217話 住居区画街歩き
「疲れた……」
工場制手工業を体現したお店で、採寸やらデザインのイメージすりあわせやらが続き、結局何が何だかわからないまま終わった。終わった後、店員がわらわら出かけていったので、これからみんなもあれを経験するのだろう。ちょっと申し訳ない。
「お疲れ様なの」
昼食は、住居区画の中のあるマヨネーズ料理専門店、『マヨラー』の支店に席を確保できた。周りより背の高い建物のテラス席で、住宅街が見渡せる。
見える範囲に石造のアパートが多いのは、この辺りが元々建設労働者たちの住居として、初期に整備されたからだろう。都市計画をきちんとしたので、街のあちこちに水場を兼ねる小さな公園が見える。
各戸に直接水道を引くのは流石に無理だったので、庶民は飲料用の水場も共用だ。
「それにしても、子どもが多かったね。見に行かないとわからないことってやっぱりあるもんだ」
ぬるい果実水を舐めるように飲みながら、話題を探す。印象に残っているのは、二階を見学した時に見た光景だ。
おそらく親であろう針子の助手をする子どもたち。僕の脳内では、孤児、仕事中置き去りにされている子ども、丁稚として働いている子ども、専属の誰かに育てられている子どもぐらいの分類しか考えていなかったが、まさか親と一緒に出勤して働いている子どもがいるとは思わなかった。
「イーくんは出歩く方が向いてると思うの。気になったら、まず動くべきなの」
今は仕事が途切れたから良いが、普段は忙しい。
「その通りだけど、時間が欲しいなぁ」
「気になることを放置していたら、どんどん時間はなくなるの」
時間はすでにないんだけど、ユニィは何を言ってるのだろう? 話が噛み合ってない気がする。
「お待たせしました。跳鳥のモモ焼きのマヨラーセットです」
店員さんがワゴンで二人分のセットを運んできた。鶏肉のマヨネーズ焼きと、マヨネーズドレッシングのサラダ、マヨネーズベースのスープとパンのセットだ。
「ありがとう」
貴族向けの店と違って、料理が一気に出てくる。僕にとってはこちらの方が気楽で楽しい。
「やった。ここのマヨネーズのスープ好きなの」
ユニィが嬉しそうにスプーンを手に取り、スープを飲み始める。つられて、僕も一口スープを飲む。
マヨネーズベースのスープというのは、オーニィさんが考案したもので、こちらに来てからはじめて食べた。前はもう少し爽やかだった気がするが、これはマヨネーズ風味のポタージュのようで、わずかに感じる鳥ダシのおかげかさらに濃厚になっている。
この街ではマヨネーズ料理が名物郷土料理になりつつあるが、そのうちマヨネーズそのものをすする者があらわれるかもしれない。
「いや、でも意外に美味しいな」
いろいろ思ったが、これはこれでアリだ。ついでにサラダもパクつく。多分オリーブオイルか何かでマヨネーズを溶かしたドレッシングをだと思うが、これも美味い。
「オーニィさんから、マヨネーズのレシピはイーくんから教えてもらったって言ってたのに、意外っておかしいの」
確かに、この世界にマヨネーズを伝えたのは僕だ。だけどそれは化学の教科書に鹸化の例としてマヨネーズの作り方が載っていたからからで、僕がマヨネーズに詳しかったわけではない。
「料理は専門外だよ。マヨネーズで跳鳥を焼くとかも、発想が斬新すぎて」
考えてみれば材料に油が入っているので、できないことはないのだろうけど。
「えー。これが美味しいのに、食べるのも楽なの」
ユニィは気に入ってるらしい。美味しそうに肉をパクつく。ナイフを使わなくても良いように、あらかじめ切り分けられているのは店の気遣いなのだろう。
「確かにこれも美味しいよね〜。さっき見た自動織機とか工場制手工業の大量生産とかもそうだけど、最近の技術発展、僕はあんまり関与できてない気がするよ」
ユニィは目を丸くして、口をモゴモゴさせながら僕の話を聞いている。
「それは『叡智』の名が泣くの」
口の中のものを飲み込んで一言。そんな二つ名は名乗ってないけど、まぁ良いか。
話をしながら、店の客層を見る。庶民の住宅地の中にあるのだから、庶民ばかりだ。僕らみたいに変装していたらわからないが。
「それはそれとして最近、みんな小ギレイになったよね」
コンストラクタ村の村人は、擦り切れた服を着た者が多かったし、フロートの街の労働者は垢まみれの服で獣くさい者も多かった。
しかし、今はみんなわりとキレイな服を着ている。
「山からの2本目の水道橋が完成したからなの」
フロートの街の水道橋は計画上三本。そのうち二本目の水道橋が先週完成した。これで、小川と井戸と合わせて四系統の水源が確保できた。
「それで何で領民が小奇麗になるの?」
「水不足が解消されたおかげで、公衆浴場ができたからなの。あと、洗濯するヒマがない人向けに、洗濯屋も大人気みたいなの」
なるほど。前世の古代ローマとかでは、公衆浴場があったって読んだ気がするけど……
「そういえば、あんまり見たことないけど、なんで作らないんだろう?」
「元々混浴で、昔どこかの大司教がふしだらだって批判したのと、治療院ギルドが流行病の感染経路になるって主張してたのが原因らしいの」
ほう。なんか俄然興味が出てきた気がする。
「フロートの街にある公衆浴場は男女別にしたし、流行病はさらし粉ができたので問題なくなったの」
ちょっとがっかりする。ちなみにさらし粉というのは、シーゲン領で作られている消石灰に、塩を電気分解した際に出る塩素を吸収させてつくられる粉のことだ。化学式でいうと、多分Ca(ClO)₂といったところで、水に溶かすと塩素独特の匂いを放つ液体になる。
ここフロートの街で生産され、他の領地へ輸出されている産品で、学園の運営資金の元になっている事業の一つだ。
ちなみに、塩を電気分解した際にでる水素は飛行船になり、水酸化ナトリウムはガラスや石鹸の原料になっている。
「ユニィは良く知ってるねぇ」
柔らかいパンもうまい。
「シーゲンにも閉鎖された公衆浴場があって、再開に向けて色々調べたの。あ、パンが焼きたてでふわふわ」
パンをちぎりながら、ユニィは年齢相応の笑顔で笑う。確かにパンは少し余熱が残っている感じで、少し甘く感じる。発酵の賜物だろう。
「なるほど。この店に入れたの、運が良かったのかもしれないね」
最近の九歳はすごいな。というか、平民は九歳から結構しっかり働いていたし、何が違うのだろう。
「ちょっと苦労したの」
「え?」
苦労とはどういうことだろう? ユニィは明らかにしまったという顔をしている。
「さ! 料理を堪能したら、次は学園なの! 早く食べるの!」




