200 開店
ついにこの小説が200話の節目を迎えました。読者の皆さんのおかげでここまで来ることが出来ました。本当にありがとうございます。投稿を開始してから1年と4ヶ月になりますが、その間を皆さんと一緒に過ごせたことが最大の喜びです。
この200話が帝都訪問の最後になります。201話からは新しい展開が始まる予定です。特に章に分けてはいませんが(いまいちやり方が分からなくて、一度やり掛けて挫折した結果)大体そんな感じだと受け止めていただけると幸いです。
これからも次の節目に向けてこの小説をどうぞよろしくお願いいたします。
帝都での公式行事を滞り無く終えた橘はお忍びで帝都の街中に姿を見せている。彼女とともに馬車に乗るのはディーナとソフィアにいつものメイドたちが3人だ。
「橘様、この先に例の物件があります。きっと橘様も気にっていただけると思いますよ」
ディーナの声は弾んでいる。これまでいくら場慣れしている彼女でもそれなりに緊張を強いられる場面が続いたのでそれが終わったのに加えて、ようやく自らが任されたプロジェクトに取り掛かれるためだ。
御者は大通りから横道に曲がってすぐの所に馬車を停める。周辺は高級店から庶民的な品まで扱う様々な店が集まる商業地区の一角だ。通りを歩く通行人たちは目的の店に次々に入って行き、お目当ての商品を買い求める姿が目立っている。
「橘様、ご覧ください。素晴らしい物件ですよ! この時期に売りに出された中では最高の条件です!」
ディーナはフィオとともに商業ギルドで紹介してもらった店舗用の不動産の中で、少々予算オーバーながらも最高の立地にあった店を契約していた。
「あら、これは良いわね。よくこんなお店が見つかったわね」
その外観に橘も満足そうな表情だ。新へブル王国の直営店を帝都にオープンするためにその準備で今日はこの場にやって来ていたのだ。
「中もご案内しますね」
ディーナは橘からお褒めの言葉があったことに気を良くして、鍵を開けてから中に一同を案内する。照明が無いので内部はやや暗いものの、その造りはしっかりとしており広さも十分に確保されていた。ショールームに当たる部分の奥には個別の商談用の個室も5部屋用意されていている。
「ここは元々ある商会が所有していた物らしいですけど、手狭になったためにもっと広い店に移転したそうです。きっと商品を売るにはいい場所なんですよ!」
ディーナは商業ギルドでこの物件を契約する決め手となった話を橘に説明する。その言葉通り窓の外から見える通りには人通りが途絶えることなく続いている。
「そうね、ここで良いでしょう。でもこのままではちょっと何を売っているかわかりにくいわね。アピ-ルが不足しているから少し手を入れましょう。建物は好きに手を加えていいのかしら?」
橘は一体何をするつもりだろうと思いながらディーナは返事をする。
「はい、所有権は橘様にありますからどのような店にしても構いません」
「そう、それなら遠慮なく遣らせてもらうわ。ウオールソリッド!」
彼女はまず建物の構造その物に手を加えた。普通の石造りの建物が戦車の主砲を喰らっても崩れないくらいに壁や柱が強化されていく。もしこの建物を解体しようとしたらこの国の技術では全く歯が立たないだろう。
「このまま遣ると表を歩く人たちを驚かせてしまうわね」
そう言うと彼女は通行人に向かって認識阻害の魔力を放つ。これは術式にもなっていないただの注意を逸らすという精神波に過ぎないが、いきなりそのようなとんでもレベルの魔法を放って平然としている橘にさすがのフィオは身が竦む思いだ。
準備を整えた橘はそれからいきなり正面の壁を風魔法で縦2メートル横5メートルに渡って切り取った。邪魔な壁の石材はマジックバッグにしまいこんだおかげで、今まで石壁に覆われていた場所が急にすっぽりと何も無くなって通りを歩く人たちの姿がその内部から丸見えになっている。中から見える外を歩く人々は橘の精神波の影響で一向に建物の内部を気にする様子がなった。
「橘様、壁が無くなってしまいましたが一体どうするつもりですか?」
さすがのディーナもこの光景を呆然と見ながら橘は何をするつもりなのか見当も付かない。それとは対照的にフィオは日本に良くあるような店構えにするつもりなのだろうと見当をつけていた。
「まあ見ていなさい。この世界に今まで無かったような店にするわ」
