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98話 コイルと銅線


 その後、ユニィの婚約は両家の合意により、正式に解消されたらしい。


 僕はと言えば、宿で謹慎である。表向きの理由は、決闘騒ぎを起こしての謹慎だが、本当の理由はよそいきの上着を破いてしまったからだ。うちは貧乏だったから一着しか用意がなくて、あとは全部平民風か冒険者風の服しかなかったのだ。

 昨日受けた傷は浅く、体調的には無理をすれば闘技場に行けないこともなかったが、正装せずに社交の場に行くわけにもいくまい。試合を観戦できないのは残念だが。


「坊ちゃん、こんなんで“でんじしゃく”とやらが作れるんですかい?」


 なので、今は素直に宿屋で謹慎しながら、マイナ先生と護衛役のパッケと実験をしている。


「うん。そのはずだけど」


 鉄釘に銅線を巻きながら答えた。聞いてきたのは親方で、向かいから覗き込んできているのは親方の弟子のルリとハリーだ。


「神術も使わず、そんなどこにでもあるものでねぇ。いや、信じてねぇわけじゃないんですけどね?」


 望遠鏡とメガネの追加発注の打ち合わせのついでに、材料を持ってきてもらったのだが、それが何になるか気になるらしい。


「右ねじの法則ってあってね」


 手ぶりで空中に螺旋を描いて、電流と磁場について説明する。まるで変なダンスみたいだ。僕には似合わない。


「ちょっと待って。そんなこと親方たちに言っても大丈夫なの?」


 マイナ先生がちょっと怒った様子で割り込んできた。メガネを人差し指で持ち上げる姿が、妙にしっくりくる。


「え? 何で?」


「そういうのは一門の秘伝にするもんじゃないの?」


 そういうものだろうか? 前世では義務教育の学校でやってたレベルだけど。


「ええ? マイナ先生だって『ヒッサン訓蒙』、秘伝にしてないじゃないか」


「あれはちゃんと売ってるし、基礎だからだよ」


「これだって基礎だよ」


 実際、この延長線上にはモーターや発電機がある。内容的にも中二の範囲なので、基礎だろう。


「大丈夫ですぜ。嬢ちゃん。坊ちゃんには金を借りてるし、仕事ももらって、ガラスの研究もどんどん進んでる。なんだったらワシが坊ちゃんに弟子入りしても良いぐらいだ。秘密は漏らしませんぜ」


 いや、これは公表して良い基礎だからね。


「だったら大丈夫だけど」


 大丈夫なら良いけど。


 軽く銅線を二重に巻いてから、魔石に繋いで電気を通してみる。


「何にも起きませんぜ?」


 他の釘を近づけても、全然引きつけられない。


「あれ? 何でだろ?」


 電池切れかもしれないので、魔石を交換してみる。


「変わらないね。どういう理屈なの?」


 僕は改めて右ネジの法則と電磁石の仕組みについて説明した。コイルは、磁界の渦の向きが芯の部分で一方向にそろうから磁石になるのだ。


「よくわかんないけど、前に作ってた装置では金属同士が触れるだけで電流が流れる仕組みだったよね? 銅線、そのまま巻いたら触れてるところから電流が流れて、イント君が思ってる経路で電流が流れないんじゃない?」


 その説明だけで、マイナ先生が的確な指摘を入れてくる。


「それだ! 絶縁してないからだ」


 確かに、銅線同士が直接触れたらコイルにならないだろう。


(コイルのことが書いてある教科書を開いて)


 自称天使さんに心の中で声をかけると、空中で教科書がパラパラとめくれていく。


「えっと、エナメル線?」


 写真で見る限り、銅色をした銅線に見えるが、エナメル線と書いてある。つまり、一見すると銅線だが、違うものなのだろう。前世では用意された道具で実験していたから、気づかなかった。


「エナメルって何だろう?」


 よくわからないものに行き当たってしまった。エナメルが何なのかなんて、授業で習っていない。


「イント君でもわからない言葉があるの? 辞書でもあれば良いんだけど」


 僕が困った顔をしていると、マイナ先生がまたしても天啓を降らせてくれた。そういえば国語辞典を授業で使っていた。資料集に変わったこともあったので、あれも教科書扱いになるのではないだろうか。


(国語辞典でエナメルを調べて)


