87 さくらの異変
熱戦を繰り広げたさくらと橘、試合の翌朝さくらに一体何が・・・・・・
さくらと橘が対決を終えた夜、帝都のそこいら中の酒場では彼女たちの戦いの話題でもちきりとなっている。普段から酔客でにぎわう酒場にひときわ大きな声が響き合う。
「すげー勝負だったぜ!」
「ああ、間違いない!」
「あんなもんを見たら、普通の騎士の試合が物足りなくなっちまうぞ!」
幸運にも闘技場でその戦いを目撃した者が、見ていない者に如何に素晴らしい戦いであったかを教え、試合を目撃した者同士が『ここだどうだった!』『あの瞬間はものすごかった!』などと感想を述べ合う。
中にはその議論が白熱して口論にまで発展するケースもあるが、全ての者に共通する感想は・・・・・・『あれはまるで神話に描かれているような戦いだった!』で一致する。
その夜の帝都での話題を全て独占する事となった当の本人たちは現在宿舎に帰って食事の真っ最中だ。
「いやー兄ちゃん、運動したあとのご飯というのは実に素晴らしいね!」
さっきまで悔しがって『ヤケ食いだ!』と言っていたのが嘘のようにご機嫌な表情で肉を頬張るさくら。
「お前はいつも素晴らしい食欲で食べているだろうが」
元哉の突込みなどどこ吹く風で彼女は大量の食事を平らげていく。
その横でひっそりと食事をする橘、これではまるで彼女の方が敗者のようだ。
いつものように散々食べ散らかしてさくらは、風呂に入ってすぐに寝付いた。
翌朝、朝食の時間に皆が食堂に集まるが、いつも一番早く席について食事を待っているはずのさくらの姿がない。
「昨日の疲れが出たんじゃないですか?」
ロージーが常識的な見解を述べるが、それはさくらには絶対に当てはまらないと、言ったあとに気が付く。そもそもさくらには『疲労』という概念が存在しない。彼女はどんな無茶をしても疲れ知らずなのだ。
「仕方ないな、ちょっと様子を見てくる」
さくらを起こすのは大きな危険が付きまとう。元哉以外に出来ない仕事だ。彼は席を立ってさくらの部屋に向かう。
「おいさくら、目を覚ませ! もう朝だぞ!」
元哉が呼びかけても体を揺すっても何の反応も見せない。いつもならば目を覚ますか、寝ぼけた手加減なしの拳が飛んでくるのだが、スヤスヤと眠ったまま一向に起きる気配を見せない。
おかしいなと思いつつ、元哉はその小さな体を抱きかかえてリビングまで運ぶ。朝食の匂いを嗅ぎ付ければひょっとしたら目を覚ますのではないかと考えた上での行動だ。
リビングのソファーにさくらを横たえると、全員がその様子を見にやって来た。
「おかしいわね、食事時に目を覚まさないなんて今まで無かったことよ」
長年一緒に住んでいる橘は明らかに普段とは様子の違う姉に眉をひそめる。もしかしたら昨日の試合でどこか打ち所が悪くて・・・・・・という心配をしている。
そこへまだ眠い目をこすりながら椿がやって来る。彼女はいつもぎりぎりまで寝ていたいので、大体この時間に起き出してくるのだ。
朝食時にリビングのソファーの周りに集まっている一同の様子を見て元哉に声をかける椿。
「元哉君、一体どうしたの?」
その言葉ではじめて椿が起きて来た事に気が付いた元哉が彼女を振り返る。
「ああ椿さん、さくらが目を覚まさないんだ」
困った様子でソファーに寝かされているさくらを顎で指す元哉、その横では橘が険しい顔をしている。
椿はさくらの様子を見るなり難しい表情をする。
「どうして起きないのか私にもわからないけど、橘ちゃんの中にいる人だったら何かわかるんじゃない」
それを聞いて橘が『おや?』という顔をする。
「椿さんに私の中に入る者の話をした事無いですよね」
その存在を知っている者はごく僅かで、椿には話していないはずだと橘は断言出来る。
「ああ、ほら・・・・・・私も今こんな状態でしょう、他人の体を借りている身だから橘ちゃんの中に何かいる事くらいわかるのよ」
椿にしてはやや歯切れの悪い回答だが、納得するしかない橘。さくらに万が一の事があってはまずいのですぐにミカエルと入れ替わる。
一瞬橘の輪郭がブレたような錯覚を覚える一同。そしてもうそこには橘とは別の神格を持つ者が降臨している。
「案ずるな、食事をしながら説明するゆえ席に付け」
出てくるなり全ての事情をを察していたかのような命令口調が飛び出す。さくらは心配だが彼女が寝ているソファーは食卓からも見えるので、一先ず全員が席に着き食べながら話を進めていく。
「そなたらは一体何を慌てているというのだ? あの娘の中に眠っている存在を知っているのであろう?」
ミカエルはさも不思議そうな様子で元哉に問いかける。聞かれた方は全く心当たりがなく戸惑いが更に広がる。
「一体何の事だ?」
元哉の態度に彼らが何も気づいていない事を悟ったミカエルはその態度を改める。
