96話 病み上がりの決闘
「イント・コンストラクタ! 貴様に決闘を申し込む!」
僕らが馬車に近づいたところで、リシャスは白い手袋を投げつけてきた。
リシャスは12歳らしい。僕より4歳も年上で、体格差もかなりある。僕は大量に出血した後でフラフラだし、決闘して勝ったところで、自慢にもならないだろうに、何を考えているのだろうか。
僕の武装は護身用の短剣が一本だけ。リシャスは針のように細い片手剣と、短剣の二本差しである。武装の差も圧倒的で、大人げない。
「ええっと……??」
いくらなんでも大袈裟だ。リシャスに投げつけられた手袋を返そうと拾い上げたところで、背後で悲鳴があがった。
「え?」
チラリと悲鳴の主を見ると、マイナ先生が頭を抱えている。
「よし! これで決闘は成立した! 我が婚約者を誘惑したこと、後悔させてくれる!」
なぜリシャスが喜ぶのだろうか。再びマイナ先生に視線をやると、首を左右に振った。なるほど。これはつまり、手袋を拾ったら決闘成立ってことか。
やっぱりユニィを説得して、挨拶ぐらい行かせておくべきだったか。でも、本人嫌がりそうだったしなぁ……。
「本日挨拶にうかがえなかったのは申し訳なかったとは思いますが、うちの部屋には国王陛下が来られていましたので、なかなか抜けられず……」
「貴様っ! 俺を舐めているのか? 国王陛下はずっと天覧席で試合をご覧になっていただろう! 言うに事欠いて、そんな見え透いた嘘で誤魔化そうなど、ますます許せん!」
とりあえず説明してみたが、逆効果だったらしい。リシャスは地団駄を踏みながら怒鳴ると、剣を抜いた。まるで子どもの癇癪のようだ。いや、実際癇癪なんだろうが。
そういえば、国王陛下は客から見えるところに影武者を置いていたから、リシャスが見え透いた嘘と思っても無理はない。周りからはリシャスの方が正しいと見えてしまうだろう。
右手に持った細身の剣の切っ先がこちらに向けられ、左手に持った短剣がピッタリと身体に添えられる。観察すると、右手の細身の剣は切っ先にしか刃がついていない。刺突に特化した武器だろう。
一方、左手の短剣は分厚く峰側はギザギザになっている。こちらは防御もできそうだ。
「おお? 決闘か!? ちっちゃいのにやっぱり貴族なんだな」
ワイワイと、野次馬が集まってくる。闘技場の客だけあって、決闘を止めようともしない。むしろノリノリだ。せめて衛兵を呼ぶ人ぐらい、いて欲しいものだが。
「イーくん、負けるな!」
ユニィから熱のこもった応援が飛んでくる。前々から、ユニィは僕がリシャスを叩きのめすことを望んでいた。だが、いくらなんでも本人の目の前で、迷いなく僕の応援をするのはどうかしている。
「貴様ら……」
目をキラキラさせるユニィと、ギラギラと暗い目をするリシャス。いくら子ども同士とはいえ、もうこの二人を和解させることは不可能だろう。
決闘も避けられそうにない。残る選択肢は、適当に負けてリシャスのプライドを満たしてお茶を濁すか、がんばって勝つことぐらいだ。
とはいえ、僕は一昨日に重症を負ったばかりの病み上がりである。見た目上傷は消えが、背中の筋肉は伸ばすと肉離れした時のように痛いし、失った血は神術では補填されないのだ。コンディションが整っていればまだしも、歳上の相手に頑張って勝つのは厳しいかもしれない。
「殺してやる」
リシャスが座った目でにじり寄ってくる。手に持っている剣は真剣だし、これは本当に殺しにきそうだ。わざと負けるのは危ないかもしれない。
ならば勝つしかないが、身体はいつも通りに動くだろうか?
