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219話 研究エリア視察


「なるほど。錫を溶かした硫酸に鉄を浸けて、電気を流せば表面に薄い被膜ができて、鉄が錆びなくなる、と?」


 いつだったか、濃いお茶がいっぱいに入った鍋に鉄の鎧のパーツを入れて煮込み、真っ黒にしていた職人さんを見たことがある。鉄はそれだけで表面に黒錆の被膜ができ、さび止めになるのだ。


 多分、錫メッキもそれと似たようなもののはずだ。多分貴金属であるミスリルは硫酸は溶けないだろうから、ミスリルメッキもできないはずで、多分この程度の技術なら、マイナ先生も怒らないだろう。


「そうですね。鉄を大量生産する方法の研究も進めているので、かなり使える技術になると思います。ただ、その過程で有毒な気体を発生させるはずなので、安全対策を第一に考えないといけないと思います。硫酸の製法発見はすごいですよ」


 そう褒めると、ジャビール先生は嬉しそうに笑う。実際、教科書にも載っていない硫酸の製法を見つけるのはかなりすごいので、正直な感想だ。


「となると、工房の確保と安全に作業ができる職人の育成が急務ですね。しかし硫黄はともかく、硝石は高くつきますよ。産地が海を越えた南なので。運営はどこに任せるんですか?」


 思案顔で、リシャス様が呟く。どこに任せるか。コンストラクタ家として人材育成は急いでいるが、新規事業が重なりすぎて、今計画外の事業を起こしたらオーニィさんが怒りそうだ。


 頼りになりそうな家と言えばまずシーゲン家が浮かぶが、すでに石灰石事業の拡大真っ最中で、新領地を内乱から立て直す必要もある。武に偏った家風ということもあり、これ以上は厳しいだろう。


 マイナ先生の実家には石けんの製法や活版印刷を技術提供していて、さらにアスキーさんを通して賢人ギルドには、学園の運営などもお願いしている。他に手を出す余裕はないだろう。


 親父が一瞬当主となったスカラ子爵家は、親父を失って混乱しているだろうし、これから自動紡績機と自動織機を持ち込んで産業革命の起爆点にしようと思っている。どの程度余力があるかもわからない。


 その他にも協力関係のあるいろいろな家が浮かんだが、どこも厳しそうだ。


「そういえば、パール一門の領地には鉱山がありましたよね?」


 塩泉調査の報告書に、パール領についての記載があったことを思い出す。


「ええ。伯爵領では鉄と銅と銀、うちの子爵領では錫と硫黄、隣の男爵領でも硫黄が採れますが……、まさか?」


 都合が良い相手を見つけた。この国の貴族制度は、派閥を前提にしている。昔受けた監査の監査官3人が同派閥、対立派閥、中立派閥からそれぞれ選ばれていたのも、その典型だ。

 だが、別に派閥間の交流や支援が禁止されている訳ではない。


「硫酸生産の事業化にあたっての資金援助と、電気メッキの技術提供はやりましょう。パール一門とアモン様とよく話し合って決めてください」


 唐突に決まる重要事項に、リシャス様が口をパクパクとさせる。


「ちなみになんですが、うちの研究室の予算はいかほど増額いただけますか?」


 ジャビール先生が揉み手をしながら聞いてきた。


「硫酸の研究に関しては、リシャス様と話をしてください。他に事業化できそうな再現技術があれば、資料を理事長室まで持ってきてください」


「ちなみに、硫酸関係技術をパール家に技術提供をいただいた場合、その条件はどうなりますか?」


 おずおずとリシャス様が聞いてくる。やばい。こういう交渉ごと、そういえば最近は誰かに任せっきりでやってない。


「利益の5%で。資金については……」


 咄嗟に浮かんだのは、コンストラクタ家の収入のルールだ。親父との約束で、僕が考案した事業の利益から5%が僕の収入になる。まぁそれぐらいでなんとかなるだろう。


「パール家側で用立てるのが厳しいようであれば、僕の個人資産から出資しましょう」


 リシャス様、なぜかちょっと引いていた。僕も最近残高を確認してちょっと引いたので、気持ちはとてもわかる。


「ちなみに、その場合の利子はいかほど……?」


 わからない。うちの銀行はどれぐらいで貸しているのだろうか? いや、そもそも教会が利子を現金で受け取るのを禁止しているので、製塩所開発の貸付も、利子は塩で払ってもらう形式にしたはず。


「うーん、そうですね……」


 確か、高校の金融教育の授業で題材になった奨学金は、確か利率が3%だったか。


「じゃあ年間利益の3%相当のメッキされた鉄板を物納してください」


「はああああ!? イー君! 怒っている私を放っておいた上に、元婚約者と仲良くして、あまつさえなんて条件を持ちかけてるのです!」


 唐突に、怒ったままのユニィが割り込んでくる。気配を感じていなかったので、かなりびっくりした。

 

「ユニィ? リシャス様いるけど、大丈夫なの?」


 リシャス様とユニィは元婚約者同士だ。紆余曲折あって婚約は解消されてしまっているので、顔を合わせるのは気まずいのではないだろうか。


「謝罪ももらって、許しているから平気なの」


 ふくれた頬がちょっとかわいい。


「いや、何度でも言わせてほしい。かつての自分はどうかしていたんだ。どうか許してほしい」


なぜかリシャス様がユニィに向かってひざまずく。その声はなぜかとても真摯に響く。


「なっ」


 ユニィがたじろいで絶句する。


「今ならあの頃の愚かさがわかる。もしユニィ様に――」


「イー君! 次へ行くよっ」


 僕の手を引くユニィの耳は、みるみる赤くなっていく。


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