87話 小さな決意
目が覚める。全身がだるいのはなぜだろうか? まるで身体に泥がつまっているようだ。
「あ、おにいちゃん? めがさめた?」
僕が寝ているベッドの横に、ストリナが座っていた。蝋燭が一本だけ灯されているが、それだけでも妹の顔は十分に見える。
「リナ?」
「よかったぁ。めをさまさないかとおもった」
目を覚さない?
ボンヤリした頭で、記憶を探る。
魔境から街道を護る砦からの帰り、怪しい山賊に襲われたんだっけ。戦力差は圧倒的で、包囲を突破して逃げる際に、投げナイフを投げ返されて負傷した。
あわてて背中の傷を触ろうとする。だが予想したような痛みはなく、僕は包帯すらつけていなかった。わずかに筋がズレるような痛みと筋肉痛があったが、予想していたような傷はない。
「キズなら、みんなでなおしたの」
なるほど。異世界って便利だな。治癒系の神術のおかげか。
ベットの中で身体を起こす。上半身を起こしただけだが、軽い目眩がした。
「他のみんなは?」
「みんなぶじ」
良かった。僕が方針を変えさせたせいで、シーピュさんたちが怪我をしていたら、申し訳が立たなくなるところだ。
「これのんでて。あたしはみんなにしらせにいく」
ストリナは、ベッドサイドに置かれた蝋燭の火を燭台の蝋燭に移すと、それで足元を照らしながらパタパタと部屋を出て行く。
部屋の中はかなり暗いので、自称天使さんに頼んで灯りを出そうかとも思ったが、クラクラしているのでやめておいた。
「みんな?」
部屋は暗いので、間違いなく夜である。こんな時間に、他に誰かいるのだろうか?
いろいろと考えながら、渡されたコップを一口飲んでみる。生ぬるい常温のスポーツドリンクで、とても味が濃い。大量の水分が失われていたのだろう。軽く飲んだつもりが、一瞬でコップの中身がなくなってしまった。まだまだ乾きが満たされないが、一息はつけた。
「ここはどこだろう?」
部屋の中を見回す。どことなく見覚えがある部屋だ。泊まっている宿の部屋とほぼ同じ家具配置になっていて、でも僕の荷物はない。警備上の理由からワンフロア全部借りているので、どこかの空き部屋だろうか。
「それにしても、この世界は治安が悪すぎるなぁ。これ、生きていくだけでも大変なのでは」
各種魔物に街のチンピラに山賊。襲われすぎである。どれも手強かったが、あの山賊もどきは特に手ごわかった。今回もたまたま助かったが、下手をしたら死んでいたかもしれない。
そう言えばクソ親父も、訓練をやめたらいつか死ぬって言ってたっけか。確かに、この調子で襲われ続けていたら、いつか僕は死ぬだろう。そうなる前に、安全な場所に閉じこもっていたい。
「イント君!」
最初に部屋に飛び込んで来たのは、マイナ先生だった。続いて、シーピュさんをはじめとした狩人さんたち、なぜかユニィまでいて、ガヤガヤと部屋に入ってくる。
「もう、何してんのよ」
「イーくん……」
マイナ先生が横で泣き崩れて、ユニィも目を真っ赤に泣きはらしていた。
「え~と、そんな、泣くほどだったの?」
あんまり女子に泣かれることに慣れていなかったので、戸惑ってしまう。
「すいやせん坊ちゃん。あの後、街道を巡回していた騎士団に助けられたんですが、そこに辿り着くまで止血ができやせんでした。王都に到着後、なんとか門前の治療院に運び込んだんですが、神術では失った血までは補えず……。本当にすいやせんっ」
シーピュさんが、いきなり土下座をしてくる。彼は逃げる時に僕を背負って走ってくれたはずで、お礼を言いこそすれ、土下座されるいわれはまったくない。
「やめてよ。もしもシーピュさんが僕を見捨ててたら、助かってなかったんだから」
僕はベッドを降りて、シーピュさんを立ち上がらせた。やっぱり、立ち上がるとちょっとクラクラする。
「ところで、山賊達はどうなったの?」
シーピュさんまで涙ぐんでいたので、話題を変える。
「抵抗したので、大半はその場で斬られたようですぜ。負傷して抵抗できなかった奴が何人かだけ連行されたようでさぁ。逃げ切った奴がいたかはちょっとわからんです」
人が死んだ話であるにも関わらず、シーピュさんは淡々としたものだった。まぁ、基本的人権とか、そういうものは存在していないので、仕方がないのかもしれないが。
それにしても、なぜあの山賊たちは、騎士団が巡回しているような安全な街道で活動していたのだろう? 思ったように略奪できないだろうに。
「それで、父上と義母さんは?」
以前、同じように気を失って意識を戻した時には側にいたはずだけど、今日は姿が見えない。
「ヴォイド様は本戦中です。ジェクティ様も今日から観客を護る防御壁担当として参加しておられるので、お二人ともまだ宿に帰ってきてねぇんですよ。知らせようとはしたんですが、取り次いでもらえなかったんで……」
今日は本戦の日か。ということは、予選落ちということはなかったらしい。しかもこの時間になっても帰ってきていないということは、本戦も勝ち抜いている可能性が高い。取り次いでもらえなかったのは、逆に運が良かった。
「よしみんな。知らせるのはやめておこう。父上の気を散らしても何だし、この件はしばらく秘密ということで」
護衛兵力を半分砦に残したのも、山賊ごときを相手に逃げたのも、僕が負傷したのも、親父に知られたらどうせ怒られる。
先送りしてどうにかなるものでもないけど、体調が悪いときは勘弁してもらいたい。
「え? でも……」
マイナ先生が、戸惑っている。さすがに当主に隠し事をするのは気がひけるか。
「大丈夫。試合が終わったら僕から話すから」
言葉を足して、全員に異論がないことを確認する。よし、とりえず、決勝が終わるまでは隠し通すとしよう。
「おにいちゃん、ごはんもってきたよ」
戻ってきていなかったストリナが、自分の首ぐらいまである大きなワゴンを押しながら、部屋に入ってきた。そういえば、めちゃくちゃお腹が空いているし、喉も乾いている。
なんて気がきく良い子だろう。うちの妹、可愛い上に仙術も神術も武術も人並み以上で、おまけに気配りまですごいとか、完璧すぎて怖い。
成長して嫌われたらショックだから、今度思い切り甘やかそう。そうしよう。




