漆「武威に至り、金昌へ向かう」
泣きながら服を着直した。
白シャツは破かれてしまったので、そこらに転がっている婦人の遺体から剥ぎ取って着た。
婦人の、苦悶の表情が目に入ってしまった時には、心臓が凍りつくかと思った。
千歳にもらった軍用バックパックを背負い直す。
中山女史に託された戦闘用拡声器は、歌子も開発を手伝った『捌漆式歌唱軍刀改陸乙型』。
千歳には悪いと思ったが、試製捌捌式は少し離れたところで川の底へと投げ捨てた。
女史を埋めるか荼毘に付したかったが、あの場に留まっていたら奴らの仲間が来るかも知れないと思うと、怖くて怖くて堪らなかった。
日本による支配に恨みを抱いている朝鮮人、満州人は多い。
そも、朝鮮半島において大規模な抗日クーデタが発生したばかりである。
(それにしたって、羅馬がすぐそばにまで来てるのに、抗日やなんて莫迦げてる。羅馬に支配されたら、男は日本統治時代よりも絶対非道い扱いになるのに……一緒に羅馬と戦わんで、どないすんねん)
羅馬は歌姫至上主義國家である。
歌姫に非ずんば人に非ず。そんな國だから逃げて来たのだと、フレドリクも云っていた。
(いや、違う違う違う!)
歌子は頭を振る。歌子だって分かっている。
悪いのは一部のパルチザンだけなのであって、大多数の満州人や朝鮮人は日本と共に銃を取って羅馬相手に勇敢に戦い、非戦闘員は銃後を守って呉れている。
ただ、たった今体験したことが余りにも衝撃的過ぎて、思考が過激になっている。
(それに、そんな人殺したちを殺したウチは何なんや? ウチやってもう、立派な人殺しや……)
しかし。
(嗚呼、フレデリカもきっと、戦場で一杯人を殺してる。やとしたら、お揃いやな)
どうしようもないほど暗く、答えの出ない思考の中で、歌子はふらふらと歩く。
「ここ……何処やろう?」
線路から離れ、小高い丘を見つけて登る。
北は見渡す限り一面の砂漠。逆に南側には、遠目に畑や民家が見えた。
「もしかして……武威?」
西から酒泉、
嘉峪関、
張掖、
金昌と来て、
最後に武威。
大天使の進路上に居並ぶ砦の、最後の一枚。日本軍が総力を以て待ち構える戦場である。
♪ ♪ ♪
半日歩いて、武威に入った。
当然ながら、武威の街は日本の軍人で溢れ返っていた。
日本人だけではない。亜細亜顔だが雰囲気の違う人たち――日本に徴兵された満州人、朝鮮人もたくさんいる。
他には逞しくも軍人たちを相手に商売をしている漢人、ムスリム、西洋人など雑多な人種が屋台を開いていた。
荷物をまとめて街から逃げようとする人と、逆に一発当ててやろうと街に入る商人たちとで往来は混雑していた。
将兵たちの多くが狂騒状態となっていた。
何でも、元々は武威の北を掠めるような進路だった大天使が、いきなり街のど真ん中を目指して進攻し始めたのだそうだ。
大天使がルートを変更すること事態が異例であるのに、「ついにフリヰデリケ四世は大天使を完全に操る術を手に入れたのか」と云う噂で持ち切りだった。
歌子は歓迎された。
血塗れで疲弊し切った様子の歌子を見るや、街の外を巡回していた軍人たちが保護して呉れた。
軍人たちが歌子の乗馬技術を褒めて呉れて、歌子の心は少しだけ癒された。
鉄橋が爆破されたことを伝えると、感謝の言葉と共に着替えと風呂と食事を提供して呉れた。
事情聴取され、戦場で行方不明になった友人を探しに来たのだと云うと、話を聞いていた軍人は痛ましそうな表情を見せた。
が、張掖に行くのは許可出来ない、と云われた。死にに行くようなものだ、と。
その際に軍人が、歌子が後生大事に抱き締める抜き身の捌漆式に目をやった。
没収されては堪らない、と歌子は従うように頭を垂れて見せた。
宿の一室を与えられた歌子は、夜まで泥のように眠り、夜中、宵闇に紛れて武威を抜け出した。
宿で聞いたラヂオによると、大天使は張掖と金昌の中間あたりにいるらしい。
風の歌唱で夜通し飛んだ。
空が明るんでくる頃、金昌が見えてきた。
街から非難する人々の行列が見えたので、北の山脈に飛び込んだ。
南の方角を警戒しながら、西へ、張掖へ飛ぶ。
途中、何度も羅馬の偵察機を見て、その都度、慌てて山中へ身を潜めた。
昼になると、偵察機を見る回数が格段に増えた。
そのうちに、天を突くように高く、それでいて腹にずしりと響く不思議な歌唱が聴こえて来た。
岩場の影から南方向を伺うと、果たしてそこに大天使がいた。
双眼鏡を除くと、テレビヂョンでしか見たことのなかった大天使がそこにいて、驚くべきことに進路をこちら――山岳の方に向けていた。
大天使の表面には大小様々な顔が無数に張りついており、それら顔による歌唱の力で以て自重を和らげ、大天使が百足のような無数の足で前進する。
その、顔、顔、顔、顔――…顔たちと、目が合ったような気がした。
(な、何を阿呆なことを――…)
理由は不明だが、進攻方向がこちらに向いている以上は、早々に立ち去る他はない。
歌子は再び西へと飛ぶ。
♪ ♪ ♪
「そこの国籍不明歌姫に告ぐ! 直ちに着陸せよ!」
空を飛ぶことしばし。
二機の音子回路式戦闘機が後ろから物凄い速度で追い掛けてきて、拡声器で以てそう告げてきた。羅馬語である。
(しまった――ッ!!)
歌子は己の迂闊を呪いつつも、駄目で元々と羅馬国旗を掲揚する。
無掲揚飛行も國籍詐称も國際法上許せざるべき行為だが、だからと云って日本國旗や旭日旗など揚げた日には即刻撃墜されかねない。
「繰り返す。速やかに着陸せよ!」
(ど、どうしよう――…)
逃げるか戦うか、だ。
(逃げれるやろか?)
無理だ。戦闘機から告げられた声が女性の物だったからである。
何故、男性でも乗れる兵器にわざわざ女性が乗るのか?
それはパヰロットが歌姫であり、歌唱の力でさらに加速するからである。
歌唱無しでこれだけの速度が出るのだ。パヰロットが本気を出せば、ひとたまりもあるまい。
(でも、じゃあどうすればッ!?)




