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66話 婚約の挨拶2


「ちょっと! 伯父様! それは失礼です! イント君がいなければ、わたしは死んでいたんですよ!?」


 僕が言い逃れを考え出すより先に、マイナ先生がフォートラン伯爵に噛みつく。


「いや、だってマイナちゃん、こいつさっき変な手つきしとったで? ぜったい思い出しとったで?」


 ぐうの音も出ない。僕は確かにさっき柔らかさを思い出していた。手のひらを見る。今回は大丈夫だ。勝手に手は動いていない。


 一瞬、赤くなったマイナ先生と目が合った。


「あ、あれは医療行為だから問題ないんです!」


 そうそう、医療行為。僕だって前世では心臓発作で死んだのだ。邪な気持ちでは決してない。ないったらない。


「男は狼なんや。マイナちゃんは甘すぎるで!」


 伯爵にめっちゃ睨まれてる。許可をもらうには、なかなかハードルが高そうだ。


「騙されるも何も、先に目をつけたのはわたしです! それに婚約して責任も取ってくれるんだから、問題ありません!」


 え?


「なんでやねん!? マイナちゃん自分より優秀な奴やないと嫌や言うてたやないか!」


 ええ?


「イント君は優秀ですよ? あたしより遥かに!」


 えええ?


「さよか! そこまで言うなら、そこのクソ坊主の優秀さ、見せてもらおうやないか!」


 ええええっ?


「情報集めてないんですか? これまでの成果をいくらでも見れば良いじゃないですか!」


 マイナ先生はノリノリで口論している。


 相手は上級貴族の伯爵である。いくら姪とはいえ、真正面から反論して大丈夫だろうか?


「そんなもん知らん! マイナちゃんが手取り足取り教えとるんやったら、できてもおかしないやろ」


 そろそろ話に入ったほうが良いだろうか?軽い挨拶だけのつもりが、なんか話が大きくなってきている。


「じゃ、何だったら伯父様は認めてくれるんですか?」


 考えていなかったのか、伯爵の動きがピタリと止まった。少し考えてから、再び話し始める。


「せ、せやな。少なくともワシを超えていることを証明してもらわなな……」


 話ながら、何か思いついたらしい。急に身をのりだしてきた。


「せや! 坊主は塩が得意なんやろ。じゃあこの国の塩不足を何とかしてもらおか」


 これは僕にもわかる。多分、僕はこの質問にどう答えるか試されているんだろう。国レベルの問題なんてどうにかできるわけもないのだから。


 もしくは、かぐや姫的な認めない宣言の可能性もあるか。伯爵の視線はかなり敵対的だし。


「それは面白そうですわね」


 僕の回答が決まるより先に、ターナ先生が口を開いた。


「姉上?」


 それまで強気だった伯爵の表情に、少し怯えが混じる。この姉弟の間に、過去何かあったのだろうか?


「あなたができなかったことをやる。それは良いでしょう。しかし、あなたは王家と宰相府とフォートラン伯爵家と賢人ギルドの支援を受けていますわよね? 当然、イント君もあなたと同じ条件で支援を得られると考えても良いかしら?」


 あれ? 思っていたより話が大きくなっていく。試されている僕が喋れなかったら、判定はどうなるんだろう。


 賢人ギルドとフォートラン伯爵家はまだ理解できるが、王家と宰相府の話とか、流れがまったく読めなくて話に割り込めない。


「わしは小僧個人の実力が知りたいんや。そんな条件やったら小僧が、姉上やマイナちゃんの支援を受けてまうやないですか」


 僕を置き去りに、話は進んでいく。


「8歳の子どもに自分の尻拭いをさせようとしておきながら、何を言ってるのかしら。恥を知りなさい」


 いつもと違う冷たい口調で、伯爵の発言をピシャリと切り捨てる。


「あ、姉上? こんな坊主が本気でできると思ってーーー」


「できますわ。あなたの目は節穴ですの?」


 ターナ先生は伯爵に発言を許さない。何だかどんどんハードルが上がって、雲の上に達してしまった。


「何を根拠に?」


 ターナ先生に怯えながら、必死に虚勢を張る伯爵はなおも言い募る。


「根拠? イント君にどうやったら解決できるのか聞いてみればいいのですわ」


 僕にいっせいに注目が集まってきた。ゾワリと寒気が背筋を這っていく。


「ほんまかいな……。じゃあ坊主、塩不足を解決するにはどうすれば良いと思う?」


 ようやく、フォートラン伯爵がこちらを向く。そういえば、監査を受けたとき、似たような話をしたっけな。


 その後、中学の公民の教科書と高校の政治経済の教科書を読み直し、勉強しなおしている。予習はバッチリだ。


「何か書くものを貰えませんか?」


 僕がお願いすると、すぐにあの茶色くて書きにくい紙と、ペン、インク壺が用意される。この紙、本当に書きにくい。最近、筆圧を緩めにすると少し滑らかに書けるという発見をしたが、それでもやっぱり時々引っかかるのだ。


