壱「その名はフレデリカ(肆)」
「呆れた! 初対面の相手に弐重唱申し込むやなんて!」
「そう邪険にしないでお呉れよ」
ぷりぷり怒りながら、早歩きで廊下を進む。
そんな歌子の後ろをフレデリカがついて来る。
あれから大変だった。
クラスは大混乱の坩堝と化し、面白がって歌子にフレデリカの弐重唱になるよう勧めるクラスメヰトや、早々にフレデリカのファンになって歌子に敵意の眼差しを向けて来る子などもいた。
兎角も壱限目が始まって終わり、一人になりたい歌子は教室を飛び出した。
そうしたら、問題の根源たるフレデリカがついて来たのである。
『弐重唱』。
主旋律となる女役と、それを補佐するメゾソプラノまたはアルトによる男役のペア。
歌唱の時はもちろん、毎日の全て、生活の全てを共にする存在である。
ひとたび弐重唱が結成されれば、学生寮の部屋や学院でのクラスの割り振り直しすら平然と行われる。
自由恋愛主義が海外から輸入されて久しく、身分を超えた求婚と云う行為が行われることもままある現代の日本帝國であるが、歌姫になる為に青春の全てを懸けている少女たちからすれば、弐重唱の申し込みは求婚よりもなお重い行為なのである。
一度組んだ弐重唱が解消されるようなことは、普通は無い。
そんなことをすれば、その少女たちは信頼を失う。
ましてや、初対面の相手に面白半分で行うような行為ではないのだ。
「誓うよ。僕は君に、僕の歌と声と喉の全てを捧げる。見ただろう? 僕の並外れた歌唱力を。制御力だけじゃアない。声量だってかなりのものさ」
「そう云う話をしとるんやない! 誠意の話をしとるんや!」
歌子はびしゃりと云う。
(そりゃア、ウチの歌唱力とコイツの制御力があれば、学年トップだって狙えるやろう。けどウチの歌は、声は、喉はもう既に千歳に捧げとる!)
「誠意? この僕に、君に対する誠意の話をするのかい!?」
フレデリカの、声の調子が変わった。ぐいっと腕を引っ張られる。
「痛っ……だってそうやろ!? 初対面の相手に――」
「初対面じゃない!」
びっくりするほどの大声だった。声量に自信があるというのは事実のようだ。
「初対面なんかじゃア、ない。僕にとって君は、本当に、本当に天使のような存在で……覚えていないかな、十年前のこと」
「じゅ、十年前!?」
歌子にはここ五、六年ほどの記憶しかない。
じっちゃんは、歌子の過去については何も話して呉れなかった。
だから歌子は自分の家族をじっちゃんしか知らず、歌子はただの歌子で、音子回路技師を目指していた歌子で、今は歌姫を目指している歌子だ。
「そんな、ウチは十年前のことなんて、覚えてへん……」
「――えっ!?」愕然とした様子のフレデリカ。「そんな……全く?」
「全く」
「じゃあ、君はもしかして、君自身のことも――」
「うぅううぅぅうぅたぁぁぁああぁぁああこぉぉぉぉおおぉおぉおぉおぉおおおおッ!!」
悪鬼の形相をした千歳が駆け込んできた。
「はぁッ、はぁッ、うた、歌子! 聞いたわよ!? 貴女、謎の転校生にデュ、デュ、デュ、弐重唱を申し込まれたんですって!?」
「断った! 断ったよ勿論!!」
弐重唱は千歳と組むと心に決めているし、千歳もそのことは承知している。
「けど、コイツがしつこくて」
「コイツは傷つくなぁ」
幾分か調子を取り戻したらしいフレデリカが笑顔で言う。
「アンタッ! アンタね、噂の泥棒猫は!!」
千歳がフレデリカに詰め寄る。頭一つ分ほども身長差があるので、詰め寄っているようには見えないが。
「歌子は私の物なの! 私が、どれだけの情熱とお金と時間を掛けて、この子をここまで育て上げてきたのか、貴女に分かる!? ぽっと出の泥棒猫なんかに歌子を奪われるわけにはいかないわ!」
「――ぽっと出なんかじゃア、ないさ」
ぞわり、とした。歌子は思わず身震いする。
フレデリカの声に、メゾ・ソプラノに周囲の音子が反応し、パチパチと蒼い輝きを放っている。
「勝負しようじゃないか」
フレデリカが微笑む。
暗い、昏い何かを呑み込んだ微笑。
「どちらが歌子に相応しいのかを確かめる為に、さ」




