表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
27/36

26. 同じ空間で違うこと

 時には奇異な目で見られることもあると自覚しつつ、26個目の好きなものです。今回のテーマは結構共感していただけるのではないかと思っています。

 それでは、自信をもって始めたいと思います。



 同じ空間で一緒になにかするのが楽しいのはよくあること。友達とのおしゃべりや、恋人とのデートとかは一緒だからこそ楽しめるものだと思います。

 一方、外食や旅行などは誰かと一緒だから楽しめる場合もあれば、ひとりの良さを見出す人もいるようで。私は絶対に誰かと一緒がいいですけどね。まあこれは人それぞれ。

 で、私の中でちょっと特別なのは、同じ空間で違うことを楽しめる関係。前提として、気持ちが繋がっていなければなりません。違うことをしているのに繋がっている感じがたまらなく好きです。


 もっともわかりやすいであろう例をあげますと、友達とのウインドウショッピングでしょうか。同じお店に入ったのに、それぞれ好き勝手に見たいところを見ていることってありますよね。で、時々「ねえ、見てみて。いいもの見つけたの」と呼びに行ったり。

 これって、ある程度親しくなってからでないと難しい気がします。友達になりたてのころは一緒に見て回りながら、商品についてコメントしあったりします。まだよく知らない相手のいろんなことがわかってきたりして、これはこれで楽しいです。

 でも、この過程があって、いつの間にか(←ここ大事)別々に回るようになっていたことに気づいたとき、ちょっとほっこりします。


 冒頭では、共感していただけるのではないかと申しましたが、もしかしたら社交的な方には該当しないかもしれないと思い直しました。ただ、いままでの交流から鑑みると、小説を書こうなどという人はどこか内向的な性格だったりするでしょうから、やはり共感される方も少なくないのではとも思います。(どっちだよ)

 ともあれ、共感されようとされまいと、私は気にしませんけどね。共感も嬉しいですが、「ひとと違うものに良さを感じられる自分」というのもかなり好きだったりします。好きなものは多ければ多いほど幸せ。


 てなわけで。続けます。


 子供のころ、構われるのが苦手でした。

 安全管理なのでしょう、外でも家でも大人の目がありました。子供同士で遊ぶことでさえ常に楽しいとは限らないのに、大人と遊んで楽しいわけがありません。安全管理以外の理由があるとすれば、遊び相手になってくれていたということなのでしょうけれど、子供ながらにそれを感じ取れてしまうんですよね。すると、楽しんでいるように見せなければならないというプレッシャーが。結果、内心では全然楽しめないというね……。


 とはいえ、「ママ、見て見て~」と叫んでいる子供を見かけることが多いので、親に注目していてほしい子供がいることも理解しています。もしやそちらの方が多いのではないかと、最近ようやく気付きました。今まではそんな風に思ったことがなかったので、友達の子や親戚の子にも私から近づくことはしませんでした。迷惑かなと思っていたので。でも別に子供嫌いなわけではないので、相手が話しかけてくればここぞとばかりに全力で遊びますが。

 しかし、たぶんそれが間違いだったと気付いた頃には、もう身近に小さい子供がいないという寂しさよ……。子供、おもしろいのに。


 あ……。なんでこうも毎回、話が逸れるんでしょうね。すみませんねぇ……。


 同じ空間で違うこと、ですよ。


 子供のころ、大人に遊び相手をされるのが苦手だったと言いましたが、同じ空間にいるのは落ち着きました。母が近所のおばさんと立ち話をしている横でお花を摘んでいるとか。好きにやらせてもらっている上に、すぐそばにいるという安心感。保険みたいな感じでしょうか。いざというときは気付いてもらえるという安心。


 この関係性の魅力は安心感だけではありません。根底にあるものは、信頼なのだと思います。


 例えば、猫。

 今はもういないのですが、猫を飼っていました。女の子なのにとっても甘えん坊で、私に触れていることがほとんどだったのですが、そこはやっぱり猫、時には離れて過ごす時間もありました。それでも同じ部屋で毛繕いしていたりしました。で、私が部屋を移動すると、慌ててついてきて、移動先でまた毛繕いを始める……。


 これ、これですよ! 同じ空間で違うこと!


 それぞれに違うことをしている(猫は毛繕い、私は読書とか)のに、ふと目が合うと「にゃー」と鳴く。

 きゅ~ん!! たまりませんっ!

 そしてまたそれぞれの世界に戻るのもいい!


 猫だけではありません。家族やパートナーがリビングに集まっているのに、まったく別々のことをやっているのとかも好きです。一方が洗濯物をたたんでいるのに、一方はゲームで遊んでいるとか。

 自分が、というのはもちろんですが、ひとのそういう光景を見るのも好きです。ほっこりとはまた違う、ときめきに似た幸福感を感じるのです。


 当事者でも目撃者でもキュンとくるシチュエーションといえば、学校や職場でのカップルですね。あ、私自身は学生時代にお付き合いしたことがないので、当事者にはなりえませんでしたが。残念でなりません。あ、いや、そうではなくて。


 周りがふたりのことを知っていても知らなくてもいいのですが、教室や会社では別々にいるわけじゃないですか。それぞれの友達の輪だったり、デスクが離れていたり。で、ふとした拍子に目が合うわけですよ、で、ちょこっと、こう、ちょこっとね、目だけで微笑みあうわけですよ!

 どうよ? よくないですか? よいですよね!?

 でね、でね、その様子に気付いちゃう人とかいるわけですよ。でもって、「ちょっとぉ、今、微笑みあっていたでしょお~」とか笑いながらからかわれたりしてさあ。

 う~ん、いいっ!

 ここで当人が「え? やだ、見てたの!?」とか照れたりしたら最高です!


 ……はっ。ごめんなさい。なんか変なスイッチ入っちゃいました。


 取り乱してしまいましたが、伝わりましたでしょうか?(おそるおそる)


 ほ~ら。想像してみてください。


 恋人たちとか夫婦とかがね、昼下がりのリビングにいるわけですよ。レースのカーテンが風に揺れて、緑の香りが吹き込んできたりして。鳥の声とかしてね。でもリビングは静かで。ときおり、ぱらりとページをめくる音だけがします。二人とも本を読んでいるんです。一人はソファに寝転がって。一人は椅子に腰かけて。で、ふと一息ついた瞬間に目が合って。にっこり微笑む。「紅茶入れるけど、飲む?」「あ、もらおうかな。ありがと」なんて。


 いやあ~。いいですねぇ。うっとり……。


 違うことをしているのに繋がっている感じ。違うことをしているけど目の前にいる安心感。


 どう? 素敵じゃないですか?





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