橘は今度は土魔法で切り取った壁にガラスを作り出して嵌め込んでいく。この世界のガラスはまだ技術が低いために不純物が多く混ざった曇りガラスが殆どで、それもせいぜい1メートル四方の大きさを作り出すのがやっとだった。だが橘が魔法で作り出したそのガラスは日本にあるような透明のガラスで、その大きさとともにこの世界では有り得ない技術だった。
「まあ、橘様の事ですから何でもありですね」
ディーナはすでに呆れる事すら止めていた。その目はすっかり達観したようなある種の悟りを開いているようだ。
「それにしてもフィオさんは全然驚いた様子が無いですけどどうしてですか?」
ディーナはフィオがあまりに自然な態度でこの光景を見ているのが不思議でしょうがなかった。これだけの高度な技法の魔法を見せ付けられてなぜ平気な顔をしているのだろうという思いが募っていたのだ。
「いえいえ、橘様の魔法自体には驚いていますよ。でもこのような形のお店は私が元々居た世界ではごく普通の造りでしたから、それほど驚いてはいません」
その言葉を聞いてディーナはようやく納得が行った。橘は彼女の元々いた世界『日本』風の店舗をこの場に造り上げようとしているのだという事に。だが彼女は知らない。この建物の外観は石造りで周囲の景観とともにその雰囲気は日本風というよりはヨーロッパ風と言う方がしっくりくるのだった。
大きなガラスが嵌ったその箇所に向かって橘は口の中でブツブツと呟きながら指を小さく動かしている。彼女はそのガラス一面に透明な文字で魔法陣を描いて、ダンプカーが突っ込んできても割れないように強化している最中だった。それが終わるとそのガラスの内側にさらにもう一枚大きなガラスを作り上げてから嵌め込んでいく。合わせガラスにすることでその内部の魔法陣に傷が付く事を防止している。これでガラスを破って侵入を企てる不心得者に対する対策はバッチリだ。何しろ扱う商品は魔法技術の塊なので、何とかその秘密を盗もうと考える者が現れる可能性が高いのだ。防犯には気を使っておいて困ることは無い。
「この床と壁もなんだか味気ないわね」
橘が指摘した床や壁は外観と同じ材質のごく普通の石材で出来ており、この世界では標準的な造りだった。どうやらこれに彼女は不満があるようだ。
「材質を変成させましょう」
橘が指をパチンと鳴らすと床は全て磨き上げられた大理石に、壁は乳白色の優しい色合いの鍾乳石に覆われていく。
「橘様、これは日本でも高級ブティックのような造りになりましたね」
フィオの言葉通り、確かにその内部は銀座の一等地に在っても不思議では無い程の高級感を演出している。せっかくの帝都の一号店なので橘もその魔力を大奮発した結果だ。
それから橘は先程切り取った壁の石材を更に適当な高さに切り出して壁沿いに並べていく。当然重たい物を持ち上げられない彼女は重力魔法を使用している。そこは商品を展示する場所として活用するつもりで、壁と同じように乳白色の素材にあっという間に変えていく。
「これで大まかな店の造りは完成ね。あとは照明器具とカウンターと簡単なお茶を出す設備を整えたらもうお店として使えるわね」
橘も自身が手掛けた店の内装に満足している。最後に自分たちが入ってきた木製のドアを取っ払って、ガラス製の洒落た物に換えてから、建物全体にクリーンの魔法をかけて一通りの作業を終えた。
この建物の2階は住み込みの従業員の部屋として使用する予定なので、そこに据え付ける家具の購入などは全てディーナに任せてある。彼女の話によるともう業者に手配済みで運び込むだけとなっているそうだ。ディーナも中々仕事に慣れてこのような手配を素早く確実に行えるようになっていた。
「予定では従業員の皆さんは明後日には到着します。総勢50人の大所帯ですから2階だけでは足りないので奥にある離れも使います。在庫はマジックバッグに入れて保管するので、大きな倉庫が必要ないのは便利ですね」
ディーナは開店の準備が万全に整っていることに胸を張っている。さくらや橘と違って立派なものをお持ちの彼女が胸を張ると大迫力だ。橘はやや恨めしそうな目でその姿を見ている。
「えーと・・・・・・ ディーナ、ありがとう。フィオもご苦労様でしたね。後は二人に任せるから好きなように遣っていいわ」