 教科書が国語辞典に変化するのを見て、思わずガッツポーズをしてしまう。これは他の人には見えないので、親方たちはキョトンとしている。


 やがて、ちゃんとエナメルについて書かれたページが開かれた。


「さすが先生」


 それによると、エナメルというのは塗料のことらしい。他にも色々意味があるようだが、エナメル線は銅線に絶縁塗料を焼き付け塗装したものなのだそうだ。


「親方、この銅線、塗装してくれる? 曲げても大丈夫なやつで、電流が遮断できるかテストしたいから何種類かお願い。塗った後に焼き付ける感じの塗装とかが良いかもしれない」


 早速お願いすると、親方は銅線を手に取りながら、鼻を鳴らす。


「お安いご用で。ちなみに、これができたら、他にどんなことができるようになるんで?」


「これ、コイルって言うんだけど、これができたら、針金から羅針盤の針が作れるようになると思う。あとはモーターって、電気を流すと回転する装置とか、逆に回転させことで電気を起こす発電機とかが作れるかな」


「へぇ。他は何がすごいかよくわからんが、羅針盤の針が作れるのはすげえな。じゃあ成功したら、針以外の部分はうちに発注してくれよ」


 コンパスを思い浮かべながら考える。まぁ、簡単そうだし他にあてもないから親方に頼もうか。


「わかったよ。でも僕ら武闘大会が終わったら領地に帰るし、その時までかもしれないけど」


 とりあえず、ナログ共和国と仲良くなれる要素は多ければ多いほど良い。冒険者ギルドも欲しがっていたから、親方には急いで頑張ってもらおう。


「そりゃ残念だな。それ以降、国への納品とかどうすんだ? 望遠鏡とか、絶対間に合わないぜ?」


 そんなことは知らない。そういえば、そのあたり誰か考えているのだろうか?


「……」


 思わず沈黙すると、親方は呆れた顔をした。


「考えてねぇのかよ」


 まぁその時になったら、何か良いアイデアが浮かぶだろう。


「まぁ、普通は領地の職人に頼むわな」


 親方は、勝手に答えを見つけ出したらしい。普通、普通ねぇ。


 うちの村の領民は300人ほど。全員の顔を思い出せる規模の村だが、親方みたいな人材はいただろうか?


「おいおい。もしかしてそれも考えてねぇのか? 大丈夫か?」


 表情を読まれたらしい。親方は苦笑いしている。


「まぁ、その時は国からの発注ごと親方に全部任せるよ」


 僕が答えると、親方は縮れた髪の毛をガシガシと掻きむしった。


「無茶言うんじゃねえよ。厄介すぎてありがた迷惑だ」


 前世なら誰でもできる内容だが、そういうものだろうか? 何が無茶なのか、ぜんぜんわからない。


「そうよ。領地に職人がいないなら、ここで誰かに声をかけたら良いじゃない」


 今日のマイナ先生は冴えてらっしゃる。


「そうか! それなら領地でもいろいろできるかも!」


「おっ? そりゃ面白そうだな? ちょうど弟子が増えすぎて工房が手狭になってきたとこだったんだ。王都のお役人とご領主様に許可が出るなら、俺が行くぜ」


 あっさりと親方が話に乗ってきた。


「「いきたい!」」


 ルリとハリーも、目をキラキラさせて手をあげている。これで移住者三人ゲットだ。


「後で親父と宰相さんに頼んでおくよ。塗装は今日中にできる?」


 王都にいられる時間はあんまりない。ちょうどアノーテさんはナログ共和国の人らしいので、まずはサンプルを渡しておきたい。


「今日中か? できなくもねぇが、突貫作業になるから、品質は保証できねえぜ?」


 親方はちょっと嫌そうな顔をした。


「いや、今日中にサンプルまで作りたいから、可能な限り早く」


 僕が答えると、親方は顔をしかめてしまった。


「そりゃいくらなんでも……。塗装って乾かさないといけないんですぜ?」


 なるほど。時間を短縮できれば良いのか。


「わかったよ。じゃあ僕らが工房まで行けば問題ないよね」


 できたものから順番に試せば良い。電磁石が出来たら、次は鉄の針金を熱してから磁力を当てて、急冷するのだ。多分工房でやった方が良い気がする。


「ううん?」


 親方は少し混乱しているようだ。頭をひねっている。


「坊ちゃん? 謹慎って言葉の意味知ってます?」


「服が破けたからそういうことにしてあるだけだって。パッケが黙っていてくれたら大丈夫だよ」


 頭を抱えるパッケを放置して、僕は実験に必要な器具を袋に放り込みはじめた。


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