第1話 これは聞き間違いですよね?
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レイラ・スタンリーは久々――否、ほぼ初対面にも等しい雇い主、カーティス・ムーアの言葉にきょとんと首を傾げた。彼の後ろにいたカーティスの執事チャドも、驚いたように微かに目を丸くしているのが見える。
レイラが通いの臨時メイドとして、ここで働くことになって二年。
最初に挨拶をして以来、カーティスと言葉を交わしたのがこれが初。その初めての言葉がまさか「パーティーに同伴してくれないか」だなんて、いったい誰が想像するだろう。
もちろんそれが裏方の手伝いであるのなら、わからなくもない。
レイラの業務外の内容でも、一応は理解できる。裏方の人手が足りなくなることなんてままあることなのだから。
でも彼はレイラに、自分のパートナーとして同伴してほしいのだと言ったように聞こえたのだ。
(これは絶対に聞き間違いよね。そんなことあるわけないわ)
レイラは数回瞬きをして、返事を待つようにこちらを見つめる主人をまじまじと見返した。
少し焼けた肌に映える、明るい金髪に濃い青色の目。
『まるで神話の世界から出てきたかのような立派な体躯と顔立ちの男前』――とは、はす向かいのアパートメントに住むレイラの恩人、キャデラン夫人からの評価だ。
十年前に夫を亡くして以来独り身だという夫人は、先月六十五歳の誕生日を迎えたと聞いている。その夫人がいつも、「彼ってすごくいい男じゃない?」と、面白がっているような表情でカーティスのことを評価しているのだ。
(十年若かったら猛アタックしていたのに、とも言ってたけど)
亡くなった夫も年下のハンサムな男性だったと楽しそうに話す夫人を思い出し、レイラは口元に少しだけ浮かんだ笑みがばれないよう、そっと手で隠した。
二十九歳の若き実業家であるカーティスは、その整った顔をレイラに向けたまま、こちらが頷くのを待っているように見える。その断られることなんてないといった風な表情は、上流階級者らしい鷹揚さが見て取れた。
それもそのはず。この国がまだ王国だった頃なら、カーティス・ムーアはかなり上位の貴族であり、貴族制度がなくなった現代でも彼は上流階級の人間なのだ。現代ではあまり使われなくなった魔力も、彼の家系は突出して高かったと聞いている。
レイラの育った家も多少その端くれではあったけれど、今のレイラは令嬢ではなく臨時のメイドにすぎない。
(だから私が彼のパートナーだなんてありえないのよねぇ)
ならやっぱり違うことを言われたのだろうし、確認しないわけにはいかないだろう。
そんなことを一瞬のうちに考えたレイラは、軽く深呼吸をしてから口を開いた。
「旦那様。不躾なのは承知しておりますが、もう一度おっしゃっていただけますか?」
だいたい本来ならもう、レイラの仕事は終わりの時間なのだ。
すでにまとめていた髪を下ろして私服にだって着替えている。これから部屋に帰って、いつも貰って帰る新聞を読む予定だった。
ここで働いていることの特典の一つは、この、カーティスが朝読んだ新聞を持って帰っていいことなのだ。
(今日の目玉記事は、今を時めく歌姫、マーガレット・ハウアーのインタビュー記事なんだけどなぁ)
朝から楽しみにしていたのがちょっぴり顔に出たらしい。カーティスが少しだけ驚いたように目を瞬き、気を取り直したようにもう一度先ほどの言葉を繰り返した。
「今夜のパーティーに、私のパートナーとして出席してほしいと言ったんだが。何か予定でも?」
断られることなど微塵も考えていないのは、彼の表情からもわかる。
(ああ、聞き間違いではなかったのね)
思わず心の中で頭を抱えると、主人の言葉に同じように目を見張っていたチャドも額に軽く手を当てて小さく首を振った。
「旦那様。いったい何を言うかと思えば。ほら、レイラも困ってますよ」
(そうですよ。とっても困ってますから、チャドさん、もっと言ってやってください)
「だが今夜のパーティは同伴者必須だぞ」
(ああ、目の前にちょうど女性がいたってことですか? いえいえいえ、でもどうして私?)
「さようでございますね。だからといって仕事が終わったメイドにそのような無理を言うものでは」
(そうです、チャドさん。もっと言ってやってください)
「いや、彼女なら大丈夫だ」
(大丈夫って何がですか)
二人の会話に心の中でツッコミを入れていたレイラが再び首をかしげると、カーティスがいたずらっ子のようにきらめく目でレイラを見てにっこりと微笑む。
彼が、何を根拠に大丈夫だと言っているのかレイラにはさっぱりわからない。だがその子供っぽい表情に、レイラはつい(あ、可愛い)と思ってしまった。七つも年上の立派な男性に可愛いだなんて、バレたら怒られそうだけど。
思わず口元に浮かんだ笑みをごまかすように、レイラは軽く咳ばらいをする。
ここで働く以上、彼にときめくのはご法度だ。レイラはまだ職を失いたくはない。
カーティスの期待している顔には大変申し訳ないけれど、ここは断るの一択でしょう。
「大変申し訳ないのですが、旦那様。それは私の業務には入っておりませんわ」
おっとりと微笑むレイラに、カーティスの目が真ん丸になった。