(政治経済の市場原理のページを開いて)


 心の中で自称天使に呼び掛けると、すぐに手元に教科書が開かれる。目当ては需要と供給のページだ。


「まず、物の値段の決まり方から説明しますね」


 まずは縦軸と横軸を書き、縦軸には価格、横軸には数量を追記していく。


「うん? えらく遠回りやな」


 フォートラン伯爵立ち上がって近づいて来て、めんどくさそうに手元の紙を覗き込んでくる。


 僕だって本当はこんな説明はしたくない。前世だったらみんな知っているので省略しても問題なかっただろうが、ここの人たちは多分学校に行っていないのだ。


「少しだけお付き合いください」


 遠回りでも丁寧に前提から説明していこう。


「まぁかまわんが」


 伯爵はニヤニヤ笑っている。


「ではフォートラン伯爵様にお尋ねしますが、伯爵様が塩を売る商人だとして、値段が高い場合と安い場合、どちらの場合でよりたくさん塩を売りたいですか?」


「簡単やな。値段が高い場合やろ」


 なぜか自信満々だ。


「そうですね。商人は値段が高い場合はたくさん売り、安い場合はあんまり売りたくないと考えます」


 言いながら、供給曲線を書き、グラフの見方を軽く説明する。


「では次に、伯爵様が塩を買いに来た客だったらどうでしょうか? 値段が高い場合と安い場合、どちらで塩を買いたいですか?」


「さっきから何言ってんねん。それは値段が安い場合に決まっとるやないか」


 紙に需要曲線を書き加える。


「そうです。つまり商人と客で考え方は対立します」


 言いながら、供給曲線と需要曲線の交点に丸をつける。


「それが折り合うのが均衡点、いわゆる相場です」


 さらに、その下に水平の直線を引く。


「そして、価格を均衡点より下に規制してしまうと……」


 水平に引いた直線と供給曲線の交点と、需要曲線の交点までを強調する。


「塩の需要超過、つまり塩不足が発生します。これが今回の塩不足の直接の原因です」


 フォートラン伯爵の顔が渋いものになった。


「つまり何や? 救民規制法から塩の規制をはずせいうんか? そんなことしたら、アンタム都市連邦の思うがままやないか。塩を高騰させられて、はいおしまいや」


 おや? この辺の話は前にナーグ監査官にもした気がするけど。


「ええ。そうなる原因は塩の仕入れ先が一つであることです。供給元がアンタム都市連邦に独占されているから、売値を自由にされてしまいます」


 この状態を「独占」という。ちなみに、供給者が複数いても、競争がされていないなら「寡占」状態になる。


 売値の変動の原因は「競争」なのだ。


「ですから、アンタム都市連邦の競争相手を用意しなければなりません」


「ほう。塩を売ってくれる相手が、他にいるのか?」


 少しだけ、フォートラン伯爵の顔に明るさが戻ってくる。


「ええ。例えばうちの村は、塩を生産できるようになりました」


 再び伯爵が目に見えて落胆する。くるくると表情が変わって面白い。


「そんなん、王国中で使われる量と比べたら圧倒的に少ないやろ」


「ええ。だからターナ先生が知り合いの研究者から、同じような温泉の情報を集めてくれています」


 チラリとターナ先生に目配せすると、折り畳まれた紙をテーブルの上に広げてくれる。


 これは本来、ターナ先生が弟の伯爵への手土産にしようとしていた情報だ。ターナ先生は石鹸の副産物として生成されるグリセリンの保湿効果に執着していて、量産したがっている。だから独自に塩確保に動いていた。