間合いが迫ってくるにつれ、不安で背筋が寒くなって、心臓がキュッと掴まれたように痛くなった。
思わず、腰の短剣に手をかけるが、恐怖に足がすくむ。『死の谷』ではじめて飛猿と戦った後、怖くて泣いてしまったことがあるが、それより今の方が怖い。
「せいっ!」
リシャスが半身のまま2歩ほどの間合いを一気に詰めてくる。動き自体はフェンシングに近い。だが、前世のテレビでやっていた大会より、リシャスのほうが圧倒的に遅い気がする。
「ひぃっ!」
小さな頃からの訓練の成果だろう。無意識に悲鳴をあげながら、ぎこちなく身体が反応する。
「なっ!」
刺突をかわしながら前進して、タックルをしようとしたが、リシャスは僕がかわした時点で反復横跳びのように引いていく。リシャスが驚いた顔をしているのを見て、溜飲が下がって少しだけ冷静さが戻ってくる。
「痛ったぁ」
冷静さが戻ったことで、肩が服ごと切られて、紙で指を切った時のような痛みがあることに気づいた。傷は背中側なので、どの程度の傷なのかはわからない。
どうやら、しなる剣に間合いを狂わされたようだ。まだまだ見たことのない武器があるな。
「浅かった!?」
リシャスが悔しそうに呻く。新中学生ぐらいの見た目なのに、迷いなく僕を殺すつもりとか、物騒すぎるだろ。
「イーくん剣を抜いて!」
ユニィの悲鳴のような声で我に返る。あのしなる細剣を、すくんだ足でかわし続けるのは難しいだろう。防具が一つでもあれば、剣を弾くこともできただろうが、こんなことが予想できるはずもない。剣を合わせると、またクソ親父が刃こぼれだなんだとうるさいのだけど。
ユニィにうながされるまま、僕は剣を抜いた。
「ちっ!」
舌打ちしながら、牽制するように軽く突いてくる。
一応僕の短剣にはミスリルメッキがされているので、あれくらいの細剣なら斬れそうだが、あの刺突位置は斬りにくそうなので、相当大きく避けて横から斬らないと無理だ。
そして、そこまで回り込めるなら、わざわざ剣を狙う必要はない。
それにしても、厄介な剣術だ。刺突特化の細剣は僕の短剣より間合いが広く、それをくぐり抜けてもまだ短剣がある。柔道技も両手に刃物を持った半身の相手にかけれるほど習熟していない。
「あのチビっこいの、コンストラクタ家の後継だな。戦う姿は初めて見るが……」
聞き覚えのある声に野次馬のほうを見ると、前に治療活動を手伝ってくれたアノーテさんだった。
視線が離れた隙を狙って、リシャスが反復横跳びのような歩法で踏み込んでくる。刺突をかわしながら、しなりを弾くのは簡単だが、いざ反撃しようとすると滑らかに引かれて間合いが遠のく。
「なーんだ。赤熊倒したっていうからどれほどのもんかと思えば、あんなおっそい攻撃食らってるのか。あれじゃナログでやっていけないよ」
防御を何度か繰り返して、少し息が荒くなってきたところで、ショーン君の小馬鹿にしたような声が聞こえてきた。
今日はいつもより疲れやすい。すでに視界が黄色く歪みだしていて、血が足りないのを実感させられる。
「そうやって見下すのが、いかに危険かわからないの?」
ショーン君をアノーテさんが叱っているのが聞こえた。どいつもこいつも、子どもにはデリカシーというものがないのか。
「だってアイツ、ろくに霊力も使えてないよ?」
その声で、目が覚めた。僕は恐怖でそんなことも忘れていたか。
ええっと、最初は息を止める要領で、体内から流れ出す霊力を止める。っていうのが基礎だったかな?
