参「デヱト大作戦(弐)」
――――――――ビュゥゥウウッ!!
と、突風が吹いた。
歌子の体を、手すりの外――崖下へと叩き落とすように。
「え……?」
歌子の体は、ふわりと空に投げ出された。
(嗚呼……)
落下しながら、ひどくゆっくりと近づいてくる地面を眺めながら、呆然と考える。
(罰が当たったんや――…)
助かる可能性は?(――――無い)
歌唱で風のクッションを、(拡声器も持ってへんのに?)
自分の死後、千歳は祖父の面倒を変わらず見て呉れるだろうか。
千歳は祖父を音子回路技師として尊敬していたから、きっと大丈夫だろう。
こんなところで死ぬのなら、美味しいものを、もっと沢山食べておけば善かった――――……
「ラァーーーーーーーー~~~~ッ!!」
歌が、聞こえた。善く伸びる極上のソプラノ。圧倒的声量。見事なビブラート。フレデリカの歌唱だ。
(フレデリカ、そんなに高いソプラノ出せたんや)
いよいよ地面は迫って来る。目を閉じた。
(出来れば、もっかい弐重唱したかった――)
……………………………………が、待てど暮らせど死の衝撃は訪れなかった。
恐る恐る、目を開く。すると、
「フレデリカッ!?」
何と自分は生きていて、フレデリカに抱きかかえられていた。
「ど、どう云う――」
「はぁッ! 善かった――」
フレデリカが、何と云うことだろう、フレデリカがぽろぽろと涙を零している。
「歌子に死なれてしまっては、僕は到底生きてはいけない」
そんなフレデリカを見て、歌子も泣いた。
二人して、赤ん坊のように泣いた。
♪ ♪ ♪
拡声器無しの歌唱で、飛翔し、人間一人を衝撃もなく抱き留める。
フレデリカはその規格外の能力で以て歌子を救い、そして当然、逮捕された。
中之島外における、無免許歌唱は重罪である。
だが、状況からして情状酌量の余地は十二分にあるとして、形式ばかりの罰金と、四十八時間の社会奉仕で許されることとなった。
……フレデリカは一週間の停学となり、千歳は目的を達成することが出来た。
歌子はますますフレデリカに溺れた。
有馬での出来事は、歌子にとって、第二の神の降誕に他ならなかった。
フレデリカが停学中の間、歌子は放課後毎日彼女の部屋に通い詰め、音子の伴わない弐重唱をした。
♪ ♪ ♪
》六月八日 二十一時五分 大阪・撒菱邸の自室 ――撒菱千歳《
「……そう、今日も例の男と会ってるのね。いいわ、貴方は引き続き見張っていて」
歌子を尾行させていた従業員との通話を終え、受話器を降ろす。
歌子はあれから毎晩、こっそりと――バレバレだが――家を抜け出すようになった。
数日様子を見たが、どうも流れの消音師――傭兵? 脱走兵?――に、剣を習っているらしい。
最初こそ警戒していたが、男は歌子が奢る飯の対価として歌子をちゃんと教育して呉れているようで、悪意も感じられない。
今後も見張りは付けるが、問題はないだろう。
(来るべき渡瀬式拡声器お披露目の時の為に、拡声器の実践的な振り方を学んでおいてもらうのは好都合)
剣道はやらせているが、竹刀と拡声器では勝手が違う。
……今日の実技試験では、歌子と共に主席を取った。
あんなことがあったのに、歌子は自分と弐重唱を組んで呉れて、自分に一等賞を取らせて呉れた。
(……けど、歌子の心はもう、完全にフレデリカのモノね)
歌子の、フレデリカのことを話す時の目は善く知っている。
他ならぬ、かつての己を見る時の目と同じだからだ。彼女が、彼女の神に向ける眼差し。
(それも、仕方がない。結果として、私はそれだけのことをして、それだけのことをさせてしまったのだから)
とは云え歌子はちゃんと勉学も習い事も手を抜かずにやって呉れているし、フレデリカと弐重唱するようになってからは、格段に歌唱が上達した。
歌子の笑顔を独占出来ないと云う淋しささえ除けば、状況はむしろ好転しているのだ。
(だから、気にすることではない。気にすべきことでは、ないのよ、千歳)
気にしている暇などない。
自分には、成さなければならないことが沢山あるのだから。




