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でぃぷ・らーくな!  作者: アーギリア
5/10

大村咲と君賀洋

 大村咲の性質について、少し語ろう。司いわく、『洋とは比べ物にならない、うちのクラスで最も教育が難しい児童』。それが彼女である。


「咲は先生の言うことを何でも聞く。教師を絶対的なものと捉えているんです」

「君賀君と正反対ですね。彼は何でも疑う。それ故に、自分なりの正解を見つけることができる」


 咲にはそれができない。他人の正義観にそのまま影響を受ける。そして、厄介なことに彼女は悪いことが一切できない……いや、もはや『悪いことアレルギー』と言うべき性質を持っている。


「悪いことへの生理的な拒絶反応、ですか」

「咲には『人に迷惑をかけてはいけない』と教えられません。迷惑をかけずに生きていける人間はいない……。そんなことを言ったら、人に迷惑をかける度に呼吸困難やら鬱やらの症状が発生することになる」


 こんな想像をしてみてほしい。閑静な住宅街で、車も人もほとんど通らない道路の真ん中に、信号機がぽつんと置かれている。この信号が赤を示すとき、あなたは愚直に止まるだろうか。いや、もちろん止まるのが正しいのだが。止まる人も、『渡っても問題ないのではないか?』と思うことはあるだろう。

 咲は、それすら考えない。『赤だから止まらなければいけない』を絶対のルールとして遂行する。仮に、信号が赤を示した状態で横断歩道を渡ろうものなら、咲は、渡り終えた時点でパニックを引き起こす。これは、『周りに強制された』『事情があり、やむを得なかった』などの理由があっても例外なく自身に対して発症する。(ただし、警察・教員といった『社会的に信頼できる存在』の指示があった場合は限定的に発症は抑制される)。

 


「……家庭環境に異常は無いんですよね」

「ないはずです」


 ここでは敢えて語りの立場から重ねて断言しよう。咲には家庭的な問題はほぼない。親との関係は良好、金銭面でも苦労していない。さらに言えば友達は多く、日常生活において彼女が苦しんでいる様子はみられない。


「一見すると、先生のいうことをよく聞く優良児童……」

「いや、実際いい子です。自主性もあり、グループ活動では積極的にリーダー格になろうとするんですよ」

「悪行に対してだけ異様な反応を見せる……ということですね。融通の利かない風紀委員長気質と言ったところですか?」

「いや、不思議なことに他人の悪行はそこまで拒絶しません。それどころか、仲良くできるとみれば誰とでも……極端な話、きっかけさえあれば、連続殺人犯とだって友達になろうとするでしょう。ほら、校則違反を繰り返している洋とも仲がいいでしょう」

「罪を憎んで人を憎まず……されど、自分の悪事だけは絶対に許さない……それは、生きづらそうてすね」


 現在、『廊下を走る』『大声で騒ぐ』……そして『女のカタメノフタツメを怪我させた(勢いあまって頭突きしたらしい)』という3つの行動が原因で咲は無気力状態に陥っている。ここからの回復には、丁寧なカウンセリングと、特別に処方されている薬品4種類の服用が必要がある。


「まるで、呪いではありませんか」

「精神特性を悪く言ってはいけないという風潮はありますが、こればっかりは」


 司は、苦虫を噛み潰したように顔をゆがめる。悪いことができない少女。大人にとって……いや、『誰にとっても』都合がいい少女。それが大村咲だ。こんなにかわいそうなことがあるだろうか。人々は、そんな事情などお構いなしに、みんな揃って彼女を「いい子だ」「優しい子だ」というのである。その様にしか生きられない子を指さして、その生き方を褒めたたえるのだ。彼女の苦しみを、都合よく解釈し、美談にしてしまうのだ。


「『絶対に悪いことをしない』など、まさに理想的。聖人君子とは彼女のことを言うのでしょう。誰とでも仲良くなれる彼女の性質は、この裏返しに他ならない。まったく、表面上はいいことずくめの割に、内情は碌なものではありません」


 菊は、聞きようによっては、あまりにも冷たい言葉を吐き捨てる。しかし、それも仕方あるまい。今、保健室で虚ろな表情を見せている少女の姿を見ないで、都合よくその優しさを消費することのどこに理想があるというのだろうか。彼のいう『碌なものではない』とはそういうことだ。ああ、咲は言ってみれば植物なのだ。一方的な生産者!草食の動物たちに食まれるか、枯れて土の栄養となり次の世代の踏み台となる存在!

