57話 ヴォイドの八つ当たり
結局、実験は昼食後に、賢人ギルドの倉庫の備蓄を使って行うことになった。
使う塩は西の隣国、アンタム都市連邦から輸入されていた塩で、現在は輸入されていない。
アスキーさんからは流通していない備蓄だから供給に影響はなく、他の産地の塩で同じことができるかの確認だと言われたが、多分詭弁だ。
僕とターナ先生とマイナ先生は、それから半日、水酸化ナトリウムとさらし粉の製造、それに晒し粉を使って紙の原料や布を漂白したり、固形石鹸を作ったりしながら、原子論や沸点、融点、気化などについて語り合った。
話をしていて気づいたが、この世界は正確な単位としての温度の概念がない。それどころか、長さや重さといった基本的な単位も地域によって違うそうだ。
そういえば、豊臣秀吉は天下統一してから太閤検地を行うために、度量衡の統一をやったと日本史で習った。わざわざ統一が必要だったということは、それまではバラバラだったのだろう。
そしてその政策が歴史に残るほど有効だったから、歴史の教科書に残ったのだ。
温度を単位として測る方法は、おいおい考えていったほうが良いだろう。とりあえず、水銀を使った温度計の作り方と、水が氷る時点が0度、沸騰するのが100度という話はしておいた。水銀は賢人ギルドの倉庫に備蓄があるらしく、ターナ先生は早速使いをやっていたので、そのうち温度計は作れるかもしれない。
一方、ストリナと義母さんは冒険者ギルドに向かった。
昼食の後に、冒険者ギルドが指名依頼の使者を送り込んできたのだ。僕らは行先を知らせていなかったのに、見つけ出して使者を送り込んできたあたり、冒険者ギルドも必死なのだろう。
残る親父は、アスキーさんと利益配分などの打ち合わせをしていた。捕らぬ狸の皮算用というやつだ。利益が出なくても僕は知らない。
「ほら、背後がお留守だぞ。一人を相手にしているからと言って、後ろから攻撃が来ないとは限らない」
そして、その後夕方にストリナを迎えに冒険者ギルドに来て、今だ。
ストリナの仕事が終わるまで、ギルドの訓練場で親父と軽く訓練することになったのだが、それがいけなかった。
親父は、緩急をつけたフェイントの後に瞬間移動のように背後に回りこみ、僕はド派手に吹っ飛ばされた。
地面に叩きつけられた僕は、呼吸ができなくなるほどの衝撃で悶絶する。
皮鎧を身に着けているとはいえ、冒険者ギルドの訓練場の壁際まで吹っ飛ばされるのは、受け身を取っていてもかなりのダメージになる。
「そら立て。そうやって殺されるのを待つつもりか?」
クソ親父が、いつもに増してスパルタだ。訓練していた冒険者たちも、ドン引きして訓練場から出てしまい、今では外から僕たちを観察している。
「こんのクソ親父、完全に八つ当たりじゃないか」
僕は笑う膝に喝を入れて、手に持った練習用の槍を杖替わりに立ち上がる。だが、もうそろそろ限界だ。ストリナの仕事、早く終わらないだろうか。
マイナ先生を奪われた恨みを、ダイレクトにぶつけられている気がする。
「おお、あいつ立ったぞ」
「受身がうまいんだな。あれ、誰だ?」
「『闇討ち』ヴォイドと、その息子だってさ」
あ、馬鹿。背後からの囁きに背筋が寒くなる。
僕は転がるように横に飛ぶ。
「ぎゃあああっ!」
一瞬前まで僕が倒れていた位置に、クソ親父の飛ぶ斬撃が豪雨のように降り注ぐ。悲鳴からすると、観戦していた人も巻き込んだかもしれない。
気に入らない二つ名を呼ばれたぐらいで、なんてことをしやがる。
「ほおお。かわしたか。さすが我が息子」
我が息子、というあたりに力がこもっているのは、何でだろうか。
「よし、じゃあ次もかわせよ? 叡智とやらも使い放題で良いぞ?」
いや、教科書はそんな万能じゃないから。
「今の、何の神術だ?」
「いや、霊力の放出はなかったぞ?」
「ってことは仙術? この街の騎士団にもいるらしいけど、やっぱ東部は魔境だな」
クソ親父の飛ぶ斬撃は、冒険者たちの心を掴んだようだ。さっきみたいに巻き込まれる可能性もあるのに、誰も帰ろうとしない。
絶望的な気持ちで、木製の槍を構える。
「だから、教科書に戦いなんて———」
いや、そうでもないか? 中学生の頃、武道の授業があった。うちの学校は柔道で、授業の大半は受け身だったけど、いくつか技を習った覚えがある。
「ほら! あんな美人と婚約するんだ。強くならなくっちゃなぁ!」
クソ親父は嫉妬を隠そうともしない。僕がいつも通り受け続けると思って調子に乗っている。
だが、こちとら反抗期ど真ん中で転生したのだ。たまには噛みついておかないと。
クソ親父が木剣を振るたびに、飛ぶ斬撃がうみだされる。
木剣の斬撃は、鉄剣で放つ斬撃より威力は低い。思いきり槍で突けば相殺できるし、喰らっても鎧の上なら吹き飛ばされる程度だ。
「シッ!」
回避から、思い切って接近に切り替える。
槍を突き抜ける衝撃に耐えながら、ステップでフェイントを入れつつ、危ないゾーンに踏み込んでいく。
「おっ?」
クソ親父のニヤニヤはまだ止まらない。斬撃を飛ばすのをやめて、構えを近接に切り替えた。
ステップに混ぜて、槍を思い切り投げつける。
「マジかっ」
クソ親父が槍をのけぞってかわす。槍に気を取られた瞬間に、距離を詰めて襟を掴む。そのまま足を引っ掛け、勢いをのせて引きずり倒す。体格差があるので変則的になったが、柔道の大外刈りである。
体勢が崩れていたせいでクソ親父は耐えきれず、キレイに半回転して地面に背中から叩きつけられた。
意外に大きな音がして、訓練場がシンっと静まり返る。
意表を突いたとはいえ、授業でやっただけの中途半端な柔道で、親父に攻撃が通った。人生で初めてのことだ。
僕はガッツポーズしようとして、親父が地面から消えていることに気づき、その次の瞬間には意識を失っていた———
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