76話 謁見と勅命
「陛下! こんなものをナログに渡してはなりませぬ!」
国王陛下は重臣たちと共に、バルコニーから街をひとしきり観察した後、謁見の予定時間を大幅に過ぎた頃に玉座に戻ってきた。
戻ってくるなり、初老の近衛騎士団長様がスキンヘッドに血管を浮かび上がらせながら、唾を飛ばして意見を言いはじめた。
「なぜだ。レールズ。神術にも『遠見』の術があるし、仙術にも『千里眼』の術がある。これは大変珍しいものだが、珍しいだけではないのか? それで交易が再開できるなら安いものだ」
そう言いながらも、国王は望遠鏡を手放そうとしない。
「そんなわけがないでしょう! 『遠見』を使える神術士は貴重です。『千里眼』となるとさらに少ない。陛下の『千里眼』と比較してどうでしたか?」
国王は少し考えてから、頷いた。
「いや、比較というよりは上乗せだな。『千里眼』を重ねて使うと、少し歪むがより遠くが見えた」
「それだともっとダメでしょうが!?」
「ふむ。確かに」
近衛騎士団長の主張に、国王陛下は納得してしまったようだ。
「と、いうわけだから、この技術のナログ共和国への供与は許さぬ。製法は秘匿し、まずは王家に献上せよ」
デモンストレーションに成功したと思ったのに、思わぬ方向から待ったがかかってしまった。
それにしても解せぬ。ガラスを溶かすというのは、前世でも気軽にできることではなかったけど、奈良時代にはガラスは外国から入ってきていたし、こちらの世界でも溶錬水晶の食器は作られている。
レンズを作れる技術的下地は充分にあるはずで、たかが望遠鏡ぐらいで目くじらを立てるとは、国王陛下も器が狭い。
「はっ! 仰せのままに」
僕が不服そうにしたのを見て、クソ親父が無理やり頭を下げさせてくる。
「しかしながら、これは実に面白いものであった。他にはないのか?」
陛下は望遠鏡を返してくれない。あれは、まだレンズの磨きが甘いと言われているものだ。あくまでデモンストレーション用の急造品なので、可能なら取り戻したい。
「そういえばこやつ、『救民規制法』を撤廃すべきと言っておりましてな」
返答に迷っていると、フォートラン伯爵が、急にいらない話題を蒸し返してくる。挨拶に行った時、確かにそんな話をしたけど、今日の原稿には入っていなかった。ホッとしていたのに、こんな形で不意打ちしてくるとは。
僕はフォートラン伯爵から相当嫌われているらしい。
「ほう? 余が民を救わんとすることに、何の意見が?」
筋骨隆々な国王である。明らかに武人で、真顔で睨まれると、かなりの迫力だ。
「民を救うことについては、大変素晴らしいことかと思います。ですが、現状、塩の販売は不可能な状態となっております」
仕方ないので、ぶっつけで発言を開始する。需要曲線、供給曲線の話は、後ろで野次馬が聞いているので、話せない。別の切り口から説明する必要があるだろう。
「ほう? なぜ不可能なのだ?」
マイナ先生いわく、国王が勅令により定めた法律を批判するのは、かなり危険な行為らしい。下手をすると国王への反逆ととられかねないのだとか。
じっとり汗が滲む。魔物を前にした時と似た、腹の底が重くなって頭に血が昇る感覚がやってきた。
「はい。上限価格で行商人に売った場合、法規制があるので、行商人は同じ価格で売らねばなりません。これでは行商人に利益が出ないのです。」
行商人は基本、転売時に利益を上乗せして儲けている。だから、利益を上乗せできない商品は扱わない。
「少し発言をよろしいでしょうか?」
フォートラン伯爵の隣の貴族が、挙手をしている。カエルを彷彿とさせる人の好さそうなおじさんだ。
「どうぞ。アーク・パール伯爵」
宰相が発言を許可する。パール伯爵ということは、アモン監査官の親族か。確かにアモン監査官と雰囲気が似ているかもしれない。
「陛下、この者の発言を真に受けてはなりませぬ。『不可能』は下々の者が良く言い訳にする言葉です。不可能な理由ではなく、実現する方法を考えさせなければなりません。『不可能』という言葉で、陛下の勅令をないがしろにすることは許されません」
パール伯爵の声は穏やかだが、棘がたくさん含まれている。
「一理あるな。ではイントよ。本当に『不可能』なのか」
うちの家族は助けてくれそうもない。脳筋ぞろいなので、こういう場は苦手なのだろう。
だからと言って、僕が得意なはずもないのだが。
「パール伯爵閣下がおっしゃることはもっともです。実際、行商人は上限価格でも、塩を買おうとしています」
パール伯爵は我が意を得たりと笑った。
「ですが、それは保存食の材料として購入しているからです。行商人たちは、確かに工夫して合法的に塩を上限価格で買い取ることを実現しました。結果として、防腐処理を塩で行う保存食は、今や一般庶民の手の届かない価格に高騰してしまっています」