 

「……一人だけ。咲が気兼ねなく本性を出せる奴がいる」

「なるほど、それが君賀君ですね?」


 咲を善性に縛り付けるこの特性であるが、なぜか洋の周りにいると軽減される節がある。洋と一緒の咲は、語気強めの批判をしたり、頭をぺちーんと叩いてツッコミを入れたりする。この時の咲は、どんな時よりも生き生きとしている。

 菊には、咲の、洋に対する態度が、ただの友好や恋愛感情によるものには見えていなかった。なんだかんだと言いつつも、彼の近くにいたい。彼と同じことをしたい。彼に必要とされていたい。そんな、一種の『依存』を感じていた。なるほど、自身の異常を抑えてくれる存在だと本能的に察しているのだということであれば納得である。


「クラブ活動でも容赦のないツッコミを入れたり、ポコポコ叩いたりしてますしね。しかし、何故君賀君だけなんです?」

「それが不明なんだ。恋愛感情が絡んでいるのか、友情の結果なのか……」

「『洋君の方にそう言う力がある』可能性も否めませんね」


 ここで行う議論に意味はない。なぜなら、今ここには洋も咲もいないのだ。それは、菊も司も互いに理解している。それでもこんな話をだらだらと続けているのは、結局、手持無沙汰だからである。苦しむ咲を前にして、二人にできることは何もない。

 ただ、他愛無い話をしながら、カウンセリングが無事に終わるのを待つばかりである。


「ふと、思ったのですが」

「なんでしょう?」

「その、洋君はどこに行ったのですか?」

「……んん?」


 司は少し考えて、はっと目を見開く。咲に気を取られすぎて、洋のことをすっかり放置していた。

 見えやすい問題や大きな問題に遭遇し、そこにしか目がいかなくなってしまうことは、人間しばしばあるものだ。しかし、それで別の問題が見えなくなってしまうのは大変危険なことだ。洋の姿を最後に見たのは、『カタメノフタツメ』出現の直前。冷静に考えれば、彼の方にも、よくないことが起こっていても不思議ではない状況だ。


「探してきます!」

「いえ、その必要はなさそうです。ほら、あちらに」


 菊が指し示す方向を見ると、何のことはない。洋が、京と一緒にこちらに走ってくるのが見えた。


 さて、すっかり忘れ去られていた偉大なる『でぃぷ・らーくな』リーダー様は何をしていたのか。少し時間を戻してみてみよう。


----------------------------------------------


「何だよ、どうして出てこないんだ?これじゃあ企画だおれもいいとこだぜ!」


 洋はちょっと離れた、一年生の教室に来ていた。七不思議の気配など欠片も感じない虚しい空間にポツリと一人。誰にも届かない挑発の言葉を、いっそ哀れに叫んでいた。なお、丁度この辺りでカタメノフタツメが出現した。予定より三分遅れの出現である。


「ま、男は引き際も肝心か。一度家に帰って作戦を……」

「あれ、洋じゃないか」


 高いようにも低いようにも、子供らしくも大人びたようにも聞こえる、異様な雰囲気の声が響いた。そして、現れたのは男とも女ともつかない奇妙な出で立ちの子どもである。


「お、アキラじゃん」

「違うよ、シラミズアキラだ。僕をアキラと呼ぶのはノコギリクワガタを『ワガタ』って呼ぶようなものだよ?」

「なんだそれ」


 シラミズアキラはこの学校に何故かいる、人型のよく分からないなにかである。恐らく人間ではなく、かといって魔物でもなく、神や心霊の類いでもない。正しくよく分からないなにかである。当たり前のように出現するので七不思議には登録されていない。


