伍「歌子という存在」
》一月十九日 十六時二十一分 酒泉・市街地 ――渡瀬歌子《
「僕の歌は婆の為なんかじゃァなく、歌子の為にあるッ!!」
フレデリカが霧の中で叫んでいる。
歌子の目から見ても分かるほど、彼女の喉が興奮している。彼女の吐く息が、霧の中でもなお蒼い粒子となって舞い上がる。
フレデリカが、大きく息を吸い込んだ。
(もしかして、陸喰い――ッ!? アカンッ!!)
こんなところで大洪水を発生されてしまっては、大量の人が死んでしまう。
フレデリカの殺戮行為を『優先順位の問題』として暗黙の裡に許してしまった歌子ではあるが、それはあくまで過去に限った話である。
目の前で今まさに繰り広げられようとしている殺戮を傍観できるほど、歌子は達観出来ていないし、狂ってもいない。
フレデリカが己に喉を捧げて呉れるのは素直に嬉しいし、己を守る為に手段を択ばず戦おうとして呉れることもまた嬉しい。
嬉しいが、それを殺戮の理由に使われては堪らない。
歌子はたまらず引き返し、フレデリカの手を強く握った。
フレデリカがハッとなり、歌唱を中断する。
「歌子」
「逃げるで、フレディ!」
手を引いて逃げようとする。
「歌子……? ソイツが?」
背を向けようとした寸前、『アレク』と呼ばれた少年が呆然とした様子でこちらを見ているのが見えた。
「お前がフレディを誑かしたのかぁぁあああああああッ!!」
突風が吹き荒れ、霧が晴れた。残り四人の成果隊員が歌唱の力で疾走してきて合流し、伍重唱が完成する。
「「「「「ライラライラライラァーーーー~~ッ!!」」」」」
視界を覆い尽くさんばかりの巨大な火の玉が向かってくる!
「逃げるよッ!」
フレデリカに手を引かれ、歌唱の為に大きく息を吸い込み、――そして。
歌子は、見てしまった。
巨大な火炎の進行方向に広場があるのを。
そこに沢山の人たちがいるのを。
老若男女が逃げ惑う中で、小さな子供が身動きも取れずに呆然としている様を。
今、自分たちが火の玉を避けたら確実に焼け死ぬであろうその子供と、目が合った。
「駄目――ッ!!」
フレデリカの手を振り解き、捌漆式を握り締めて、火炎に向けてありったけの水の歌唱を歌い上げた。
火の玉はちっとも小さくならず、視界が赤で染まり、頬がちりちりと熱くなり、怖くなって目をつぶって。
そこから先の記憶は無い。
♪ ♪ ♪
》一月十九日 十六時二十九分 大阪・某所 ――撒菱千歳《
某所の地下深くに建設された極秘の研究所は、熱気に包まれていた。
国内最高峰の音学研究者たちを集め『Diva Driver』の解析をしているのである。
「社長! 解析結果が出ました!」
Diva Driverを睨みながらウンウンと唸っていると、若手の科学者に声を掛けられた。
「見せて!」
千歳は若手社員を押しのけるようにして席に座り、音子回路式電算機のブラウン管ディスプレヰに噛りつく。
「何よ、これ……こんなのもう、音子の塊じゃない!」
渡瀬工房の地下に眠っていた謎の拡声器『Diva Driver』を構成する音子の割合、実に玖拾パーセント。
拡声器の中に音子を取り込んでいるのではない。
その逆で、要所要所の部品で音子が散るのを繋ぎとめているような有様だ。
そして、地球にそんなことが出来るような技術力など在りはしない。
撒菱重工で設計開発している最新の音池ですら、その使用期限は一年足らずなのである。
こんな、押さえつけるでもなく閉じ込めるでもなく、音子が当然のように物質化し、固着しているなどあり得ない。
「こ、こんな意味不明なモノ、どうやって解析しろって云うのよ……」
だが、呆けてばかりもいられない。
早く、この引き金すら無い兵器の起動方法を見つけ出さねばならないのだ。
非羅馬世界における最高の音学技師たる己を以てしてもまるで仕組みの分からないこの兵器を、使いこなさねばならないのだ。
(歌子はきっと今、戦っている! 私も戦わなくっちゃ!)
千代子は脳みそを最大戦速で運動させる。
音子回路式座標入力装置で以て他ならぬ自分が設計開発した電算機の画面を操り、たった今出たばかりの解析データと睨めっこをする。
「この音基配列……見覚えがある」
座標入力装置を転がして別のフォルダを開いてみれば、歌子の血液検査結果が出てくる。
(歌子……まるで音子に愛されているような、音子そのもののような、歌子の体。風邪を引かない、どれだけ頑張っても倒れない健全な体。燃費の悪い機械みたいに、大量のご飯を必要とする体。……嗚呼、やっぱり)
――Diva Driverと歌子の音基配列に、一致する部分を見つけた。
(歌唱の申し子、歌子。欧羅巴人の方から父に連れられてやって来たと云う歌子。歌子が大陸へ渡るや否や、大天使が目まぐるしく進路を変え始めたのは一体何ァ故?)
答えは出ている。
Diva Driverを、歌子の元へ届けねばならない。
千代子は自宅へ電話をする。
「歌子の血液を持ってきて!」
『ヱ? お嬢様、急に何を……』
「歌子の血液よ! 検査の残りがまだあるでしょう!?」
戸惑う執事を怒鳴りつける。
「それと、戦闘機と夜間飛行が得意な歌姫を用意して! 大至急よ」
『戦闘機ですって!?』
「ほら、試作機の『橘花』があったでしょう!?」
『オートジャヰロでは駄目なのですか?』
「あんなノロマじゃ、撃ち落されちゃうじゃない!」
『お嬢様、一体全体何処へ向かわれるおつもりで!?』
「極まってるじゃない」微笑む。「戦場よ」




