第5話 臨時のパートナーなのだから……
(彼がどうしてこんなところに)
すぅっと血の気が引いたレイラに気づいたカーティスたちが、ほとんど頭を動かさずに素早く周囲を確かめると、レイラの視界から余計なものを排除するかのように、ほんの少しだけ体を動かした。
「失礼」
カーティスが一声かけてレイラの頬の下あたりに手をふれる。その温かさにレイラは自分でも驚くほどホッとした。
「レイラ、大丈夫か? どこかで休憩させてもらおうか。それとも帰ろうか?」
(どうしてこんなに懐かしく感じるの?)
カーティスの視線も声や手の温かさはレイラに既視感を覚えさせる。ずっと知っている親しい人みたいだなんて、そんなはずはないのに――。
「大丈夫ですわ。少し、その、驚いただけです」
彼は何も知らないはず。
今見えた男のことも、レイラの過去も――。
ここにいるのはカーティスのパートナーである、ただのレイラだ。
(彼のそばにいれば何も怖くない)
無意識に浮かんだ自身の声に驚き、心の中でそれを慌てて振り払う。
(私ったら何を考えているの)
たまたまパートナーを務めたことで、無意識に勘違いをしている自分を叱咤する。
今のレイラは誰かの代わりに過ぎないのに……
(どうしてこんなに胸が痛むの)
レイラを見つめるカーティスの目が、頬に触れる手が、気づかわしげな声が――そのなにもかもがあまりにも優しいせいだ。
思いがけない人を目にしたショックよりも、レイラは自分の胸の痛みに衝撃を受けた。
(もう勘違いなんてしないって誓ったのに)
気付けばカーティスからヒナのように守られていたレイラは、彼の向こうでグレンが使用人に何かを指示している声が聞こえた。まもなく苛立たし気に戻ってきたグレンが、
「ここは冷えるから、温かい部屋に案内するよ」
と優しく笑う。
「それとも帰りたい?」
「いえ、大丈夫ですグレン様。お気遣い痛み入ります」
(臨時パートナーである私のせいで、ご迷惑をおかけするわけにはいかないわ)
いつのまにか半分抱き寄せるような形で立っているカーティスを見上げ、レイラは余分な感情をすべて消し、彼のパートナーらしく見えるようきれいに微笑んだ。
「まだお料理も食べてませんし、マーガレット・ハウアーの歌声も聴いていないんですよ?」
ほんの少しだけ口をとがらせて見せるレイラに、カーティスがほっと息を吐く。そして調子を合わせるようにくくっと肩を揺らすと、レイラの額に軽いキスを落とした。
そのあまりにも自然な振る舞いに、笑顔の仮面の奥で素のレイラが硬直する。
(今、私にキスしたの? えっ? まさか、そんな。い、今のはパートナーに対する演技か何かよね。たぶんそう、絶対そう)
「ああ、そうだね、レイラ。せっかくの機会だ。それを逃すわけにはいかないよな。――じゃあグレン。案内を頼むよ」
今自分がしたことなどまったく気にしていない風なカーティスは、一瞬甘やかな笑みを浮かべ、そのままレイラをくるみこむようにエスコートをした。
(旦那様。女性慣れしてるにもほどがありますわっ! これじゃあ私の心臓が持ちません!)
*
グレンが新たに用意してくれた部屋は、大きなガラス窓から中庭を見下ろせる部屋だった。日が落ちた外の景色も楽しめるようにだろう。明かりがぎりぎりまで落とされている。
窓際に置かれた小さめのテーブルに、使用人らしき女性が料理を並べてくれた。
給仕はいらないとグレンが彼らを部屋から出すと、グレン自身もカーティスに二言三言何かささやいたあと「また後で」と出て行ってしまった。
ドアは開いているが、テーブルとドアの間にパーテーションが置かれたため、区切られた空間のようになってしまった。もちろん廊下には人の気配が途切れないし、窓の下も賑やかだ。
カーティスを見れば何でもない顔をしているので、きっと彼にはこんなことも当たり前のことなのだろう。
カーティスのためとはいえ、慣れない状況にドギマギしているのを悟られないよう密かに気合を入れ、ごくごく普通に食事を楽しんだ。珍しい料理も定番の料理もすべてが美味しかった。そして彼との会話も、まるで昔からの友人のように話が弾んだ。
「ありがとう。とても美味しかったわ」
食器を下げてくれるメイドに労うように微笑みかけ、レイラはカーティスに目を戻し、ついまた視線を少し下げてしまう。彼があまりにも幸せそうに見えて、なぜだかレイラの胸の奥がぎゅっと痛んだことに気づかれたくなかった。
途中から完全に、さっきの男のことも、今の自分の立場のことも忘れていた。
何年かぶりで生で聞いたマーガレットの歌も素晴らしかった。
ずっとこれが当たり前だったみたいで、でもこんなことはすべてまやかしだと知っているから……。
(こんな気持ちを覚えたまま、また同じように仕事をするのは難しいかもしれない)
そのことに気づき、きゅっと唇をかむ。
そしてもう一つ。
カーティスはレイラのことを知っていたのだと確信してしまった。
メイドのレイラではなく、一度も名乗ったことのないレイラ・スタンリーのことを。そして昔何があったのかも、きっと彼は知っている。
「だん……カーティス様は、あの男のことをご存知でしたのね」
食事の間避けていた話題を出すと、カーティスはレイラを二人掛けのソファのほうへ導き、そこに並んで腰かけた。
「ああ。知ってたよ。君のこともずっと前から知っていた」
レイラの手を握ったままのカーティスを見ると、予想していたような非難の色はまるでない。むしろ慈しむようなその目に、レイラの目の奥が熱くなった。
「まだ苦しいかい?」
その一言だけで、彼は何もかも知っているのだとわかった。
「いいえ。本当に驚いただけです」
あれは昔、レイラに偽りの愛を囁き続けた男だった。