「固いこと言うなって、シラミー。」

「君のことをウって呼んでやろうか、洋?いや、ないね。僕が呼びづらくなるだけだ。じゃあ、君のその呼び方になぞらえて、キミガー……いや、キミー?…………どうでもいいや。何をしていたんだい、洋」


 シラミズアキラは窓のへりに座って薄ら笑いを浮かべながら、自由に声を発する。対話しているようにも、まるで一人言を呟いているだけのようにも聞こえる妙な話し方で、言葉を紡ぐ。

 対する洋は素直にシラミズアキラの問いに答える。


「あぁ、聞いてくれよ。七不思議を探していたんだが、ちっとも出てこないんだ!」

「そりゃあ出てこないよ。君はそれらを拒絶する。否定する。あるものはあると認めながら、それ以上は認めない。どうしてもというのなら、回れ右。時には振り返ってみたらどうだい?」


 シラミズアキラは洋の回答を初めから知っていたと言わんばかりに、切れ目なく応答する。しかし、彼の会話の癖であるが、どうにも的を射きれていない、曖昧な言葉選びをする。まるで、文字数の制限によって本題を語りきれていない不出来な詩を詠むように、彼は言葉を用いる。大抵の人間は、彼の言葉を本当の意味で理解することができないまま終わる。そして、洋にとってそれは、言葉を作ってくれた彼に対しての無礼に値することであった。故に、分からなければ遠慮なく掘り下げる。


「もっと詳しく、分かりやすく言ってくれ!」

「君はそういうの、拒絶しちゃうからね。勿論、君の好奇心については知っている。心から七不思議に会いたがっているのもわかるとも。でも、君は怪異とは相性が悪い。どうしても会いたいなら戻ることを考えるべきさ。君の在り方には、範囲的な限界があるからね」


 シラミズアキラは唄うようにつらつらと語る。やはり彼の言葉はどこまでもファンタジックであり、核心に至るには聞き手なりの解釈が必要となる。

 洋はどう解釈したのか。一つ確実なのは、彼がいつものように「なるほど」と言わなかったことである。たた、シラミズアキラに対しては一言伝えた。


「ん、じゃあ戻ってみるよ」


 シラミズアキラは笑った。洋は手を振って、それと別れる。何が得られたでもない。シラミズアキラに出会えなかったとしても、結果的に、彼が『でぃぷ・らーくな』のメンバーの元に戻ることは確実な未来だったのだから。

 いや、たった一つだけ、得られたものはあった。彼はある疑問をそれから受け取っていた。


「拒絶ってなんだろ」


 これを聞いたところで、残念ながら洋に理解できる言葉をシラミズアキラがくれることはない。話せば話すほど泥沼に沈んでいくように、彼はわざと言葉を選んでいく。一人言のように、といったが、シラミズアキラによる言葉は、会話の中にあっても一人言と大きく変わらない。彼は始めから、相手に理解させる気など更更ないのだ。

 洋も数年の付き合いでそれがわかったため、聞き返しは一度までと決めている。相手の言葉を理解することを大切にしている彼が、絶対に理解できないとわかった相手に対する、最低限の礼儀がこの形なのである。


「おっと、よくないな。結構皆を待たせちまってる。それとも、先生はもう三人を帰しちまったかな?」


 小走りで2年3組教室前に向かう。咲であれば絶対に破れない「廊下を走ってはいけない」をいとも簡単に彼は犯す。前述の例でいうなれば、彼は、『誰もいない赤信号を渡る』人間だ。だが、ここで洋を単なる問題児として見る前に、読者諸君には一度考えてもらいたい。

 彼は、ルールの本質を重視する。何故、廊下を走ってはいけないか。他者にぶつかる危険性があるためだ。ならば、今の状況では?児童はほぼ下校し、人影は少ない。速度も遅め且つ角は大回りをすることで校舎に残る教員との接触の危険性も極力落としている。「早く皆の元へ」という目的の元、これだけの判断を通して小走りを行う彼を責める必要はないだろう。

