62話 古くて新しい技術革新
「すごいわ、イント! これは夢の新素材ね! これならヴォイドたちも大喜びだわ!」
義母さんは興奮した様子で、空中に次々聖紋を描いている。僕にはただの水銀との違いはわからなかったし、だいたいそれは本来の用途ではない。
「ちょっと、部屋の中でやめて。水銀は有害なんだよ?」
水銀は非常に有用な物質だが、公害を発生させる。前世では水俣病などがものすごく有名だった。今使っているのは無機水銀で、あの公害の原因になったのは有機水銀ではあるが、前世、体育館の水銀灯をLEDに交換する時に工事のおじさんに聞いた話では、国際的な条約で水銀灯の生産は禁止になっていたらしい。
『死の森』の砦周辺で起きている樹木の乱伐を見た時も思ったが、この世界の人は公害に無頓着すぎやしないだろうか。前世ではもっと気を使っていた。
「全部制御してるわ! 大丈夫! それにしてもこれは可能性の塊だわ!」
確かに意のままに動かしているようだけど、やっぱり水銀は危ない。もうちょっと脅しておいたほう良いかもしれないが、今は次の実験も必要だ。
僕の話を聞かずに狂喜乱舞している母さんを放置して、僕は部屋に用意してもらっていたボロ切れを取り出す。
続いて、自分の短剣の鞘に隠していた投げナイフを手に取る。
「ジェクティさま、自由自在ですごいのです。ああやって聖紋摂理神術を使っているのです?」
「私に聞かれてもねぇ……」
ユニィとマイナ先生は、義母さんを呆気にとられた様子で見ていた。
僕はそれを横目に、ボロ切れで丁寧にアマルガム合金を投げナイフの表面に塗っていく。
何でも、奈良の大仏は昔金メッキで金ピカだったらしい。どうやってメッキしたかと言えば、土台となる銅の上に、僕が今やっているように金のアマルガム合金を塗って、焼いたのだ。
水銀の沸点は357度で、それ以上に熱すれば金だけが表面に残る。大仏が建立された奈良時代でもできたのだ。メッキ自体に問題はない。問題は、熱したときに出る水銀の蒸気をどうするか、だろう。
平城京が長続きしなかったのは、大仏のメッキのために使われた2トン以上の水銀の影響が、平城京まで届いたからという説があると、前世の先生がいっていた。当時の地層を調査しても、水銀を多く含む地層は見つかっていないそうなので、どこまで事実かはわからないが。
ともあれ、気体は冷やせば液体に戻る。水銀も冷やせば元に戻るはずで、公害を出さない理屈自体は簡単だ。
普通にやると水銀の蒸気と煙が混じりそうだが、それを防ぐ方法は、すでに義母さんからヒントをもらっている。
そんなことを考えているうちに、ナイフにアマルガムを塗り終わった。
「義母さん、ちょっとお願いがあるんだけど」
義母さんは親父たちを光る透明の箱で囲い、逃げられない状態にしてから焼いていた。あれなら多分蒸気は外に逃げない。しかも義母さんはスライムを倒す時に凍らせていたという話を聞いたことがあるので、冷気も扱えるはずだ。
「今度は何?」
ミスリルと水銀のアマルガム合金という思わぬ副産物を得たせいか、すこぶる上機嫌になっている。とてもお願いがしやすい。
「さっき父上たちをぶっ飛ばした技なんだけどさ———」
メッキの原理を説明をしつつ、水銀の有害性、水銀の回収方法まで説明したところで、義母さんがニヤつきだした。
「それは面白いわ。ちょっとテストしてみるわね?」
クソ親父がぶっ飛ばされた時に使われた光る箱の正体は、護法系の神術で防御用結界に使われるものだ。あれは空気も通さないらしい。
その箱型防御結界が部屋の真ん中に出現して、その中に投げナイフを安置する。それを外から炎で温めると、徐々に投げナイフの色が変わっていく。
「へぇ。これも面白いわね。水銀の蒸気っていうんだっけ? さっきのミスリルのアマルガムほどじゃないけど、空気よりは霊力の通りが良いわ」
義母さんが手をかざすと、箱の中に聖紋が浮かび上がる。炎の聖紋らしく、ガスバーナーのような炎が生み出された。
そこからあっという間にメッキは終了し、最終的に冷やされて液体に戻った水銀はそのまま壺に戻された。
「見た目だけなら完全にミスリルね。霊力の通りも、鉄よりはだいぶ良さそう。原理は理解したし、蒸気?も操作できそうだから、結界はいらないわね」
義母さんは僕の護身用の短剣を抜くと、今度は直接刃にアマルガムを纏わせる。そしてそのまま、神術結界なしで水銀を気体にして、さらにそれを液体に戻して見せた。
「これ、見た目だけなのかしら? 面白い錬金術ね」
短剣は一瞬でミスリルの短剣に姿を変えた。メッキは張りぼてのようなものだが、見た目だけでもミスリルの武器をたくさんそろえれば、もし隣国に野心があっても二の足を踏むだろう。
義母さんは僕の短剣を窓の光にかざして、ためつすがめつ確認している。
「ねぇ? この水銀、売ってもらえない?」
僕は小声で、マイナ先生に囁く。
思い付きで色々実験してしまったが、よくよく考えれば、この水銀は賢人ギルドの持ち物で、勝手に実験に使ってはいけないものだ。
許可を取ったのは温度計の実験までだったのに、ミスリルを溶かし込んでしまった。これはもう手遅れなので買い取るしかないだろう?
「これ、この街を守るために考えたんだよね?」
マイナ先生が囁き返してくる。ミスリル製の武器が足りないという話から着想したので、その通りだ。僕はうなずく。
「これは流石にお父様に相談しないと無理かな。でも、できるだけ安くできるようにお願いしてみるね」
マイナ先生は、アスキーさんと相談するために部屋を出て行った。
「ねぇイント? 私のも、ミスリルメッキをして欲しいのです。」
マイナ先生がいなくなると、急にユニィが距離を詰めてきた。スカートの中から、小ぶりなナイフをベルトと鞘ごと手渡してくる。
「わ、わかったよ」
スカートの中から出てきたということは、太ももにベルトで固定されてたのだろうか?
ベルトに残された体温に、いろんな事を想像して、何だか無性に恥ずかしくなる。しかし、ユニィもナイフなんて持っているということは、扱えるということだろうか?
小柄で筋肉もなさそうなのに、人は見かけによらない。
「義母さん、お願いしても良い?」
僕は義母さんにナイフを渡そうとしたけど、義母さんはすぐには受け取ろうとしなかった。
「あら、イントも隅に置けないわね。さすがあの人の子ども。将来、そのナイフで刺されないようにしなさいね」
僕の短剣を確認しつつ、反応に困るようなことを言ってくる。そもそも、ユニィには婚約者がいるのだ。刺される状況になることはない気もするが。
「やっぱり。何かメッキが浮いてるわね」
義母さんは、僕の短剣を見て、何かに気づいたようだ。僕も覗き込んで見せてもらうと確かにメッキが浮いている。
爪先でこすると、簡単にメッキが剥げた。その下から変色した油が出てくる。
「あちゃ。これはやり直しかなぁ」
僕は小さい頃から刃物の手入れの方法を教えられていたので、すぐにピンときた。これは錆止めの油だ。
錆止めの油の上からメッキをかければ浮く。まぁ少し考えればわかる話だったか。
「教科書も完璧ではないのねぇ」
面白そうに笑う義母さんの声を聞きながら考える。ユニィのナイフをメッキする時は、絶対に失敗できない。
僕の脳みそはフル回転をはじめた。