もうおぼろげな幼い頃の記憶を思い出しながら、改めて霊力を意識してみる。視界の歪みも息切れも治らないが、身体は少し軽くなった。
「しっ!」
リシャスが再度突っ込んでくるが、細剣がしなる部分だけ短剣ではじき、かわし続ける。だんだんとコツわかってきて、かわすのも簡単になっていく。
リシャスの剣は確かに遅い。今なら簡単に細剣の内側に入れるだろう。
しかし、リシャスは変則的な双剣術で、まだ短剣を残している。ユニィには剣が得意と言っていたぐらいだし、隠し球があるかもしれない。
嵐のような刺突の連撃かわしながら、悩む。
「何、アイツ。急に霊力を使い出したと思ったら、今度はかわしてばっかりで全然反撃しないじゃん」
カウンターを狙われていたらどうするんだ。これだからお子さまは。
「普段格上とばかり訓練してるからでしょうね。相手の力量をちゃんと測れてないんでしょう。ショーンとは逆ね」
アノーテさんの解説が聞こえたのだろう。リシャスの表情が悔しそうに歪む。そりゃそうなるよね。
「ば、ばかにしやがって!」
感情的になってさらに連撃が激しくなるが、片手だから疲れたのだろう。刺突の精度がばらつきはじめる。
「じゃあ、もしショーンならどうするの?」
「双剣で挟んで止めて、剣を斬るかな」
「双剣じゃなかったら?」
「霊力を思いっきりこめて、腹側に払い除ける」
ほうほう。そんな簡単にいくわけはないけど、それなら短剣の反撃をくらいにくいだろう。良いアイデアだ。
「ほい!」
言われたとおりに、細剣の刺突を、内側に向かって叩く。えらく甲高い金属音がロータリー中に響き渡った。
リシャスはその場で逆らわずに、くるり、と回転して、短剣で切り付けてくる。直線的な動きから、急に円運動になって面くらう。
軽く後方にステップを踏んで、短剣と細剣の斬撃をかわす。再び連続刺突に切り替わった。
「ああいうのは刃を傷めるのよ。武器は大事に使わなきゃ」
さすが元パーティメンバーだけあって、クソ親父や義母さんと同じ解説をする。
「またそれ? そういえば、アイツ、なんか顔色悪いよ? 体調悪そう」
うるさいな。背中にナイフ刺さって、だいぶ出血したのが一昨日なんだから、仕方ないだろ。身体もだるいし、 目眩もしとるわ!
「大怪我した後とか、あんな感じね。こんなところで決闘してるぐらいだから、いろいろやらかしてるんじゃない?」
全部聞こえてるからね。やらかしとか、あれは絶対僕のせいじゃないだろ!
「ちょこまかと! 勝負しろ!」
いかんせん、リシャスは体力がなかった。息も絶え絶えになりながら、それでも手を緩めない。
「お〜。何だ? 決闘があるって見にきてみたら、うちの息子じゃないか。相手は誰だ?」
「あ〜、ありゃうちの娘の許嫁じゃな。パール子爵家んとこの嫡男」
「お前も懲りないな〜。母にフラれたからって、その息子と自分の娘を結婚させようとするとか、さすがにどうかと思うぞ?」
「そ、そんなわけないじゃろ。貴族なんじゃから、政略結婚じゃよ」
また聞き覚えがある声が聞こえてくる。確認するまでもなく、クソ親父とシーゲンおじさんだ。ろくでもない会話だが、それでも準決勝に駒を進めた二人の登場に、野次馬たちの注意が一気に吸い寄せられていく。
リシャスの剣に込められた焦りが大きくなるのがわかった。
「しかし、イントはどうしたんだ? 手加減でもしてるのか? いや……」
クソ親父には負傷した話をしていない。このままではバレる。
だが、リシャスの懐に入れるとして、防御用の短剣で迎撃されたらまずい。
「おいイント! 何を遊んでるか知らんが、技を思いつかないんだったら力ずくでいけ!」
あんまりと言えばあんまりなアドバイスである。僕ができる力技といえば、練習中の偽縮地ぐらいか。本物の『縮地』は、霊力を操作して急に動いて急に止まる技だが、僕ができるのは全力の踏み込みだけで、急に止まる部分はまだ習得できていない。
「!」
それでも十分だった。細剣をかわした瞬間に思い切り踏み込んで、勢いに任せて突き飛ばすだけ。
単なる踏み込みのために技術と思っていた『縮地』は、実は絶大な力技だった。