 なお、咲であれば論理以前にとにかくルールを優先するため、この状況を目にしていれば容赦なく洋を叱責する。どちらも、一つの正義観である。


「あ、よう」


 元の場所に洋が辿り着いたとき、そこにいたのは京一人であった。


「京だけ?このお出迎えは意外すぎる。皆は?」

「ん、七不思議が、えっと、ん?……さきが、走って。あと、みょーんってなって、ぐにょってなって、あたしと、きくが、ごっつんこ……した」

「ふんふん?いつものことだが、実に難解なロジックで組み立てられた言葉だな?続けて?」


 これが、作戦説明に10分を要した京の論法である。語の接続が滅茶苦茶なので、名詞を拾い集めることで状況を判断する手腕が求められる。


「七不思議がいなくなって、さきもどっかいって……?さきがどっか行っちゃったの。それで、さがそうってなって、あたしがぴぴぴのぽこんってして、うんにょりしてたのをにゅっとして、さきみっけて、みんなでたすけて、保健室にいって、あたしはここにいるの」

「……よし、纏めるぞ。七不思議が現れて、咲が怖がって一人で逃げてしまった。うにょうにょどうたらは……カタメノフタツメのゲートを現しているんだな?お前が見ていたのに使ったってことは、鬼ごっこには咲だけが巻き込まれた。その後、咲は捕まったらしいな。そして、みんなで探して、救出には成功。今、他の奴等は保健室。こんなところか?」

「ん!」


 洋は、始めから何か起きたならば咲がキーパーソンになると目星をつけていた。菊は滅多なことでへまをしないし、京は自分からはそうそう動かない(『ごっつんこ』の場面は、彼女は明らかに自分の意思で動いていたが、その姿は洋が知る由もない)。洋はそんな予測と京の言葉の、主に名詞を抽出し、頭の中で上手く再構成した。なぜ京と菊が『ごっつんこ』したのか、『ぴぴぴのぽこん』が何なのかは流石の洋も分からない。ついでに、全く名前の出てこなかった顧問の司がどうなっているのかも分からない。それでも、何とか入手可能な情報を根こそぎ集めてある程度の状況把握に至った。


「一人逃げ出そうとする咲を先生が止められなかったのか……。と言うことは、あいつ廊下を走ったのか?だとしたら、今かなりヤバイ状況になってるかもな」


 咲の『悪いことアレルギー』については、洋もよく知っている。だからこそ彼は、七不思議の事前調査は万全にした。咲が慌てて、意図しない校則違反を犯さなくて済むように。しかし、実物に対面した咲は洋の想定以上に怯え、錯乱してしまった。洋は、机上の空論という言葉を思い浮かべてポリポリと頭をかいた。

 とにかく今は咲の様子を見に行かねばならない。そう考えて、彼は保健室に向かうことを決めた。しかし、京が洋の袖を引っ張り、その進行を阻害した。

 

「よう」

「どうした?取り敢えず、俺たちも保健室にいこうぜ」

「さきは……悲しんでた。……苦しんでた?……なんで?」


 京は、咲の体が一切傷ついていないのを確認した。カタメノフタツメを恐れているわけでは無さそうだったことも確認した。その上で、咲がなぜ落ち込んでいるのか、彼女には理解ができなかったのである。

 別に隠すことでもない。仲間なら知っていてしかるべきと、洋は京に咲の性質の一端を話した。咲の『悪いことアレルギー』について包み隠さず。

 京は、洋の説明を理解したのか。それについてどう感じたのか。何一つ伝えようとはしなかった。ただ、今日の事件で彼女が見つけたある一つの気付きを洋に、返答の変わりに述べた。


