2 出発と初バトル
バハムートの話によるとこの場所は神聖な結界の中で、ここにいる限りは安全らしい。
その上付近の森に実っている『万能の実』は食べたい物を思い浮かべて、少量の魔力を流すと中から食べたい物が出てくるそうで、これからの旅に備えて好きなだけ採ってよいと許可が出た。
しばらくはここでこれからの旅のために準備を整えることにする。
食料集めの他に橘は新たに得たこの世界の魔法を解析する作業などもあり、結構忙しく時間は過ぎて3日後にいよいよ出発の朝を迎えた。
「準備はいいか?」
元哉のの言葉に頷くさくらと橘。
「ここから先はどんな危険があるかわからないから慎重に行動する。先頭はさくら、探査方式はパッシブで常時警戒。俺が殿を務めるから橘は真ん中を歩け。森の中では火系統の魔法は使うな。さくらは魔力擲弾筒を装着しておくこと。さくらの準備が整い次第出発する」
「了解」
「兄ちゃん、わかったよ!」
三人で行動するときは、元哉が小隊長で行動の指針を決定する。さくらと橘は特殊能力はあるものの、元哉のように小学生のうちから軍事教練を受けて来た訳ではない。ましてや地図もない場所での行動は元哉の経験がものを言う。
「よし、行くぞ!」
元哉の合図で、結界の外に足を踏み出す三人。その途端に濃密な魔素が周囲を包み込む。
「魔素の質が違う」
歩きながら橘が感じたことを口にした。
魔力を自在に制御できる彼女にとっては、気がかりな点であった。解かり易くいえば、元哉から供給される魔力がガソリンだとすれば、森の中に満ちている魔力は重油のようであるらしい。ネットリとしていて変換効率が悪そうというのが、橘の見解だった。
索敵をしながらなので3人が歩く速度はそれほど速くない。結界の近くではまったく聞こえなかった鳥の鳴き声や虫が飛ぶ羽音が多くなりだしたと思った頃、突然それはやって来た。さくらの索敵網に引っかかったものがいたのだ。
「兄ちゃん、10時の方向距離300、かなりの速度で接近中。」
さすがのさくらもやや緊張を隠せない声で報告する。何しろこの世界で始めて遭遇する魔物である確率が極めて高いのだ。
「さくら、レベル1で狙撃大丈夫か?」
「木が多くてやりにくいけど、やってみる!」
擲弾筒を構えて、照準を合わせにかかるさくら。その目はいつに無く真剣だった。
「橘は魔法を打てる状態で待機」
橘は最も得意な電撃弾をスタンバイさせている。万が一さくらが撃ち漏らした時にはいつでも発動できるような態勢だ。
標的が近づいてきて足音まではっきりと聞こえてくる。木の陰になって姿をはっきり捉えることはできないが、チラチラと見える様子からどうやらイノシシのようだ。ただし日本で見られるイノシシの3倍以上の大きさである。
3人を狙って樹木の間を縫うように突進してくるのはビッグボアだった。この世界のCランクの冒険者4~5人でようやく何とか倒す魔物だ。
ただし同じ魔物でもそのレベルによって大きな差が出てくる。最もわかりやすいのは、背中の毛の色だ。『シルバーバック』や『ゴールドバック』などと呼ばれ、背中の毛の色が変化している個体は討伐の難易度が一気に跳ね上がる。
そして3人を狙って突進しているビッグボアはシルバーバックだった。おおよそBランクの5人パーティーで倒せるかどうかといったところだろう。
しかしそのような知識のまったくない3人はただ目の前の敵に集中していた。距離約40メートル、ようやくさくらの視界に正面から向かってくる魔物の姿が入った。
「いっけーー!」
音もなく打ち出され魔物に向かっていく魔法弾。さくらの狙い通りにバシュッと音を立てて、ビッグボアの眉間に当たった。
「グァラァーー!!!」
咆哮とも絶叫ともつかない声が響き、魔物は眉間からダラダラと血を流している。だが倒れることなく、止まり掛けた足を再び動かして前に進もうとする。どうやら予想外に生命力が強いのだろう。とは言ってもさくらの魔法弾によってダメージを受けているので、さすがに先ほどのような勢いはない。
「俺がやる、2人は下がっていろ」
元哉が腰のナイフを引き抜いて、前に出たと思ったら次の瞬間にはもう魔物の前に移動していた。そのままの勢いでビッグボアの顎下に前蹴りを叩き込む。
『ゴキッ!』
鈍い音を響かせながら400キロ近くありそうな巨体が宙を舞い、後方の木をへし折ってドウッと地面に落ちる。
ビッグボアが動かないことを確認してから、ナイフを手にゆっくりと近づく元哉。念のため延髄にナイフを突き刺して反応がないことを確かめる。
