壱「戦争と、死体の山と、そして」
》十二月下旬 ――渡瀬歌子《
フレデリカは、退学と云う扱いになっていた。
歌子は放課後を、誰もいないフレデリカの部屋で過ごすようになった。
寝ても覚めても、フレデリカのことを考えている。
テレビやラヂオをつければ、日羅の戦況が詳しく聴こえてくる。
撒菱邸にいても、女学院にいても、街を歩いても、詳しい戦況が耳に入ってくる。
大日本帝國陸軍は海軍の護衛の下、六個師団、一個戦車師団、二個歌唱旅団から成る三個軍団を朝鮮の仁川から上陸させた。より正確に云うならば、宣戦布告の数週間前から静かに派兵を進めていた。
今は満州鉄道をフル稼働させて、甘粛――新疆の東に位置する、回族たちの土地へと将兵を送り込んでいる。
甘粛には大天使の進路を阻むようにして幾つもの大都市がある。
嘉峪関、
酒泉、
張掖、
金昌、
そして武威。
それらの都市で防衛線を敷き、亜米利加、モンゴル、チベット、ウヰグルを始めとする回教、旧露西亜勢力の助力に期待しながら、戦車師団を擁する第壱軍で以て正面から羅馬を抑えつけ、その間に南北から歌唱旅団を伴う第弐・第参軍を遠く西へと進出させて補給線を分断、然る後に包囲殲滅するのが狙いではないか、と軍事専門家を名乗る男がラヂオで云っていた。
食料は現地での徴発・収奪で何とかなるが、武器弾薬と、何より歌姫の補充は西欧羅巴からの補給線在りきだからだ、と。
(……どうでもいい)
歌子は軍事ニュースを聞くたびに、俯いて耳を塞ぐ。
歌子は戦況を聞くのが怖くてたまらない。
フレデリカは羅馬の兵隊として羅馬に行ってしまった。
そして今、日本は羅馬と戦争をしている。
近く、旧中国の酒泉とか云う街で両軍の先遣隊が衝突する可能性がある、とニュースで云っていた。
日本と羅馬が戦火を交えることになったとして、自分はどちらを応援すれば善いのだ?
母国たる日本に勝って欲しいのか?
――――――――それとも、たとえ同胞が死んだとしても、フレデリカに生きていてもらいたいのか?
答えのない問い。考えれば考えるほど泥沼にはまっていく思い。
街を歩けば、どこもかしこも『羅馬を大陸から追い出せ』の一点張り。
そんな中にあって、敵國人の安否を案じる自分は、一体全体どうすれば善いのであろうか。
♪ ♪ ♪
》一月上旬 ――渡瀬歌子《
新年は最悪の形で幕を開けた。日羅両軍による初の戦闘である。
幸いにして、羅軍は大天使を伴わない先遣隊であった。
……が、果たしてその程度の幸運を『幸い』と表現して善かったのかどうか。
対する日本軍は、嘉峪関にコンクリヰトによる堡塁で鎧われた長大な防御線を敷こうとしている真っ最中であった。
日露戦争――とりわけ旅順包囲攻略戦において地獄を見た日本は、自軍を近代的な防御陣地で固めることに躍起になっていた……それが時代遅れであるとも知らずに。
『陸喰い』。
そう呼ばれる怪物が、戦闘歌姫が羅馬にいる。
水の増幅を得意とし、近海だろうが砂漠だろうが、所かまわず大洪水を発生せしめ、敵國が必死になって用意した要塞も戦車も砲も銃も兵も、何もかもを一緒くたにして流し、壊し、殺してしまう悪魔の歌い手。
その、『陸喰い』が出た。
酒泉は半日にして壊滅し、後にはただ、目を覆いたくなる量の水死体だけが残った。
嘉峪関でも同じことが繰り返された。
日本軍は両翼に展開していた歌姫たちを急遽中央第壱軍に部署変えし、熱・炎・乾燥の歌唱で相殺しようと試みたが、無駄であった。
ただただ、無数の戦乙女たちの水死体が浮かび上がるだけで終わった。
張掖でも同じ戦術が取られた。
たとえ無駄だと分かっていても、日本を更地にされたくなければ、やるしかなかった。
死の恐怖におびえる歌姫たちを最前線に部署する際、彼女らによる抗命騒ぎがあったらしいが、騒ぎはすぐに収まった。