「さきは……魔法使い」

「何だ突然」

「だれとでも仲良くなれる」

「んー?まあそうだな。確かにその点については魔法みたいだ」

「『悪いことアレルギー』?は、そのせい」

「え、なに?あいつの社交力と『悪いことアレルギー』って、何か関係あんの?」


 京は、それ以上なにも言わなかった。ただ、言いたいことは言い切ったと言わんばかりに保健室へと歩きだした。

 洋はこの会話を今は掘り下げようとしなかった。京が話を切り上げるということは、これ以上の言葉を用意していないという意思表示に他ならない。無理に深く聞いたところで、下手をすれば何時間もの無言タイムに付き合わされることになる。


「その話、もしよかったら今度詳しく聞かせてくれ」


 京は足を止めないままちらりと洋を振り向くと小さくコクリと頷いた。こう言っておけば、京は言葉を用意してくれるはずだ。今は、咲へのフォローに集中しなければならない。


 保健室にいた咲は熱心に窓の外を見つめていた。何かと思って洋が隣に立って彼女の目線を追っていくと、遠くで何かがぶつかり合っているのが見えた。


「なにあれ」

「わあっ、洋!?まだ帰ってなかったの!?」

「うん、まあ。ところで咲、あれって……」

「そう!ラブリーカルテットが戦ってるの!頑張れー!」


 ラブリーカルテット。和国を守る四人の美少女魔法戦士である。恐怖による世界の支配を目論む『チーム・エニグヌム』と日頃戦う正義の集団である。


(おっと、読者諸君には少々世界観の暴力が過ぎただろうか。この世界には、神も、悪魔も、妖怪も、魔法少女もいる。魔術もあれば、電化製品もある。シラミズアキラのような『未分類』さえいる始末だ。ついてこられそうになければ、今すぐこの物語を閉じるべきだろう。)


 咲は彼女たちの大ファンのようで、目の前で繰り広げられている彼女たちの活躍を食い入るように見つめていた。


「好きだな、ラブリーカルテット」

「嫌いな子なんていないよ!」


 巨大な敵と戦う小さくも勇敢な少女達はその姿だけで子供達に勇気を与える。咲も大好きなヒーロー(ヒロインか)を目にして、精神を完全に回復させたようだ。一先ず安心である。


「いやあ!やはりラブリーカルテットは最強ですな!おお、大村氏、見てください!必殺のラブリーアンサンブルが発動しますぞ!」


 これは保険の先生こと鷲島鷹志である。屡々名前が出ていた彼だが満を持しての登場だ。珍しい男性の養護教諭である。ロリコンかつショタコンとの噂が絶えず、加えて自他ともに認める変人。子供達と一部の先生達からの評判だけがひたすら高い妙な男である。


「「やったあ!」」

「派手だな」

「カッコいいでしょ!」


 咲は目を輝かせ、手をブンブン振って盛り上っている。洋にはラブリーカルテットの良さはよく分からない。ただ、ことあるごとに咲から話を聞かされるので割りと詳しい。


「元気そうで良かったよ」

「うんっ!あ……もしかして、心配してくれた?」


 咲は、少しイタズラっぽく洋に訊ねた。洋は「そりゃな」と当然のように答えた。それから、少し考え込んだのち、彼は正直に心の内を晒して見せた。


「んー……本当は、お前が危ない目に遭うことなんて無いはずだった。廊下を走る必要も、何にもなかった。今回のは全部俺の見通しの甘さが悪い。ごめんな、咲」


 からかうつもりで出した一言に、真剣な様子で返され、咲は二の句が告げなくなる。彼女自身、あの資料でカタメノフタツメについての知識は身に付けていたのだ。洋の用意した安全策をことごとく台無しにしたのは自分である。


「いや……違うの。そんな、責めてる訳じゃなくてね。あの、ごめんなさい……」


 咲の『悪いことアレルギー』……それは罪悪感に耐えられない性質であると言い換えられる。一度それに囚われると自力で抜け出すことはできない。そこをいくと、「ごめんなさい」は咲からの危険信号である。それに気づいた洋はすぐさまフォローにはいる。