「さすが兄ちゃん、一撃だったね」
満面の笑みで近づいてくるさくらに元哉は、さくらの一撃のおかげで魔物が弱っていたからだと褒めてから、イノシシは額の骨が厚く丈夫にできていること、狙うならば射線を斜めにずらして目を狙うことなどを丁寧にレクチャーしていた。
一方の橘は何も出番がなかったことに不満そうな表情だったが、元哉の次は頼むぞという言葉とともに頭をポンポンとされてすっかり上機嫌だった。
何気によい小隊長振りである。
「ところで兄ちゃん、これどうするの?」
横たわったビッグボアを指差してさくらが尋ねた。
「バハムートが獣系の魔物は食べられるといっていたから、こいつは食料にしようか」
「兄ちゃん、丸焼き? イノシシの丸焼き?」
さくらが涎を垂らさんばかりの勢い食いついてくる。食欲に掛けては全校一の並ぶ者すら居ない大食漢がさくらだ。
「こんなデカイの丸焼きにできないだろう。解体するから、二人は周辺を警戒してくれ。10分で終わらせる」
「了解したわ」
「なんだ丸焼きじゃないのか!」
橘は指示を素早く受け取ったが、さくらはまだ『丸焼き』に拘っていた。400キロ近くある巨体をどうやって丸焼きにしようというのだろうか? そんな豪快な料理があったら一度は見てみたい。
こうして元哉が解体に取り掛かった頃、周辺には血の匂いに誘われて集まって来る集団がいた。3人を包囲するように取り囲み徐々にその包囲網を縮めていく。
その正体は群れで狩をする狼の魔物、ゴールドバックに率いられたシルバ-バックが10頭、計11頭のワイルドウルフたちだった。この規模だとさすがにAランクのパーティーでも危ない。
先ほどのビッグボアよりも巧妙に気配と物音を消して接近してくるため、さくらのセンサーが魔物の存在を感知した時には、120メートルまで接近を許していた。
「兄ちゃん、敵の急襲! 距離100、数は約10。全方向から包囲しているよ!」
元哉は、解体の手を止めてすぐに戦闘体制に入ると同時に、2人に手早く大まかな指示を出す。
「群れで行動するところを見ると犬型の魔物だろう。相手は動きが素早いからさくらは連射を許可する。好きなだけ撃て! 橘、対物バリアーを自分にだけ張れ!」
「了解したわ!」
「兄ちゃん、バンバン撃っちゃうよ!」
景気良い声を上げながらさくらは擲弾筒をレベル2に合わせる。これは1分間に180発の魔力弾を発射するマシンガンモードで、その分魔力の消耗が激しい。だが、今はそんなことを言っている場合ではなかった。周囲を包囲する魔物を掃討するのが先決だ。
同様に、魔力を使い続ける対物バリアーも魔力を大量に消耗するためあまり使用したくないが、防御力の低い橘の安全のためには止むを得ない判断だった。
「兄ちゃん、イノシシの肉はぜったいやつらにはには渡さないから、安心して!」
「さくらちゃん、お肉のことは考えないで! この場で大切なのは私たちを敵に回した愚かさを魂に刻み付けてから、やつらを殺すことよ!」
「どっちも違う! とにかく安全にこちらの被害がないようにこの戦闘を終わらせることだけを考えろ!」
どこかピントがズレている2人に挟まれて、小隊長も気苦労が堪えない。
包囲網を縮めていたグレートウルフのリーダーは、獲物を完全に仕留めた気でいた。
自らの経験からいって、ここまで接近できたら獲物はもはや逃げる術を失っている。数は圧倒的にこちらが有利で、あとは襲い掛かるタイミングを計るだけだった。群れの他の者たちも久しぶりに生きの良さそうな獲物に舌なめずりをしている。
いよいよリーダーがゴーサインを出そうとした瞬間、キャンとひと鳴きして隣にいた仲間が地面に崩れた。さらにその隣もまたその隣も同じように崩れ落ちていく。理解できない状況に陥り、リーダーは動くに動けない。そうこうする内にいつの間にか仲間は全て地面に転がって血に塗れていた。
「来たぞ!」
元哉の声に橘がはっとする。その目が見据える先にはトラ程の大きさの狼がいた。通常ならその大きさに驚くところだが、彼女が注目したのはその毛並だった。
「あら、いい毛皮!」
そういえば寝るときは元哉が持っていた毛布を一枚敷いているだけだ。目をギラつかせて物欲の化身と化した橘は、スタンバイしていた電撃弾をキャンセルして新たな術式を組み始めた。
(高さは地上20センチ、私の視線に同調して敵を追尾するようにして、・・・・・・ これで良し!)
