218話 文教区画街歩き
住居区画から官庁区画にある中央公園を抜け、賢人ギルド支部の横をすぎると、そこは文教区画だ。
まだ草むらとなっている空き地も多いが、コンストラクタ家に近しい貴族が建てた寮や、校舎は壮観である。
「で、僕らはどこに向かってるの?」
ユニィは、僕が通い慣れたエリアを外れて、雑に建てられた小屋が並んでいるエリアへ進んでいく。
「ここは研究エリアなの」
脳内を検索して、かすかな知識を引っ張り出す。この学園で学園長に認められた研究には、予算がつくんだったか。
何をやっているかは知らないけれど、なんで予算がついてるのにみすぼらしい小屋ばかりなんだろうか。
「そうなんだ。で、ここに何しに来たの?」
ユニィは立ち止まり、こちらを睨んでくる。
「どうして私に聞くの?」
今度は怒ってるのか。小動物みたいに表情がころころ変わってかわいいな。
「いや、だってさっきまで行き先は全部ユニィが決めてたじゃないか」
ユニィの目が吊り上がっていく。この顔は前の婚約者のリシャスさんを酷評していた時の顔だ。
「自分で考えるの!」
ユニィは奥の小屋に駆けていき、そのまま荒々しく扉を閉められた。かんぬきを落とす音がして、僕は取り残される。
「ケンカですか?」
立ち尽くしていると、小屋の陰から見覚えがある少年が現れた。
「え? リシャス様?」
現れたのはユニィの元婚約者、リシャス・パールだった。先の内戦の折、パール家は独断専行して『断罪の光』による奇襲で率いる騎士団ごと全滅したが、その後残党を率いて名誉を挽回したのがリシャス様だった。
今は子爵家を継いでいるはずだが、まさかこんなところで出会うとは。
「お久しぶりですイント様。ユニィも相変わらずなようで、安心しました」
この学園の制服を着ているということは、ここに入学したということか。
「本当に久しぶりですね。リシャス様はどうして学園に?」
ちょっと背が伸びて、声が変わっている。
「アモン様にお願いして、貴族院から領地に代官を派遣してもらったんです。ここへ入学したのは、アモン様からの勧めですよ」
アモンさんはうまくパール家の方針を改めることができたらしい。読み書きすら下賎の仕事扱いだったのに、変われば変わるものだ。
「それは良かった」
「ずっとイント様にお礼が言いたかったんです。いろいろ支援してもらって……」
丁寧な言葉に、敬意がにじむ。内戦の時にシーゲンおじさんに口添えしたことだろうか。アモンさんから融資依頼があった際にリシャスさんからも開発計画書がでてきたので、ついでに審査に回したことだろうか?
「確かにリシャス様とはいろいろ縁がありましたが、相互に利があるというだけなので、お気になさらず。それより……」
チラリとユニィが消えた扉を見る。追いかけるべきだろうか?
「ああ、あそこは休憩所です。中から鍵がかけられるので、ユニィ様はしばらく出てこないでしょう」
「そんなものですか?」
「ええ。私もよく怒らせていたので、わかります」
怒らせていた、というよりがあきれられていた、というほうが正確だったかもしれない。
「どうしよましょうか。散歩の途中だったんですけど」
「でしたら、先生方の研究を見ていきませんか? パール伯爵家の倉から、五百年ほど前に処刑された錬金術士の本がたくさん見つかりまして。今内容を検証中なんです」
ほう。それは興味深いけど、錬金術士が処刑される
「それって異端とか?」
「ええ。一度は異端として処刑されてしまいましたが、その百年後に恩赦の対象となっていますので、もう教会で知っている者はいないでしょう。あの時代はかなりの数が異端審問官に殺されていたようなので」
異端審問は身近な脅威だ。僕も『叡知の天使』が悪魔認定されれば他人事ではない。
「お邪魔じゃないでしょうか?」
「大丈夫です。学園からの予算も、元を辿ればコンストラクタ家からでしょう? 歓迎してくれると思いますよ?」
ならばお邪魔しようか。僕はリシャスさんの案内で、近くの小屋へ入る。
「おや。これはインテ―ジャくんではないですか」
僕らが小屋に入ると、奥で炉を操作していた先生がすぐに気づいて迎えてくれた。賢人ギルドからの推薦で研究者を雇った際に見かけた人だ。
彼が操作していた炉は、本体から伸びた管が水中をくぐっていたり、複雑な機構が見てとれる。
「リシャス様は元から知り合いなので、イントで良いですよ。ジャビール先生」
答えながら、装置をさらに観察する。聖紋があちこちに刻まれて、ボンヤリ光っているのが、いかにも錬金術だ。
「おや。覚えていただけていたとは光栄ですな。イント様は今日はどうしてこちらに?」
「少し研究を見せてもらおうと思って。何を作っているんですか?」
ジャビール先生が炉から離れたせいか、鼻を突く刺激臭が漂いはじめる。ちょっと痛い。ジャビール先生は手慣れた様子で、光を失いかけていた聖紋に手をかざしていく。
「我が国の南の島で産する『硫黄』と、東方の砂漠で産する『硝石』を混ぜて燃やし、その煙を冷やすと、金属を溶かす液体が作れる、という記述が五百年前の古文書に書かれていましたので、それが再現できるか実験中です」
装置の先にあるガラス瓶には、すでに液体が溜まっている。
「へぇ。『化学の教科書を出して』」
前世の言葉で指示を唱えると、フッと教科書が現れる。一緒に黒い山羊の自称叡知の天使が現れた。
『これはまた懐かしいであるな』
呼んでないのに現れた天使さんは、炉と反対側の机に積まれた古そうな本を興味深く見ている。
「何といいましたか?」
僕の声が聞き取れなかったのか、ジャビール先生は首をひねった。
「この液体は、何という名前なのですか?」
教科書は硫黄と硝石が記載されたページを開く。硫黄はS2、硝石はKNO3、燃焼した場合の化学式が……浮かばない。教科書にも載っていなかった。
「名前は虫食いで読めなかったのです」
『それは硫酸というのである』
馴染みの深い名前に、思わず自称天使さんを振り返る。天使さんは机の上に乗って、開かれた古文書を見下ろしていた。知識を司る天使だし、本を見たら失われた部分を補足できるのかもしれない。
勝手に教科書がめくれて、硫酸の化学式が開かれる。『H2SO4』らしいが、やっぱり化学式の過程が浮かばない。
「多分ですが、それは『硫酸』じゃないでしょうか? 学園の教科書にも載っているので、一度確認してみてください。もし硫酸なら水と反応して発熱するので、気をつけてくださいね」
瞬間、ジャビール先生の目が光る。
「ちなみにですが、利用法などをご存知だったり?」
教科書を見ると、パラパラとページがめくられていく。
「えーと、確か銅の電気精錬とか、メッキとかだったような?」
ガシッと、ジャビール先生に肩を掴まれる。
「ちょっとお話、聞かせてもらえませんか?」
いつのまにかリシャス様の手で、椅子とお茶が用意されていたーー




