第2話 小母様、SOSです
「――ってお断りしたんですけどね?」
結局引き受けることになってしまった――。
ため息を吐いてそうぼやくレイラに、マーサ・キャデランが面白そうにコロコロ笑った。彼女の椅子の横にお座りしている大型犬のボスも、追随するように一吠えする。
「おやおや。そこは普通、前のめりで承諾するところでしょうに」
私ならそうするわと目を輝かせるキャデラン夫人につられ、レイラもクスッと笑う。
「だって相手はあの旦那様ですよ? 口笛の一つでも吹けば、美女がより取り見取りで集まって来ますでしょうに。いくら急いでるからって、一介のメイドに頼むことじゃないです」
そう。彼は命令ではなく、レイラにお願いしたのだ。
本当にびっくり。
もっとも、パーティーまで二時間ちょっとしか時間がないとなれば、ご令嬢方の身支度がとても間に合わないのは確かだけど。
(持つべきは、服道楽の恩人様様よね)
同伴することにようやく頷いたレイラを、カーティスはすぐブティックに連れて行くことを提案した。レイラにそんなところに払えるお金はないし、買ってもらえると言っても受け取れるものではない。なのでどうにか説得し、夫人に助けを求めたのだ。
「それでも、歌姫に会えるって言われて了承してしまったわけね?」
クスクス笑う夫人に、レイラはモゴモゴと「それだけじゃないです」と言った。
「だって、会場には自動車で行くっていうんですもの」
ここ何年かで自動車もよく見られるようになったが、馬車しか乗ったことがなかったレイラは一度自動車に乗ってみたかったのだ。
「おやおや。年頃の娘が、男前の誘いよりも、美女と車のほうが上なんてねぇ」
「一度乗ってみたかったんですもの」
欲を言えば運転だってしてみたい。
「その好奇心旺盛なところは誰に似たのかしら? 貴女のお父様は保守的だったのに」
「もちろんおばあ様に決まってますわ」
亡くなった祖母とレイラはよく似ている。だからこそ夫人はレイラがお気に入りなのだろう。
それでも「あんなに立派な男性の同伴者が、私みたいなメイドだなんて」とため息を吐くレイラに、夫人は大げさに目を見開いてみせた。
「ずいぶん年寄りみたいなことを言うのねぇ。王国時代は百年以上も前に終わったのよ? 第一レイラは、れっきとしたスタンリー家の令嬢でしょうに。世が世なら王家に嫁いでもおかしくない血筋よ?」
「おお、嘆かわしい」と、芝居がかった仕草をする夫人の言葉に、思わずレイラは笑い転げる。
先祖をぐーっと遡れば、スタンリー家からは二人ほど王妃を出しているらしい。でもそれはあくまで大昔の話だ。
「お義姉様はそれが誇りらしいですわね」
兄の妻ジルを思い浮かべ、レイラはニッコリ笑う。
家族の誰も気にしていなかったそれに、一番価値を見出していたのがジルだ。
昔の人は今のイリア人とは比べ物にならないほど、魔力が大きかったらしい。その力を繊細に使いこなせる人が王や貴族になったのが王国の始まり。
スタンリー家の人間も昔はそうだったらしいが、両親も兄も魔力は微々たるものだった。唯一魔力らしい魔力があるのはレイラだけだったが、それを知っているのは亡くなった祖母など、ごくごく少数の限られた人だけだ。
そんな祖母の親友だった夫人は、レイラの言葉に小ばかにしたように鼻を鳴らした。
「ジルっ! 私が旅に出ている間にレイラを追い出した女狐ね! 私がそばにいたなら絶対あんなことさせなかったのに。レイラも私にすぐ連絡を寄こすべきだったのよ」
ぷりぷりと怒る夫人に、レイラは笑いながら首を振った。
「いやだわ、小母様。二年前に戻られるまで、どこで何をしているかも存じませんでしたのに。それに家を出たのは私の意志ですよ? むしろ渡りに船でしたわ」
レイラの両親は五年前に亡くなった。列車の事故だった。