僅かな時間の間にこの世界でもポピュラーな風魔法『ウィンドカッター』に手を加える。威力よりも確実に狙った箇所を切るように術式の設定を変更していた。
「エアーブレイド!」
橘の声とともに飛び出していった真空の刃は地表ギリギリの探知しにくい高さを高速で進み、まったく気づいていなかった1頭のグレートウルフの前足と後ろ足をまとめて切り捨てた。
弧を描いて方向を変えて、今度は後ろからその隣にいた個体の4本の足を切り飛ばす。瞬く間に、血飛沫を上げて地面に倒れる狼たち。
5頭の足を切り飛ばしたところで、橘の視界には群れのリーダーしか映っていなかった。後ろからは『はなちゃん、こちらは5頭オールクリアー!』とさくらの声が届く。
残りは1頭、リーダーは群れが全滅したことですでに全力を傾けて逃げる体勢に入っている。しかし、闇雲に逃げ出すのではなくこちらを警戒しながら、慎重に後ずさりしているのだった。あと10メートル下がれば、周辺の藪が視界を塞いで身を隠しながら逃走を計れる。仲間が遣られた様子を見ていたのか、常に地表付近を警戒しながらジリジリと下がっていく。
だが、そんな魔物の必死の逃走を黙って見過ごすほど橘は甘くなかった。なにしろ最高級の毛皮が懸っているのだ。
下の方を警戒しているのを見て取った彼女は『それならば!』と無詠唱で魔物の頭上5メートルの空中にエアーブレイドを停止状態でスタンバイしていた。そして必死の逃走を図るグレートウルフが50センチ下がったところで死の罠が発動する。
『ザシッシュ! ゴトン! ドサッ!』
首を切断され血に塗れた狼の死体が横たわっていた。先程まで群れを率いていたリーダーの哀れな姿だ。
(これではエアーブレードと言うよりもエアーギロチンと命名しようかしら。実に魔王の技には相応しいわ!)
自らの戦果に満足した表情と同時に『この魔王に刃向かうとは千年早い!』と呟く橘だった。その右手は腰の辺りに回されて、左手は横向きに左目の辺りでVサインを作るという何とも廚2的な姿だ。
グレートウルフとの戦闘では何もしていない元哉は、四肢を切り落とされて呻いている狼たちに止めを刺して廻り、先程遣り残して放置していたイノシシの解体の続きの他に、毛皮の皮剥ぎまでやる羽目になった。
これらの作業は山奥の育ちで経験のある元哉をもってしてもかなり時間をとられたため、この日はもう少し進んだ開けた場所で野営することになる。
イノシシの肉を元哉が焚き火で炙って万能の実で作ったタレをつけて食べたが、魔物の肉とは思えない絶妙な歯ごたえと旨味のあるその味にさくらは口の周りを脂でベトベトにしながら夢中で齧り付いている。
「兄ちゃん、お代わり!」
骨に付いた肉をきれいに食べ終わったさくらは、火の番をしている元哉に次の肉をすかさず要求する。小柄な割に大食漢の彼女はすでに2キロ分の肉を腹に収めていた。一体何処にこの大量の食事が消えていくのかは相変わらず謎のままだ。
食事のあとはいつものように風呂に入り、橘が魔法で作ったカマクラの様な(むしろトーチカに近いかもしれない)施設でグッスリと睡眠の時間だ。昨日までの毛布1枚の生活とは打って変わって、グレートウルフの毛皮に包まれた良好な環境だった。橘の魔法で一瞬にして最高級の毛皮に変身したグレートウルフの心地よい感触に包まれて3人は一夜を明かすのだった。
【登場人物紹介】
元橋 橘 16歳、 154センチ 体重は秘密
元哉が下宿している元橋家の養女でさくらの義理の妹。外見は中欧や東欧に多く見られる民族的な特徴を持っている。髪はプラチナシルバーで、瞳はエメラルド色。
国防軍特殊能力訓練学校の2回生で、国防軍予備役准尉。
現時点で日本国内に5人しか確認されていない魔法使いのひとりで、その仲では最強の力を持っている。その要因はまだ受精卵の段階で、六百年を生きる魔女によって天界から召喚された天使をその身に宿したこととされている。天使名は『ミカエル』。
天使の力のおかげで魔法制御力が際立っており、その知識と相まってどんな術式も解析した上で、より強力に作り変えることが出来る。
戸籍上の姉のさくらと血は繋がっていないが、大の仲良し。ただし、色々と遣らかすさくらに日常的に頭を痛めている。
元哉の事を慕っているが、なかなか通じなくてもどかしい思いをしている。
さくらよりはましだが、胸が発育途上で本人は大きなコンプレックスを持っている。
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