「咲、頼みがある!」

「ふぇっ!?……えっと、何?」


 まずは大きな声で咲の思考を止める。そして、しっかりと目を覗き込む。咲は真面目なので、目を見て話をされると何を優先してでも相手の話を聞くことに意識を集中する。結果、彼女の気持ちがネガティブな方向に行くことは一時的になくなる。

 咲は仄かに頬を染めて、しかし真剣に洋の目を覗き返す。洋は、そんな咲に応えるように、こちらも真剣な調子を崩さず咲に告げる。


「七不思議の調査、協力してほしい」


 洋は、今日咲の身に起こったことを、すでに十分理解している。その上で強く肩を掴み、懇願する。


「えっと」

「わかる!お前が今回怖い目に会ったってことは!よーくわかってる!だが!」

「ちょ、ちょっと!」


 洋は身を乗り出しぐぐっと咲に顔を近づける。咲の方が背が高いので、洋が咲を下から見つめる形になる。咲は一層頬の朱を濃くする。

 菊はニコニコ笑っており、京は何を考えているのか分からない無表情でじっとその様子を観察している。鷲島先生と司は一歩離れたところで静かに二人を見守る。


「七不思議との交流は今回の調査のメインだ。そこに咲がいないと……めっちゃ困る。友達づくりのプロのお前がいないのは計画にかなり支障がでる!あと、いざというとき、俺を止めるやつがいなくなるのも困る!だから頼む、七不思議調査、続けさせてくれ。俺に、協力してくれ!」

「……っ!」


 なお、咲は少し前からずっと蚊の鳴くような声で「わかった」「協力する」といい続けている。洋の声が大きすぎて誰も気づいていない……いや、洋と京以外はしっかりとそれに気づいているようで、仲良く、意地悪くニヤニヤ笑って楽しんでいる。


「……という訳で、もう、お前が必要だの必要じゃないだのって……」

「わかったって!どっちにしろ、カタメちゃんとまた遊ぶ約束してるの!七不思議調査にはこれからも協力するよ!」

「本当か!ありがとう!……てか、本当に、もうカタメノフタツメの友達になったのか!?流石だ、咲!やはり今回の件でお前は必要な存在……!」

「もういいから!」


 咲が真っ赤になりながら洋を突き放す。「あたし以外にやったら変態扱いされるからね」などといいながら、探求者の親友は口を尖らせる。夕日のお陰で、部屋も真っ赤に染まっていた。


 咲が元気になったので、その場で解散となった。外はまだ日が落ちきっておらず仄かに明るい。洋は帰り道、咲にカタメノフタツメとの邂逅について詳しく尋ねていた。気絶した原因について事細かに聞こうとするその精神は誉められたものではないが、所詮は小学四年生。時には溢れる好奇心が空気を読まずに表出することもあるというものだ。

 対する咲も気を悪くした様子はない。むしろ、とても楽しそうに笑っている。今日の不幸な事故など無かったかのようだ。それにしても、彼女は基本、いつだってニコニコと笑っているが、洋と一緒に並んで帰るこの瞬間は格別素敵に笑うのである。

 さて、咲の家に差し掛かった辺りのことである。洋の質問攻めも終わって昨日見たテレビ番組の話などに花を咲かせていると、突然咲が走り出した。


「あーっ!ねえ、洋!見て見て!」

「あん?何だよ」

「何か白いモコモコがいる!」


 咲が道端に落ちていた毛玉を拾い上げる。平気で落ちているものを拾うのはどうかと思わなくもない洋であったが、自分も似たようなことをすることがあるので口には出さない。

 今は、謎の毛玉に注目すべきだろう。咲が興味を持ったということは、これの正体は生物ということだ。生物であれば大体友達になれる彼女は、生物を見つけるととりあえず触れ合おうとする。

