微笑み
グロリアの目を見た。硝子だ。硝子のはずだ。硝子は瞳が動いたりしない。
グロリアの視線が横にずれた。階段を上がってくる音、旦那が帰ってきたのか。
「お願い、病院に連れて行って」
もしかして頭がおかしくなったのかもしれない。それならそれでいい、グロリアのいないところに行けるなら。
「何言ってるんだ、病院行くほどじゃないだろう、ほら熱もない」
そう言って体温計を私の服の間に押し込んだ。
電子音とともに引き出された体温計は平熱だ。
「病気でもないのに、病院なんかいったらだめだろう。病院は病気の人のためにあるんだ」
いや、発熱しない病気だってあるし、現に体が動かないし。
そう言い募ろうとしたけれど、旦那は私の顔を見ていない。微妙に視線をそらしている。
そしてグロリアの視線は動かなくなった。はっきりと私を見ている。
「大丈夫、大丈夫だよ」
それはいったい誰に言っているの。
自分の正気を疑うべきか、それとも目の前の現実を受け入れるべきか。
旦那は今何かに乗っ取られている。
グロリアか、それともグロリアに潜むものに。
「ああ……」
何か叫ぼうとしたけれど、かすれた声しか出なかった。
グロリアは笑っている。見間違いではなく確実に。
陶器でできた硬質な唇が柔らかくほほ笑む。
そして私は動けない。身体の関節が固まってしまったように。
そして旦那は硬直してしまった私を無視して、グロリアの微笑みを幸福そうに見ていた。
旦那が、パート先に急病のため私は当分出勤しないという電話をかけるのを動けないまま聞いていた。
買い置きしていたパンを焼かずにそのまま食べているのがわかる。
トースターなら焼きあがった時ベルの音を立てるから焼いたかどうかわかる。
食料は買い出しが住んでいるけれど、大半は調理しなければならないものばかりだ。
冷凍庫にしまってあったレンチンするだけで食べられるようにしておいたストックの存在も理解していない。
料理はなまじ料理上手な姑がいたためにまともに習得していないことはわかっている。
旦那の料理レベルはせいぜいインスタントラーメンがいいところだろう。それも包丁を使うのが面倒だと言ってキャベツすら刻まずにそのまま。
毎日の食事に困ったらもしかしたら旦那は私を助けようとしてくれないだろうか。
私の料理技術はものすごくとはいえないまでもそこそこまともなものが作れる。
デミグラスソースの缶詰を使ってだけどビーフシチューだって作ることができるのだ。
旦那はビーフシチューが好きだったはずじゃないか。
美味しいって食べてくれていたのに、どうして私にこんなまねができるの。
人形が私を見下ろし笑う。
私は動けないのに、人形はそっと陶器でできた手を動かした。
少しずつだがだんだん滑らかに掌を閉じたり開いたりしている。