当時十七歳だったレイラはリリス学園の学生で、その寮に住んでいた。すぐ故郷に戻るべきか悩んでいたところ、すでに結婚をしていた七歳年上の兄が家を継いだこともあり、卒業までそこで過ごすことが叶ったのだ。
六歳から十七歳まで学校に通う機会のある中流階級とはちがい、上流階級の人間が外で学べる機会は十六歳から十八歳まで。たった二年しか学生生活がないのだ。
自立を重んじるリリス学園で家事も一通り学んだレイラは、学園卒業後、
「もう大人なのだし、立派に独り立ちできるわね」
そう義姉に言われ、(それもそうね)と、素直に家を出た。
スタンリー家はもう兄の代になっているのだし、レイラ自身独立することに否やはなかったから。そういう意味でも、貴重な学生生活の場にリリスを選び、勧めてくれた母には感謝している。
「さて、これでよし。小母様、どうかしら」
夫人から借りたドレスを着て、鏡をのぞき込んでからくるりとまわって見せる。
今のレイラは、パーティーに行けるような服を持っていない。昔は持っていたけれど、家を出るときに持ち出したわずかなものは、ほとんど生活費に変えてしまっていたので本当に助かった。
「やっぱり若いといいわね。とても似合うわ」
「ありがとう存じます。夫人と私はサイズが似てるんですね。あつらえたみたいにピッタリです」
落ち着いたベルベットのドレスはワインレッドで、よく見れば薔薇の模様が施されている。胸元は上品なドレープで、これに真珠のネックレスを付ければとても映えるだろう。
「ボス、どう? 似合うかしら?」
お利口にお座りをしているボスに感想を聞くと、彼は元気に一声鳴いた。バサッと振った尻尾から見て、とても褒めてくれているらしい。
「ありがとう、ボス」
二年前に拾われた雑種犬は、レイラともども、夫人に助けられた仲間だ。
「靴は自分のを使うのよね? その靴ではダメよ。いくら見えなくても、貴女にとって一番いい靴を履かないと」
仕事用のペタンコの靴に眉を寄せる夫人に、レイラはわかってますと頷いた。
「途中で私の部屋に寄ってもらいますから大丈夫です。あの靴は売らないでよかったわ」
一番いい靴は、亡くなった母から最後にもらった誕生日プレゼントだ。
古くから付き合いのあった職人に作ってもらったので、洒落たデザインなのに履きやすく、ずっと手入れをかかさなかった。せっかくの機会だ。きっと靴も喜ぶだろう。
「だからこちらに越してらっしゃいって言ってるのに。カーティスのところに通うのも楽でしょう」
「向こうのほうが身の丈に合ってるんですよ。途中の商店街を見るのも楽しいですし」
「アリシアが見たら驚くわよ」
夫人の親友である亡き祖母の名前を出す夫人に、レイラはコロコロと笑った。
「むしろ応援して下さる気がしますわ――でしょ?」
いたずらっぽくウィンクすると、夫人も「それもそうね」と肩をすくめる。
手早く髪を編み、軽くコテでカールを付けた後れ毛を散らし、最近の流行のスタイルにする。化粧品も借りて久々に化粧もした。パーティーに行く女性としては驚異的な身支度の速さだろう。
「じゃあ最後にこれも付けないとね」
そう言って夫人がレイラにつけてくれたのは、美しい真珠のネックレスだ。
「レイラのは持ってくることが出来なかったのでしょう? これは娘のいない私からのプレゼントよ」
「でも」
真珠は昔から純潔の証。母から娘へと代々受け継がれるそれを、レイラは受け取ることができなかった。
「でもはなし。さあ行ってらっしゃい。土産話を楽しみにしているわ」
にっこり笑う夫人に、レイラは素直に頷いて謝意を述べた。
*
マーサ・キャデランがカーテンの隙間からのぞき込むと、カーティスのエスコートで自動車に乗り込むレイラの姿が見える。
「ふふ。楽しみねぇ、ボス」