直営店の開店を見届けて橘は一旦魔王城に戻る予定だが、ディーナとフィオはしばらく帝都に残って店の陣頭指揮を執ることになっている。それだけこの店に賭ける橘の意気込みが感じられるのには訳があった。新ヘブル王国はいまだに食料の自給が覚束ない状況で、この魔法製品を売り上げた利益によって帝国から輸入出来る食糧の量が決まるのだ。何としても帝都での販売を成功させなければならないという重い使命がディーナとフィオの肩に圧し掛かっていると言えよう。
橘が認識阻害の魔力を解くと、道往く人々はその場に突如現れた見慣れない店構えに驚きの表情をしている。ついさっきまでは無人の店がその場に在った筈だが、いつの間にかそこには大きなガラスに覆われた店舗の内部が丸見えの建物に人々は目を丸くしている。
「一体何の店が出来るんだろうな?」
「あんな大きなガラスで出来ているなんて割れないのか?」
「中はずいぶん高級そうな感じだな。何を売るのかな?」
その店構えは自ずと人々の注目を集める結果となった。それは橘の目論見通りで、新しい店が出来るという噂は口コミで瞬く間に広がっていく。
翌々日には店を実際に預かるルトの民が帝都に到着する。その面々は販売に慣れた接客係と技術者、それに警護担当兼帝都の情報を集める特殊旅団のメンバーが10人付いてきている。彼らはこの日に合わせて新ヘブル王国の各地や西ガザル地方から選抜されて、約一月掛かってはるばる帝都まで旅をしてきたのだった。
「皆さん、この店の成功は一重に皆さんの活躍に懸かっています。王国でこの魔法具を汗を流しながら製作している人たちのためにもぜひ繁盛させてください。それからくれぐれも言いますが、絶対に信用を落とすような行為はしないでください。帝都の人々の信用を勝ち取ってこそ、成功といえるのだと肝に銘じてください」
開店の前日にフロアーに全員を集めた橘が最後に訓辞を述べる。従業員一同は大魔王をこんな間近にして緊張と喜びに包まれた表情だ。彼らは橘の言葉を胸に刻み込んで明日からの仕事に命懸けで臨む決意をしている。その姿を目の前にして敬愛する大魔王に忠誠を尽くそうという決意が全員の一致した思いだった。
翌日の開店初日、この日は朝から貴族の使いの者たちが次々に馬車に乗ってやって来る。彼らは皇女の執務室に設置されたあの暖房具の噂を口コミで聞きつけており、我先にと押しかけてきていた。新しい物好きな貴族の気質というものもあるのかもしれないが、中には貴族の当主本人が馬車に乗ってやって来る程の関心を集めていたのだ。
「橘様、まだ開店から3時間しか経っていないのにすでに大口の契約が12件成立しています! 貴族の大きな館のために皆さん5台10台とまとめて購入してくれます。すでに最高級品の在庫が心配になって来ました!」
橘が待機している控え室にディーナが駆け込んでくる。その表情はすでに販売目標を大きくクリアしているせいかホクホク顔だ。一台金貨100枚もする最高級品が飛ぶように売れているためだ。彼女は橘自身が店に姿を現すと騒ぎを巻き起こすので、店の裏で状況がどうなっているのか報告を待っている橘の元に嬉しい誤算を届けにやって来たのだった。
「初日というだけあって一般のお客さんはまだ入り辛いのかしら? この窓から見ていると通りを歩く人たちは入りたそうにしている様子だけど中々入れないみたいね」
橘は高級感を演出しようとするあまりちょっと遣り過ぎたかもと反省している。一般庶民からしたら敷居が高過ぎるのではないかと危惧を抱いているのだ。
「はい、道を歩いていて中に入ってきた方はまだ居ませんが、店の前で警備をしている係りに『ここは何の店だ?』と尋ねる人たちはたくさん居るようです。いずれ知名度が上がればおそらくその人たちも店に入ってくるでしょう。警備の者たちには丁寧に対応するように伝えました」
ディーナも彼女なりに様々な従業員に声を掛けて細かい情報まで集めているらしい。その手腕は橘を十分に満足させている。
「そうね、しばらくは貴族の大口の契約で時間を取られるでしょうから、それが落ち着いてから一般の皆さんにも中に入ってもらえるような工夫をしてみればいいんじゃないかしら」
「はい、わかりました。ではまた店に戻ります」
橘のアドバイスを受け取ってディーナは急いで戻っていく。この調子ならば彼女に任せていれば安心だろう。そう考えて橘は再び窓の外の通りを眺めるのだった。
次回の投稿は土曜日の予定です。