 しかし、小学生の手にぴったり収まる程度の大きさの、真っ白でモコモコの毛玉など図鑑で見たことがない。

 頭から特徴的な一本の長い触覚を伸ばしており、ここから種類を絞れないかと洋は見当をつけた。


「何だろうな、これ」

「可愛いねえ!」

「そうか?可愛いのか、これ。んー?この触角みたいなのがいいのかね?それとも、このモコモコ感か?」

「お名前は?へえ、ちゅうづりぽむぽむ。可愛いね!」

「おっと、何か一人で会話始めたな」


 咲が動物や植物と話をするのは珍しくない。登校時にはよく、その辺に生えているタンポポやそこに停まっている蝶に挨拶する姿を見ることができる。初めて触れ合ったはずの近所の犬の名前を一発で当てたりするので会話ができるというのも強ち冗談では無いようだが、端から見るとかなり変わった少女に映るだろう。


「お名前じゃないの?そういう風に仲間が呼ばれてる?じゃあ、私がお名前つけてあげる。……うーん?わたわたでもこもこだから、ワタモコリ、とかどう?」


 咲の言葉に、モコモコは大きな反応を見せた。四つのコウモリに似た羽根を体から出すと、パタパタばたつかせ、喜ぶような動作を行ったのだ。そんな様子を後方から覗き込みつつ見ていた洋は、この生物に二つのつぶらな瞳があることに気づいた。そして、一つの推測を立てた。


「こいつ、魔物じゃないか?羽が4枚あるにしては昆虫っぽくない。複眼じゃないし、足の数も6本には見えない」


 魔物とは、魔力によって突然変異した生物のことである。火を噴くスズメや、角の生えたウサギ、大きな爪を持つ原型不明の爬虫類など、その種類は多岐にわたる。一般的な生物に、羽を4枚持つものは昆虫ぐらいしかいない以上、その可能性が排除されたこの生物は魔物であると推測できるのだ。

 なお、この推測は半分間違っている。魔物であることは間違いないが、よく見ると足はしっかり六本ある。モコモコの毛の奥に、つぶらな瞳よりもさらに小粒な単眼がぽつぽつと2つある。この生き物は、『昆虫の魔物』であるということが正解だ。


「うち来る?」

「うきゅー」


 咲は洋の推測など全く意に介さなかった。こんなに可愛い生き物が悪い生き物な訳がない。彼女は本気でそう思っている。

 これまで咲は、同じことを言いながら毒蛇や蜂を触りに行っているので、その判定は基本的に当てにならない。それでも、どんな狂暴な生物も、基本的に咲に対してだけは穏やかな様子を見せるので、彼女にとっては悪い生き物ではないと言っても差し支えない。

 今回のモコモコも、咲の手の中で大人しくしており、現時点では咲に対して危害を加えるものではないと思われた。


「ヤバイな、言葉理解してるタイプだぞ。頭のいい魔物は大概録な奴じゃないんだ。本にそう書いてた」

「もう、なんでそんなことを言うの?こんなに可愛いんだもん。良い子に決まってるよ」


 何のことはないやり取りである。しかし、この直後、不意にちらりとワタモコリが洋の方を向いた。その瞳は静かに、しかし明らかに洋の言葉を牽制していた。余計なことを言うな、と物語っているようだった。


「咲、お前なら大丈夫だろうが……噛まれないように気を付けろよ」

「心配ないよ!」


 先程も描写した通り、咲は毒蛇や蜂を手にのせても絶対に噛まれたり刺されたりしない。洋が大丈夫だろうと考えた根拠はそこにある。

 しかし洋には、あの白いモコモコには何かがあるような気がしてならない。別に洋の直感が殊更当たるということはないが……。


「チュウヅリポムポムか……母さんか姉ちゃんに聞いてみるか」


 意外と話を聞いている洋である。咲が一瞬こぼしたあのモコモコの種族名をしっかり覚えていた。なお、モコモコの名前は覚えたものの、それについて調べることは、残念ながらすっかり忘れてしまった。まあ、何のことはない。この白いモコモコ『チュウヅリポムポム』改め『ワタモコリ』がその頭角を表すのはもう少しあとの話なのだから。

Tips 鷲島鷹志

・和国中央大学児童心理学研究科卒。現在は養護教諭をしている。

・数少ない電気魔術研究の第一人者。

・子どもが好きだといったものは大体好きになれる。

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