追い打ちをかけると、パール伯爵の表情が抜け落ちる。
実際、うちの村では塩漬け肉として販売しているが、毎日値段が高騰していっているのだ。村は儲かるが、買い手の国民にとってはたまったものではないだろう。
「陛下の勅令にこめられた願いは、塩の高騰を防いで民の平穏を守ることにあり、塩そのものの流通を止めて民を苦しめることではないはずです」
もうハッタリしか頼るものがない。強い言葉を重ねていく。
「貴様ごときが、陛下のご意思を論じるか! 恥を知れ!」
パール伯爵の顔に朱が差している。なんて沸点の低い家系だ。ホント、パール家の人とは馬が合わないな。
「まぁ待てパール卿。最後まで聞こうじゃないか。イントよ、ではどのようにすれば良いのだ?」
国王がパール伯爵を窘めて、続きを促してくる。コンストラクタ家は王族派で、国王の支持基盤となっている派閥なので、多分大丈夫だろう。
「塩の上限価格を撤廃してください。陛下が支援してくださるなら、半年後には上限価格を下回る価格にまで下落させて見せます」
断言して見せたが、緊張で手が震えるのを感じる。
「言っておくが、『望遠鏡』の技術供与はナシだぞ?」
う……。正直そのカードを使えないのはつらい。
「では、現物を輸出はどうでしょうか?」
おそるおそる尋ねる。
「ならぬ。それが可能なら、まずは我が軍に行き渡るようにしてもらおうか」
国王陛下は笑顔で却下した。
「類似技術ならどうでしょうか?」
食い下がってみる。
「ほう。類似技術がまだあるのか。どのようなものがあるのだ?」
食いつかれた。
「研究中ですが、例えば、目では見えない小さなものを拡大してみることができたり、遠くや近くが見えなくなる病気を治したりするような技術です」
顕微鏡なら望遠鏡同様凸レンズ2枚で出来るし、近くのものが見えなくなる遠視、いわゆる老眼なら凸レンズ、遠くのものが見えなくなる近視なら凹レンズで補正できるらしい。
ただし、顕微鏡ならプレパラートや反射率の高い鏡の実現が必要だが作り方がわからず、メガネなら個々人の目に合わせた調整のやり方が分からない。教科書に載っていないからだ。
僕の行き当たりばったり具合を読まれたのか、国王陛下も呆れ顔になっている。
「それは面白そうだ。だが、何度も言うようであるが、そんなものが実現できるのであれば、まずは我が国で使うべきであろう?」
塩不足で国民が苦しんでるというのに、国益優先か。あれもダメこれもダメでは、正直どうすれば良いかわからない。
「では、宝石のように美しい食器ではいかがでしょう?」
溶錬水晶工房の親方、ヤーマンさんはレンズに緑や茶の着色ができると言っていた。ならば、そういう色の食器も作れるはずだ。
「溶錬水晶の食器か? それならばまぁ良いだろう。だが、それはすでにあるものだ。そんなものでナログ共和国が動くとは思えないが?」
今の溶錬水晶の材料は、水晶をアクセサリーとして加工した際に出たクズ水晶だ。だから、クズ水晶といっても値段はそこそこする。だが、砂浜の砂から作れば圧倒的に安くなる。
望遠鏡よりはインパクトが薄いが、ナログ共和国は海運貿易で稼いでいる国らしいので、安価な輸出品は大歓迎だろう。
「やってみる価値はあるかと」
「どのようにするか、気になるところではあるが……」
国王陛下はチラリと、野次馬貴族たちを見る。
「我が家の秘伝ですので、ここで明かすことはできません」
国王陛下は軽くうなずくと、今度はクソ親父を見た。
「コンストラクタ卿も同意見だな?」
「は? ハッ!」
急に話を振られ、反応が一瞬遅れる。また話を聞いていなかったな?
「陛下! 陛下! たかが男爵の要求で勅令を取り下げるのは、陛下の体面が保たれません。どうか耳を貸さぬよう!」
パール伯爵が割り込んでくる。フォートラン伯爵といい、パール伯爵といい、どうしてうちはこうも嫌われるのか。
だが、体面と国民、どちらが重要かなんてわかりきった話だ。さすがに国王陛下も——
「ふむ。パール伯爵の言にも一理あるな」
え? 一理あるの? 全否定じゃないの?
「ではこうしよう」
国王陛下は嬉しそうにニヤリと笑った。
「ヴォイド・コンストラクタ男爵に命じる。一週間後に開催される武闘大会に出場せよ。優勝者は余に一つ願いをすることが許される。優勝して、再度勅令の撤回を申し出よ。それで良いな? パール卿」
「さすがは陛下。ありがたきご裁可」
それを聞いたパール伯爵も、嬉しそうにニヤリと笑って頭を下げる。
命じる、ということは勅命で、臣下たるクソ親父殿に拒否権はなさそうだ。
その上で、パール伯爵が嬉しそうにするということは、つまり陛下はパール伯爵の妨害工作を許容したということか。
あれ? 伯爵家の本気の妨害工作に、貧乏男爵家が対抗するとか無理ではなかろうか? もしかしてうち、詰んだ?




