壱「じっちゃんの目覚め」
世界は大混乱に陥った。
が、大きな内乱や侵略戦争は発生しなかった。
歌子が世界中のテレビヂョンとラヂオを乗っ取って、
「私は歌子。全ての音子を統べる者。諍いを起こすような不埒者がいた場合、その地の音子を全て停止させるぞ」
と脅しをかけたからである。
何しろ世界はもうすっかり音子無しではやっていけない状況になっていて、放送の直後の一分間、実際に全ての音子が活動を停止したことから、世界中が震え上がった。
「私が各国の元首と話をつけるから、それまで静かに暮らしていろ」
と云う歌子の言葉に、従う他無かったのである。
♪ ♪ ♪
》一九二八年一月二十五日 二時三分 大阪府内の総合病院 ――渡瀬絃悟郎《
長い、長い夢を見ていたような気がする。
「――じっちゃん!!」
目覚めると、目の前に善く善く見知った少女――孫娘の歌子がいた。
心なしか大人びたような気がする。
絃悟郎は、むくり、と起き上がる。
体が驚くほど軽く、胸も腹もまったく痛まない。
周囲を見回す。
どうやらここは病院の個室で、歌子の他には見知らぬ少女と、少年だか少女だか善く分からない西洋人がいた。
「嗚呼、善かった、じっちゃん……」
歌子が泣いている。
「じっちゃんな、もう一年以上も意識が無かったんやで?」
「――何じゃと!?」
それにしては普通に喋れるし、普通に動ける。
以前よりも調子が善いほどである。
これは、つまり――
「歌子、否、お前は……『姫』の方か?」
遠い宇宙の果てからやって来た姫君。
工房の弟子や従業員がお道化て、歌子の振りをするヱリスのことを『姫』と呼び始めたのを機に、自分もまた、ヱリスのことを『姫』と呼ぶようにしたのだ。
「姫? 歌子はお姫様だったのかい?」
少女かと思いきや、少年だったらしい。
西洋人が、まるで声変わりの最中であるかのように、喋りにくそうにそう云った。
「違う違う」
歌子が笑う。
「ウチはただの難民の一人や」
「ってこたァ……全て思い出したのかい、ヱリス?」
万感の思いを以て、二つの人格を有する――かつて有していた、孫娘に問う。
「うん」
歌子――ヱリスが、神妙に頷いた。
「多分ウチ……歌子がいなくなってしもた時に、悲し過ぎて、現実逃避してしまったんやと思う。そんで記憶失くして、自分のことをただ一人の歌子やと思い込んで……」
「そう、か。……儂も同罪じゃよ」
絃悟郎は溜息を吐く。深い深い、八年分の溜息だ。
「現実を見る勇気が無くて、お前が記憶を失ったのを善いことに、お前を本当の歌子であるかのように育てた。歌唱からは遠ざけて、音子回路だけに集中させるようにして」
「ウチが歌姫になりたいって云う度にプリプリ怒ってたんは、そう云う訳やったんやな」
「まァ、女学院にやるだけの金が無いってのは本当のことじゃがなァ!」
笑顔は、しかし長くは続かない。
「じっちゃん、じっちゃんと慕って呉れるお前に対して、事実を告げる勇気が持てなかった。大天使――ヱヲクスがお前を求めて西欧羅巴からやって来て。それに伴って羅馬が欧羅巴を、オスマンを、コーカサスを、中國大陸を蹂躙している様を目の当たりにしながら、目を瞑って見えない振りをし、耳を塞いで聴こえない振りをした。お前はすっかり儂の孫になってしまっていて、今更、お前無しの生活など考えられんかった」
「……本当に、ご免。辛い思いを一杯いっぱいさせてもた」
「お前が気にすることじゃァないんじゃよ――歌子」
歌子、とそう呼んでみせると、歌子が微笑んだ。
「やはり、お前は歌子じゃ。ウタコとウタコ、二人分の人生を生きては呉れんか」
「そのつもりや。じっちゃんも、体の方はすっかり治しといたから、長生きしてや?」
「そうですわよ!?」
とここで、日本人の少女が身を乗り出してきた。眼鏡をくいっと上げて、
「わたくし、撒菱重工業株式会社代表取締役社長の撒菱千歳と申します! Diva Driverの解析及び量産化の計画について是非、先生のご協力を賜りたく――」
「待て、待って呉れ! こちとら病み上がりなんじゃ! もう少し優しくじゃなァ……」
お道化て見せると、歌子が笑った。
可愛い可愛い、孫娘が。
♪ ♪ ♪
》同日 三時十一分 大阪 上空 ――渡瀬歌子《
「で、工房の地下でDiva Driverを見た時に出てきたのは、貴女だったってことで善いのよね――ヱリスさん?」
病院を辞した後、空を飛びながら千歳が聞いてきた。
千歳は、歌子が皇帝から取り上げたDiva Driverを使っている。
新たに千歳をマスターとして登録したのだ。
千歳の歌唱力ではDiva Driverを以てしても瞬間移動を扱い切れなかったので、こうして歌子、フレデリカ、千歳の三人して空を飛んでいるわけである。
警察権は、最早歌子には及ばない。
祖父を起こす前に最低限、日本と羅馬の行政中枢に恫喝しておいたのだ。
「えへへ……まァ、そうやな。ちょくちょくヱリスとしての人格が表に出てたっぽいわ」
「それで、人の記憶を弄ったってわけ?」
「宇宙人やなんて知られたら、怖がられるんちゃうか、とか思たんやと思う」
「はァ~……」
これ見よがしに溜息をついて見せた千歳が、声を数段低くして、
「……地上げ屋の破落戸を殺したのも、貴女ね?」
「……………………はい」
一九二六年十二月十日。
地上げ屋に乱暴され、夜逃げしようとしていた己は、何やら漠然と、『世にも恐ろしいことが起こった』と思っていた。が、実際のところは、自身と祖父の危機に飛び出してきたヱリスが、破落戸たちを歌唱で滅多刺しにしたと云うところなのだろう。
「Diva Driverを回収する為に人を入れたら、溶け切った死体が何人分も出てきて、大騒ぎになったんだから。私でなきゃ揉み消せないわよ」
「……恩に着ます」
「それに、貴女ほどの技量があれば、死体を消滅させるなんてわけなかったでしょうに」
「じっちゃんが破落戸に殴られて、気ぃ失ってもて。無我夢中やったんやと思う」
「つけは払ってもらうわよ?」
「どうやって?」
「フリヰデリケ式でも渡瀬式でもない、威力が桁違いの拡声器! それを振るってデモンストレーションするは、麗しき新世界皇帝ッ!! ウフフ……売れるわよッ!!」
「あ、あはは……千歳は変わらんなァ」
次回、いよいよ最終回です。