 僕はターナ先生がこれを用意していたのは知っていたが、中身は見ていない。


「ほう。コンストラクタ領の他にもあるんか。どれどれ」


 伯爵は興味深そうに、紙に目を通す。


「これは……。『死の谷』ほどちゃうけど、魔境ばっかりやな」


 僕も覗き込んだが、知らない地名が並んでいた。魔境というのは、魔物が群生する地域のことだ。


「そうですわね。もしかしたら塩があるから魔境になるのかもしれませんわ」


 塩は胃液や胆汁など、消化液の原料にもなっている。生き物には必須なので、魔物もそれを求めて集まっているのかもしれない。


「つまり他の魔境にも塩があるかもしれんちゅうわけか」


「ですわね」


 話はまとまっただろうか。では次だ。


「塩は優秀な素材ですので、今後国産の塩の生産が始まっても、すぐに足りなくなる可能性があります。そこで、もう一つ仕入れ先を用意しましょう」


 我が国は内陸国で、海から塩は作れない。ならば、アンタム都市連邦以外の国から入手すれば良い。


「それはどこや?」


 不服そうな表情を隠さない。多分探したけどダメだったんだろう。


「お隣のナログ共和国ですよ。聞くところによると、水晶浜なる砂浜があるらしいんですけど、そこの砂を特産品に加工する技術と交換条件で、国交を開いてもらうとか、どうでしょう?」


 僕がそう言うと、フォートラン伯爵は一瞬ポカンとしてから、呆れたように苦笑した。


「その特産品とやらが何かは知らんけど、あの国は世界中からいろんな品が集まる。ちょっとやそっとではなぁ」


 特産品外交は手応えが悪い。だが、フォートラン伯爵の刺々しさは少し緩んだ。


「あれ? ダメですか? 目が悪いのを治せたり、遠くの物を見たり、小さいものを大きくして見たりできるようになるかも知れないですけど」


 ガタッと、マイナ先生が立ち上がる。


「イント君? もしかして遠くが見えにくくなるのも治る?」


 近視のことだろうか? 近視なら凹レンズで治せる。


「色々試さないといけないけど、多分」


 マイナ先生が、後ろから肩に手をかけてくる。


「それ、すぐ作りましょう! 何が必要なの!?」


 爪が食い込んでくる。

 

「いや、砕いた水晶とか、結構いろんな材料いるよ?」


 いたいいたい。


「じゃあすぐに水晶を砕きましょう!」


 マイナ先生、どうしたんだろうか。


「水晶って宝石でしょ? 高いですよ!」


 材料は砂浜の砂で良い。宝石の水晶からガラスを作るとか、いくら何でももったいない。


「水晶? そういやぁ最近『溶錬水晶』ちゅう素材で作った酒杯を売り込んできたやつおったな。あれみたいなもんか?」


 フォートラン伯爵は執事を呼んで、茶色っぽい分厚いコップを持ってこさせた。


 透明度はそれほど高くなく、色もムラがあり綺麗に発色していないが、確かにガラスだ。どうやらこの世界にもガラスはあるらしい。


「そうです。これの発展系ですね。もっと透明にしないと使えないですが」


 しかし、こんなものがあるということは、どこかにレンズも存在しているかも知れない。この世界に来てからメガネを見ていないので、需要はありそうな気がするけど。


「おもろそうやないか。ナログ共和国は根本的には商人の国や。利に訴えるっていうのは、ええかもしれん。まぁ、ほんまにその技術がモノになったらやけどな」


 お? 悪くない感じ?


「じゃあ、その計画でやってもらおか」


「え? やって、もうらおか? ええっ!?」


 いつの間にか、僕がやる前提にすり替えられてしまっていた。解決方法を聞かれたので、何も考えずに答えてしまったが、どうやら墓穴を掘ってしまったらしい。外野から意見するのと、自分がやるのでは難易度がまったく違う。


 僕は自分でやるつもりなんて、まったくなかった。誰か助け船を出してくれないだろうか?


 だが、一緒に来た親父は興味なさそうに壁にかけられた装飾の多い剣を眺めているし、義母さんはストリナと小声で喋っていて助けてくれそうもない。


 アスキーさんは相変わらず気配を消しているし、マイナ先生はウズウズした様子でこちらを見ている。多分今はレンズのことしか考えていないのだろう。


「できたら、婚約ぐらいは認めたる」


 できることならやりたいが、できる自信がまったくない。


 しかも、婚約「ぐらいは」ときたか。つまり、結婚の時にはまた何か言われるということで、面倒くさそうだ。


「あら、偉く上から目線ですわね。私、もうフォートラン家の貴族籍からは抜けてますの。ですから、娘の婚約にあなたの許可は必要ありませんの」


 ターナ先生は伯爵の言葉を真正面からぶった切った。相手は伯爵家だ。いくら現当主の姉でも、無条件に許されるわけではない。


「あ、姉上!?」


 フォートラン伯爵はまた渋い顔で口ごもる。ターナ先生はそれを無視して親父に向き直った。


「ヴォイド様? この愚弟の話は脇に置くとして、その計画面白そうですわ。陛下に奏上いただけるかしら」


 どうやら僕の意思は聞かれないらしい。これからいったいどうなってしまうんだろうか?


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