そのニュースを日本で聞いた歌子は、フレドリクのことを思い出した。
彼が、「消音師は歌姫を殺す」、「消音師は味方歌姫の督戦もする」と云っていたのを。
フレデリカが退学してしまい、ふさぎ込むようになって以降、歌子はフレドリクと会っていない。
毎日ふさぎ込んでばかりの歌子を心配した千歳が、「あの傭兵さんに稽古でもつけてもらいなさいな」と云われた時には驚いた。
「何で知っとるんッ!?」と云う歌子の問いに、千歳はさも当然と云った風に「真夜中に無防備な女の子が家を抜け出すんだもの。そりゃア監視兼護衛くらいつけるわよ」と云った。
夜、いつもの埋め立て地に行ったが、フレドリクはいなかった。
何日も無断で欠席したのだから、怒らせてしまったのかも知れない。
その時になって初めて歌子は、自分が彼の素性はおろか、彼との連絡手段すら持っていなかったことを思い知らされた。
恐怖に震える戦乙女たちを死地に立たせた張掖の戦では、もう一つ新たな試みが行われた。
朝鮮から遠路はるばる音子回路式戦闘機を飛ばしてきて、複座のうちの一つに消音師を乗せたのである。
戦闘が始まる。
遠く前線の奥深くで、『陸喰い』による死の歌唱が始まる。
すると日本軍の戦闘機が最前線のその先にまで飛び込んで、『陸喰い』の歌唱を阻害するのである。
この作戦が、成功した。
繊細な制御を必要とするのであろう『陸喰い』の歌唱は阻害され、その制御を失った。
『陸喰い』に洪水を発生させない、と云う日本側の作戦には失敗した。先の二回の戦と同等かそれ以上の水が天から降って来て、日本軍は絶望の海に文字通り呑み込まれた。
―――が、同じ絶望を、羅馬軍も味わった。
暴走した洪水は、張掖に展開した両軍の全てを呑み込み、破壊し尽くしたのである。
日本軍は数万人の英霊を以て、敵の最大戦力『陸喰い』を屠ることに成功したのだ。
♪ ♪ ♪
》一月十五日 十七時三十一分 大阪府立歌唱女学院寮 フレデリカの部屋《
》渡瀬歌子《
「~~~~♪」
フレデリカのベッドに腰かけて鼻歌を口ずさんでいると、
「……やっぱりここにいた」部屋に千歳が入ってきた。「貴女宛ての手紙よ」
手渡された手紙は『新生羅馬帝國第壱歌唱師団第壱旅団特務連隊』発となっており、中立国たるソビヱト連邦を中継して届けられたものだった。
「ろ、羅馬……歌姫の部隊――」
震える手で、封を切る。手紙が数枚、入っている。一枚目は、
「フレデリカの字や」
それは如何にもフレデリカらしい、戦場での毎日を陽気に綴ったものだった。
大天使のそばは音度が高いから歌唱の通りが善くて気持ちが善い、とか、
現地は水の確保も難しいような砂漠で、水を無限に生み出せる自分は引っ張りだこだ、とか。
『もう一度君に逢いたい』とも書いていて、思わず泣きそうになった。
次の手紙は、少し毛色が違った。
『本当はこの手紙を自分の手で投函したいところなんだ。けど、何しろ國と國がこんな状態だからね。だけど唯一、君に手紙を届ける方法があるんだ。僕の身に何かがあった時。家族やそれに準ずる相手に、特別に、手紙を届けてもらえるんだ』
(ヱ? どういうこと? それって――…)
震える手で、紙をめくる。最後の一枚だ。そこには男性的な、無機質な字で、こうあった。
『一九二八年一月九日。フリヰデリケ特務少佐、張掖ニテ洪水ノ直撃ヲ受ケ行方不明。同少佐ヲ特務大佐ニ任ズ』
「あ、嗚呼……」
文字が上手く読めない。
何故だ? 視界が涙で滲んでいるからだ。
頭が痛い。
金槌で殴られたみたいに、頭の奥がガンガンと痛む。
視界がぐるぐると渦巻いている。
文字が上手く読めない。
行方不明?
二階級特進?
理解出来ない理解出来ない理解デキナイデキナイデキナヰヰヰヰ――――……
「厭……厭ぁ……厭ぁぁあぁあぁぁあああぁぁああああアアアアアアッ!!」
記憶はそこで途切れている。




