弐「フリヰドリヒ・レヰアタン」
歌子は空に退避した。
フレデリカのそばにいたかったが、なにしろ戦いのスケヱルが大き過ぎて、巻き添えで死にかねなかったからだ。
「~~~~♪」
鼻歌で滞空しながら、眼下の戦いを見守る。
水のフレデリカと、炎のソプラノ男――ヱミヰリア? 否、ヱミヰルだったか。声の高い男たちは、男性名と女性名の両方を持っているのだろうか。
兎角もその両者は、互いに丘の上の家屋を薙ぎ払い、焼き払いながら応戦している。
さながらアルマゲドンの果てに殺し合うリヴァヰアサンとベヒヰモスであった。
ここが無人の街でなければ、彼らによる一薙ぎ一薙ぎ毎に数十、数百の人命が消し飛ぶであろう。
(いや……フレディはさっき、自分のことを陸喰いやって云うとった。フレディが本当にあの陸喰いやとしたら、フレディには一度に何万人もの人を殺せるだけの歌唱力がある)
二人の男のうち、自分は一体全体、どちらを応援すれば善いのであろう?
フレデリカが本当に陸喰いなのだとすれば、彼女は日羅双方に憎まれる仇敵であり、フレデリカのことを『裏切者』と呼んだソプラノ男の怒りは尤もであるように思われる。
歌子にとっても、フレデリカは母国の敵だ――――……が、
(そんなん、決まっとる! ウチが応援するんはフレデリカや!)
フレデリカが、最愛の人が生きて呉れている。
フレデリカの正体が何だとか、フレデリカが何をしたのかなどは、彼女が生きて呉れていることに比すれば大した問題ではない。
(優先順位の問題、か)
それは、かつてフレドリクとして歌子の前に現れた彼女が、教えて呉れたことである。
人殺しが何だと云うのだ。人殺しが悪だとすれば、歌子自身も悪人であるし、そもそもここは戦場だ。
敵を殺すことが将兵たちに与えられた命令なのだ。
そしてフレデリカは命令に従い、羅馬兵として敵國の将兵を殺した。
羅馬将兵をも巻き込んだことは罪に問われるのかも知れないが、羅馬は歌子にとっては敵國である。
……などと歌子は、フレデリカを愛し、フレデリカを応援する自己を正当化しようと試みている。
そう、全ては建前なのだ。
度重なる悲劇で情緒をすっかり破壊し尽くされ、死の間際で最愛の人に命を救われた歌子にとり、フレデリカは最早、世界の全てであった。
彼女の両手が、声が、喉がどれほど血に塗れていようとも、そんなことは関係なかった。
「ララルララルラァーーーー~~ッ!!」
空の彼方にまで響いてくるフレデリカの歌唱。
途端、中空に無数の氷の槍が生成され、銃弾の如き速度で以てソプラノ男に殺到した。
♪ ♪ ♪
「フレディ!」
丘中を真っ白な霧が覆ったかと思えば、次の瞬間、突風によって霧が払われた。
中からは、フレデリカ只一人が姿を現す。
歌子は歌唱で駆けつける。
「この霧……ヱミヰリアの奴、逃げやがって」
フレデリカが、随分と好戦的な笑みを浮かべている。
歌子は紳士的なフレデリカしか見たことがなかったので、戸惑ってしまう。
「ええと、フレデリカ……でええんやんな?」
「歌子!」
フレデリカがパッと笑顔を見せて呉れた。
「――ちょっとだけじっとしてて。すぐに洗い清めてあげるから」
云われて自身を見下ろせば、汚泥と煤で非道いことになっている。
「歌子……無事で本当に善かった!」
一見普通に喋っているだけなのに、温かな湯が発生し、歌子の髪を肌を衣服を洗い清め、あっと云う間にそれらが乾く。相変わらずの神業である。
そのフレデリカが、両手を広げて近づいてきた。
抱き締められそうになって、歌子は思わず後退る。
「…………歌子?」
悲しそうな顔のフレデリカ。
「あ、ええと」
歌子の方から抱き締める。
この匂いは、間違いなくフレデリカだ。それで安心した。
「フレデリカは、男の子やったん?」
「まぁ、そうだよ」
優しく抱き絞め返して呉れながら、フレデリカ。
「男性ソプラノさ。歌唱が全てのこの國じゃア、そんなに珍しくないんだよ」
「ってことはもしかして、その、お、お、おちんち――」
最後まで云えなかった。フレデリカに口で口を塞がれたからである。
歌子はたちまちぼうっとしてくる。
「タマは無くても、あっちの方はついてるんだぜ?」
「あわ、あわわわ……」
「あわわって何さ。まァ安心してよ、男性ソプラノは性欲と無縁だから。……いや、そもそも」
フレデリカが首を傾げる。
「歌子相手に、子作りなんて出来るのかな? だって君は――…いや、これ以上はやめておこう」
また、意味深なことを云うフレデリカ。
結局歌子は未だに、十一年前の出来事についてフレデリカから教えてもらっていない。
「兎角、歌子さえ一緒にいて呉れれば、僕は無敵さ。さァ歌子、行こうッ!!」
「――ヱ? 何処に?」
「大天使の元に!」
「何をしに?」
「この狂った戦争を終わらせにッ!!」




