弐「旅立ちの決意」
夢を見ている。
真っ暗な空間の中で一人、女の子が顔を伏せて泣いている。
伍、陸歳くらいの小さな女の子だ。
「何で泣いてるん?」と歌子が尋ねると、
「みんなみんな、死んでしもぅたから」と女の子が答える。
「みんなって?」
「みんなはみんなや。お母さんもお父さんも仲良くして呉れたお兄さんたちも」
「――フレディも」
「それはまだ、分からへん」
女の子が顔を上げた。女の子は、幼いころの歌子の顔をしていた。
「だってウチはまだ、フレディの死体をこの目で見てへん」
「……みんなは?」
「見た。見たから泣いとる」
「…………そう」
「けど、フレディの死体はまだ見てへん。見ぃへん間は、ウチは信じへん」
「――――せや、せやな!」
歌子は力強く頷く。
「フレディを探しに行こう! 絶望するには、まだ早いわッ!!」
♪ ♪ ♪
目を開くと、病室にいた。清掃の行き届いた個室。
起き上がり、窓の外を見ると、善く知った――祖父がお世話になっている――府内の総合病院だと分かった。
時刻は昼。半日ほど眠っていたと云うことか。
点滴の針を乱暴に抜いて、立ち上がる。
足はふらついたが、頭はすっきりとしていた。
看護婦の制止を無視して祖父の病室に這入り込む。
すっかりやせ細ってしまった祖父は、それでも静かに呼吸している。
じっちゃん。自分に残された唯一の家族。
「…………行ってくるわ、じっちゃん。ちょいと、羅馬までッ!!」
♪ ♪ ♪
》一月十六日 十二時十三分 大阪上空 ――撒菱千歳《
――歌子が病院から脱走した。
その報を無線電話で受けて、千歳は速やかにオートジャヰロを出させた。
問題ない。こう云う時の為に、歌子には複数の覆面パトロールを付けているのだ。
プラヰバシヰ? 発祥の地たる英国が滅んだこの世界で、国家総動員で戦争をしているこのご時世において、そんなものを尊重する必要などない。
向かう先は歌子の故郷――渡瀬絃悟郎氏の工房だ。
♪ ♪ ♪
合鍵を使って工房に入る。
油の匂い……落ち着く匂いだ。
だが、何かが饐えたような臭いが混じっている。
生活スペヱスを抜け、工房に入ると、
「…………うっ」
コンクリヰトの床に、べっとりと血がついている。
歌子が云っていた『じっちゃんが破落戸に沢山殴られた』時の後だろうか? いや、それにしては血の量が多過ぎるような。
(その、破落戸たちのことも謎なのよね……)
例の地上げ屋の依頼元と交渉した時に、『破落戸たちが戻って来ないのだが、知らないか』と尋ねられたのだ。
無論、『知ったことではない』と跳ね退けたが。その日暮らしの連中の行く末など知ったことではない。
「歌子? おーい、歌子」
二十畳ほどの工房を歩き回り、声を掛けるも返事はない。
部屋の中は何処もかしこも滅茶苦茶で、そこら中に血の跡があった。
それに、この臭い。この、饐えた臭いは一体全体何だろう?
「う、歌子……?」
そして、気づく。
工房の奥の暗がりで、床下への扉が開いている。
恐る恐る覗き込むと梯子があり、そして大きな地下室があった。
地下室は明りで満たされている。
おっかなびっくり地下室へ降りると、果たしてそこに、
「歌子!」
寝間着姿の歌子が、こちらに背を向けて立っていた。
「歌子――」
チリチリと、頬が痛む。
これは――この感覚は知っている。フレデリカや歌子が歌唱によって極限まで音子を活性化させた時に感じる、弾けるような痛み。
見れば部屋中で、蒼い光がパチパチと踊っている。
部屋にはただ一つテヱブルがあり、その上に、まるで祭壇に祀られる聖遺物のように、大振りのケヱスが置いてある。
歌子は無言のまま、そのケヱスの中にあるナニカに触れている。
「歌子?」やはり、返事はない。「歌子ってば!」
歌子の肩に、手を掛けた。
途端、歌子が勢い善く振り向く。
その瞳が爛々と輝いている。
フレデリカなど及びもつかないほど、真っ蒼な輝きで以て!
「貴女……誰よ?」
千歳は後ずさる。
渡瀬歌子。
規格外の少女。
異常な歌唱力、人間離れした食欲と消化力、無尽蔵の体力、免疫力、回復力。
歌子が倒れたのを機に、彼女の体を徹底的に調べさせた。
血液検査、X線透視、MRI、音子照射――――……
そこから現れた、彼女の体は。
「ねぇ、貴女……破落戸たちを、どうしたの?」
音子たちが輝きを増す。
歌子の瞳もまた、直視出来ないほどの強い光を放つ。
そして歌子が、口を開いた。
「※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ッ!?」




