからどうしよう)
レイラに残ったものは、小銭が少しとビスケットが一枚。今身につけている服以外の荷物は、母からもらった靴と、旅用の薄い毛布と小さなカップ、それからお気に入りの本が一冊だけだ。
考えなしに行動するなど、以前のレイラなら考えられないことだった。けれど、世界のすべてが敵になったような場所から離れたかった。好奇の目を向けられるよりは無視のほうがいい。
夫人には紹介状を書いてもらえないか頼むつもりだった。実家という後ろ盾がないレイラにとって、それは就職に絶対に必要だと考えたからだ。
(でもこの街なら、工場の住み込みなんかもできるかもしれないわね)
大きな街だ。家がなくても、どこかの公園で雨風が防げるかもしれない。
幸いキャデラン夫人の家の前は大きな公園だ。四阿もあるし、噴水もある。
季節は冬。うなじが見えるほど短くなった髪のせいで首筋がスースーするため、切るのをあと十センチ短くすればよかったと考え、くすっと笑う。
(思ったよりも高く売れてよかった)
レイラの髪が、たまたま流行の色だったことが幸いした。おかげで、最後に家賃を踏み倒して逃げるなんてことにならずに済んだ。そんなこと、レイラの矜持が絶対に許さないから。でも、それが出来なかった可能性も十分にあったのだ。
ボスに出会ったのはそんな時だ。
薄汚れた子犬は、公園の低木の茂みで小さく鳴きながら震えているのを見つけた。生まれてひと月ほどだろうか。足がどっしりと太く、パッと見ただけで大きく育つことが予想された。周囲を見ても母親や兄弟の姿は見えない。汚れ具合から見ても飼われている子ではないだろう。
すでに日が落ちていたため、仕事を探すのは翌日になる。
「わんちゃん。一人なら今夜、私と一緒にいてくれない?」
小さな命はレイラにぬくもりを与え、心細さが少しだけ減る。宿を探す余裕などないから、四阿と木の間の陰で一夜を過ごすことに決めた。
魔力を使って水を出す。
必要もないため本気で魔力を出したことがないが、レイラの力は生活全般において平均的に役立つものが多い。おかげで生活費を最小限に抑えることができる。家事も得意だから、貯金がたまったらメイドとして雇ってもらえるところを探してもいいかもしれない。いいおうちのメイドなら、独り身の女でも長く働くことができるから。
風の魔法で周囲に壁を作って冷気を少し遮り、火魔法を少しだけ用いてビスケットを温めた。
焚火が出来ればいいのだが、警備隊に見つかって追い出されても困るのであきらめた。
最後のビスケットを子犬と分けて食べ終えた頃、音もなく雨が降り始めた。仕方がないので屋根のある四阿に移動し、ベンチの陰で子犬を抱いて毛布にくるまる。
「雪じゃなくてよかったのかな」
日が昇らなければ何もできない。
「あなたがいてくれてよかったわ」
「くーん」
「あら。あなたもそう思ってくれる? 嬉しいわ」
まだ名前のなかったボスを抱きしめたまま目を閉じる。
冬の公園に訪れる物好きはいない。それでも何があるか分からないから、深く眠らないよう気を付けようと思った。なのにレイラの意識がどんどん遠のいていった。体はかっかと熱い気がするのに、震えが止まらない。
(早く朝が来ればいいのに)
レイラの気力だけでは、栄養失調と疲れと寒さには勝てなかったのだ。
遠のく意識の中いくつもの夢を見た。力強い腕の中に守られ、バリトンの声が何度もレイラを励まし労わってくれる。
「もう心配しなくてもいい。ゆっくりお休み」
(まるでおとぎ話の王子様みたい)
夢の中でレイラは力を抜き、その温かさに身をゆだねた。
気が付くと清潔なベッドで眠っていたことに気づく。見覚えのあるその部屋はキャデラン夫人の家の客室のように見えてレイラは首をかしげた。
(長い夢を見ていたの? それともこちらが夢?)
そこに軽いノックと共に部屋のドアが開き、ボスがレイラのベッドまで一直線にかけてきた。
「目が覚めたかい?」
「小母様。どうして?」
何も覚えていなかったが、あの公園で目を閉じてから七日も経っていたことに驚いた。
「肺炎一歩手前で倒れていたレイラを、この子が助けてくれたんだよ。ねえ、ボス」
なぜかボスと名付けられていた子犬はきれいに洗われ、丁寧にブラッシングされている。甘えるように鳴くボスは、ふさふさの尻尾を振りながらレイラの手をぺろりと舐めた。それは「ぼくえらいでしょ、ほめて」と言っているようで、レイラは彼を抱き上げ感謝を込めてその頭にキスをした。
熱を出して意識を失っていたレイラは、あのままだったらおそらく朝には冷たくなっていただろうと夫人に言われ、ぶるりと震える。夫人から散々お説教されたらしいが、全く覚えていない。
「ボスが、通りがかった人をあなたのところまで引っ張っていったらしいのよ。賢い子ね」
通りすがりの親切な人はレイラを連れ帰り、看病をしてくれたという。
レイラはまったく覚えていなかったが、夢うつつのまま、レイラは夫人の帰りを待っていることを教えたらしい。近所に住んでいるというその方は、偶然翌々日に旅から帰った夫人の元を訪れてレイラに会わせてくれたのだ。
親切な方の名はコリー・スコットという初老の女性だった。