「そなたら、よく考えてみよ。只の人間がすでに神の域にまで達している我を内包するこの娘と互角に戦うなど有り得る事か?」
元々日本で何度も模擬戦を行っているので、元哉は二人の対戦はあんなものだろうと予想出来ていた。だが考えてみると、いくら格闘センスに優れるさくらが神に近い者と互角の戦いを演じる理由が全く思いつかない。
「それはさくらちゃんがあまりに非常識だからではありませんか」
ディーナが常々思う事を口にするが、ミカエルは笑ってその答えを却下する。
「この娘が性格的に非常識な事とこれとは根本的に別の問題。すべてはこの者の中に眠る存在が為せる業」
ミカエルの話でおおよその事が理解できた元哉、橘の中に元々天使がいたくらいだから、さくらにも何かがいておかしくない。というよりも何かがいる方が当たり前に思えてくる。
「そのさくらの中に眠る者っていうのは一体何者だ?」
元哉が話の核心に触れる。それがわかればもしかしたらこの問題の解決策が見出せるかもしれない。その事に期待してミカエルに答えを求める。
「この娘は獣王、当然その中に眠るは獣に決まっているであろう。それもおそらくは神話に出てくるような大層な代物に違いない」
ミカエルはそこまで話をするが、その場に居合わせる者には全く話が見えてこない。しかしただ一人椿だけは『なるほど』と納得した顔をしている。
「もしかしたらその中の者が目を覚ますにあたって、今のさくらちゃんの体では容量が足りないってことかしら」
突然投げかけられた椿の言葉に一同は彼女を振り返る。すでに椿は全てを悟っているような表情だ。
「その通り、そなたならばすでに目覚めの方法もわかっているはず。後は任せる」
すでに伝える事は無いようでついでにちゃっかり食事も終えたミカエルは橘の中に消えていく。残された者は唯一頼りになる椿が何か話し出すのを待っている。
「さくらちゃんは今大きな成長の時を迎えているのよ。ただし、その中にいるものも同時に成長しなければならないので、その時を待っているというわけ」
椿は自分が理解している事をわかりやすく皆に伝える。といってもディーナやロージーはまだ話が全く理解出来ていない。
「それで、さくらちゃんの中にいるのって一体何者ですか?」
ミカエルが元に戻った事で、再起動した橘が最も知りたい事を尋ねる。その表情はさくらの体に異常が無かった事で、一安心といったところだ。
「よく考えてみてね。天使が言っていたように神話に出てくる動物で、もはや神格化されているものといったら何かしら?」
生徒に質問する教師のような態度で橘に回答を求める椿、そして橘はというと心当たりはひとつあるが『まさか!』といった表情をしている。
「冗談のような答えになりますが『因幡の白兎』ではないですよね」
「正解!」
間髪入れずに椿の口からその言葉が飛び出ると『ええーっ!』と思わず声を上げる橘。
自分の中に天使が存在しているようにさくらの中にもウサギの神様が存在していた事にさすがに驚いている。
「因幡の白兎???? 一体何者ですか?」
日本の神話など知る由も無いディーナが元哉に尋ねる。彼女は彼らの故郷の日本に興味津々なのだ。
「俺たちの国の神話に出てくる神獣だ。今では神様として祀られている」
何でも神様にしてしまう日本人の手によって確かにそれは八百万の神の一柱に数えられており、白兎神社なども実在する。
元哉は知っている限りさくらの事を思い返してみる。彼女専用ヘルメットについているウサミミは作製した技官の悪ノリで『きっと似合うだろう』とくっつけられた物だが、さくらは非常に気に入っていた。
それに『獣王』の称号は神格化した霊獣が体内に宿るのだったら腑に落ちる事だ。そして彼女の言葉に従順な馬たち・・・・・・おそらくは馬だけでなく全ての獣が彼女に従う事だろう。
ステータスにあった『小さな預言者』も古事記では因幡の白兎が何度も大国主命に予言を降す件がある。恐らくそれを踏まえた上で付与された称号なのであろう。
元哉の知り限り全てが『さくら=因幡の白兎』に繋がる。逆になぜ今までこの符合に気が付かなかったのか不思議なくらいだ。
「椿さん、さくらの真の姿はわかったが、これを目覚めさせる方法はあるのか?」
元哉は一番肝心な事を彼女に尋ねる。
「そうね、元哉君・・・・・・あなたにはいっぱい働いてもらいましょう!」
そう言って何とも言えない笑みを漂わせる椿だった。
「こんにちはディーナです。今さくらちゃんが目を覚まさないという緊急事態なのでこのコーナーはお休みです。でもきっと無事に起き出して来ますよね。だってあのさくらちゃんですから! というわけで、感想、評価、ブックマークをお待ちしています。次回の投稿は日曜日の予定です」