弐「十一年前の出逢い」
》一九一六年十月三日 十三時二十一分 旧阿蘭陀・安特堤 ――とある戦災孤児《
その男は、仏蘭西で傭兵をやっていたのだと云った。
「やって、いた?」
あの『大災害』から一年半。
復興目覚ましいここ安特堤の喧騒を聞きながら、戦災孤児の少年は聞き返した。
「辞めたのさ。新星羅馬帝國の興りからこっち、男の傭兵家業は実入りが減ってしまったし、何より仏蘭西人の妻との間に子供が出来たから」
薄汚れた野戦服に身を包んだその男は、東洋風な顔をしていた。
黒い髪に黒い瞳。
「オスマンの方から来たの?」
斯く云う少年は、如何にもゲルマン人らしい見た目をしている。
金髪碧眼。背丈はまだまだ足りていないが、若干伍歳と云うことを考えれば、成長はこれからと云う物。
「違う。もっともっと遠くからだ」
尤も、この年で戦災孤児の身の上となってしまった己では、この先生きていけるだけの自信もない。
「シナ?」
「清はもう無くなってしまったんだよ」
「ヱ、そうなの?」
「まァ兎に角、娘が出来たのを機に、傭兵は辞めたんだよ。……尤も、その妻も戦火に巻き込まれて死んでしまったけれど」
「でも、その子……」
そう。元傭兵の男は、小さな女の子を抱きかかえていた。
熱に浮かされたように荒い息をする少女。意識は無い。
「生まれつき、脾臓を持たないんだ」
愛おし気に娘の頬を撫でながら、男が云う。
「免疫系が弱くて、長くは生きられない。今日まで生きてこられたのが奇跡なくらいだ。……だから俺は、ここに来た」
二人して、見上げる。
安特堤の一角。
二人が並ぶ長い長い行列のその先に佇む、天を衝くほどに巨大な構造物。
白い体の表面には、無数の顔が張りついている。
大天使。
いつの間にか、この構造物を『大天使』と崇める集団が出来上がり、その集団の教祖だった少女が、ある日突然『新 星 羅 馬 帝 國』の建国を宣言した。
何でも皇帝は大天使サマが背中から噴き出す『小天使』の力を借りることで、神の御業を体現出来るらしい。
実際、羅馬軍は破竹の勢いでその版図を広げている。
皇帝は広く兵力を求めた。
女性か、または幼い男子が善いらしい。
羅馬兵になれば、無敵の体が得られるそうだ。
(だから僕は、ここに来た)
少年は心の中でそう呟く。
(生きてく力を、身につける為に)
その為に、近隣の村々で行われていた羅馬の子供狩りに、自ら望んでついて来たのだ。
(家族はみぃんな死んじゃった。羅馬兵に襲われて奪われて、犯されて殺されちゃった)
そんな、憎くて憎くて仕方がない羅馬に救いを求めるのか?
(……構やしないさ。優先順位の問題だ)
やがて列がはけていき、三人は大天使の入り口に立つ。
「おいおい、男は要らないって何度云ったら――」
戸の前に立つ羅馬兵が苛立たし気に云い掛けて、
「……あぁ、息子と娘に祝福が欲しいってわけだな?」
羅馬兵が納得したように頷き、元傭兵の男とその娘、そして少年を迎え入れて呉れる。
どうも自分はこの男の子供だと勘違いされているらしい……と、少年は判断する。
人種も異なると云うのに。
まァ、ハーフであるところの少女もやや西洋人っぽい顔立ちをしているから、自分のこともハーフだと思われたのだろう。
果たして大天使の中は、何やらサヰエンス・フヰクションめいた様子であった。
壁は全てつるりとした鉄のような物で出来ていて、天井などは無数のパヰプが張り巡らされており、少年にはそれが、生き物の血管のように思われた。
自動車や、村を蹂躙した戦車、それに銃火器などは見たことがある少年であったが、あのような赤さびた物とは違い、大天使内部を構造する材質は曇り一つなく宝石のように輝いていた。
案内されたのは、医療施設のような、あるいは研究施設のような場所だった。
部屋の一つに案内され、少年はベッドに寝かされる。
白衣姿の男と兵士によって手足をベルトで拘束された時には抗議の声を上げたが、「これから神兵になる為の薬を注射する。下手に動いて怪我をすると危ないから」と云われ、しぶしぶ了承した。
部屋の隅、入り口近くの壁には元傭兵の男が娘を抱え、不安そうにこちらを見ている。
――その時、部屋の奥、カーテンの向こうで、ゴトリ、と音がした。
「ウガァァアアァァォォアァオオアオォォォアアアアッ!!」
続いて、獣のような叫び声。
「莫迦なッ、心停止していたはずじゃァ!?」驚く白衣の男と、
「莫迦はてめぇだッ!!」
慌てる兵士。
「糞っ、てめぇ逃げるなッ!!」
「し、心停止ッ!? どういうことッ!?」
少年は恐怖に駆られるが、しっかりとベルトで縛られた手足はびくともしない。
「大丈夫、大丈夫だから」
白衣の男が、大きな注射器を取り出す。
「君が小天使に愛されていれば、最高の喉と、無敵の体を手に入れることが出来る。これは本当のことだよ」
注射器の中には、不気味に輝く蒼白い液体。
「――ヒッ!? や、やめろッ! た、助けてッ!!」
傭兵男に助けを求めようと壁際を見るが、男は既に逃げ出した後だった。
「……じっとしていろ。大丈夫、すぐに終わるから」
白衣の男が、嗚呼、何と云うことだろう、その注射器を、太い太い針を、深々と少年の喉に突き刺す。
「アッ、がぁッ――」
何かが喉に流れ込んでくる。
痛い痛い痛いイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイ――
息が出来ない! 目の前がチカチカと眩しい。
死ぬッ、死んでしまう――ッ!!




