46話 空飛ぶ夢の乗り物(夢)
実験室代わりに使っていた1階の物置は、中庭側に扉と窓が一つずつあるだけだ。
扉を閉めると風通しが悪く、開けると中庭に集まる商人たちから丸見えで機密情報が護れないだろう。
だからと言って、マイナ先生に塩素ガスを吸わせるわけにはいかない。安全性を最優先にした結果、実験は屋上ですることになった。
幸い、屋上には雨よけ兼矢よけ兼空からの魔物よけの簡素な屋根が点在している。
そのうち一つで、僕らは実験を進めて行く。
「すっごい。袋が浮かんでる!」
電気分解を始めて30分ほどで、水素がスライムの皮膜でできた袋を持ち上げた。前世でよく見た浮かぶ風船のようなものだ。管が袋に刺さった状態で、袋が徐々に上がっていく。
「良かった。実験は成功だねー」
僕ははしゃぐマイナ先生を横目で見ながら、壺の中の消石灰の粉末をかき混ぜた。
塩素は空気より2倍以上重い。だから塩素を壺の中に流し込んで、上から消石灰に棒を差し込んでかき混ぜているのだ。
棒は木製だったが、塩素のせいでもう変色が始まっている。金属はダメだと思ったが、木でもここまで変色するとは。
「これって、もしかしてこないだ『死の谷』で見た翼竜が空を飛べる理由だったりしないかな」
マイナ先生が風船を眺めながら呟く。翼竜といえば、義母さんが肉が美味しいと言っていたプテラノドンみたいな竜だ。お尻からジェットエンジンのように火を吹いて高速飛行したのは目撃したが、それ以外にも口から火のブレスを吐くらしい。父上は一太刀で倒していたが、実はかなり厄介な相手だったようだ。
「翼竜は翼があるからじゃないの?」
前世にもプテラノドン的な形状の生き物はいた。でも、その飛行に水素が関与しているとは聞いた事がない。
「どうなんだろうね。あたしはあの時一瞬見ただけで、あとは本で読んだだけだからわかんないけど、研究者は魔術の類を疑ってるみたい。鳥が飛べるのは祝福か魔術か、っていう議論があるぐらいだからね~」
魔物というのは、このあたりの国で広く信仰されている宗教で、破門された生き物がそう呼ばれている。だから、魔物の定義は結構いい加減だ。
人間を喰らう危険な動物の他、霊力を使った特殊な生態を持つ生き物の他、大量発生して作物を食べ尽くす生き物も魔物に分類されている。先週シーピュから借りて読んだ魔物図鑑に、バッタの一種であるイナゴが掲載されていて驚いたぐらいだ。
「そうなんだ。じゃあ、再現出来たら僕らも飛べるね」
一瞬、空気が凍った。マイナ先生が目をむいている。
「ちなみになんだけど、前世で空を飛んだりしたことあるの?」
ちょっと記憶を辿る。前世の記憶は断片的だが、何となく思い出せた。
「あるよ。就学旅行で飛行機に乗ったことがあるのと、家族旅行で気球に乗ったことがあるかな」
すとん、とマイナ先生から表情が抜け落ちる。
「ちょっと待って。ちゃんと教えて。空を飛ぶ方法、全部教えて」
ガシッと肩を掴んでくる。そういえば、こちらでは空を飛ぶためには魔物を飼い慣らすか、神術や仙術を極めるレベルで習得するしかないんだっけ。
「一つ目は、水素とか、空気よりも軽い気体を使って飛ぶ飛行船。水素で作ると爆発するから危ないよ。二つ目は空気を熱して、膨張させて空気を軽くして飛ぶ気球。あとは翼とエンジンで飛ぶ飛行機かな」
壺から漏れる塩素の臭いがきつくなってきたので、消石灰を一掴み壺に追加する。
「確かにこの袋がたくさんあったら、空も飛べそうだね。気球の話も興味深い。飛行機っていうのは?」
「飛行機は、何で飛ぶのかまでは知らないかなぁ」
しがない受験生だった僕では、残念ながら飛行機の説明はできない。教科書に載っていなかったからだ。
飛行船や気球なら、原理ぐらいは説明できる。だが、建造方法となるとわからない。素人が作ると、気球も飛行船も爆発してしまいそうだ。
マイナ先生が膨らんだ袋を交換して、管が刺さっていた部分を折り曲げて接着する。スライムの皮膜は、強く押さえるとくっつき、時間をかけるとそのまま接着される特性がある。
マイナ先生は、袋にくっつけた紐を握って、不思議そうにクイクイ引っ張っては緩めてをくりかえしていた。
「そっかそっか。じゃあ、とりあえず、飛行船と気球について教えてよ」
僕は視界いっぱいに理科の教科書を召喚して、求められるまま空気と水素の比重と、温度による気体の体積変化についてマイナ先生に説明をはじめた。
大げさに驚いたり、感心したりしながら聞いてくれるので、ものすごく話しやすい。
僕が話しやすいようにそうしてくれているのかもしれないと思っていたけど、監査官たちの反応から考えて、こちらの世界、少なくともこの国では前世の知識は珍しいものらしい。
「ということは、これで船を作っても行き先は風に左右されるわね」
「そこは、プロペラを実用化すれば何とでも」
「プロペラ?」
目を爛々と光らせるマイナ先生の反応が楽しくて、僕は調子に乗って喋り続けた。




