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189 ディーナの涙

「元くん、お帰りなさい!」


 元哉たちを迎えに出た橘の声が弾んでいる。彼女は『ドラゴンが飛来した』という報告を受けて、魔王城にある3階の執務室の窓から重力魔法と風魔法を利用してメイドたちの止める声を振り切りながら、文字通り飛び出してきたのだった。


「今凄い所から飛んできた姿を見かけたが、そんなに慌てなくても俺は逃げ出したりしないぞ」


 元哉は橘の慌てよう、いや取り乱しようを見かねて諌めようとするがそれは彼女にとっては逆効果だった。彼女は元哉を離してなるものかという態度でその腕にしがみ付いて来る。


「えーと、お取り込み中すいませんが私たちも居るんですけどね」


 ジトーっとした眼でその光景を見つめるさくらたち、今更ながら橘はその眼に元哉以外が映っていなかった事に気が付いて顔を赤らめながら態度を改める。


「えーと、みんなもわざわざ来てくれてありがとう。大したおもてなしは出来ないけれどゆっくりしていってね」


 魔王城の主として必要なことだけ伝えると、橘は元哉の腕をとったまま城の中にスタスタと戻っていった。その後姿は幸福でいっぱいのピンクのオーラを天高く放っている。一体いつからそんなエフェクトを魔法で発するようになったのだろう。


「どうやら私たちはおまけのようですね」


 ロージーはしてやられたという眼でその後姿を追っている。彼女はつい先日両親を前にして正式な婚約を元哉と交わしたばかりだが、橘の勢いに押されて何も出来ない無力さを感じていた。確か5人の婚約者の間で結んだ協定では『見苦しく元哉を取り合うことはしない』という話だったが、その言い出しっぺの橘がこれでは先が思い遣られる。


「私たちはずっと元哉さんとご一緒だったのですから、今日くらいは橘さんに譲ってあげましょう」


 フィオは正式な婚約者として元哉が両親と祖父にに認められて一安心で、今はその状況に満足しているのためかロージーよりも寛大な態度だった。


「そんなことを言っていると割って入る余地がなくなるわよ。これから元哉さんを巡って新たな段階の抗争が開始されるはずよ」


 ロージーは戦意を滾らせているようだ。ハイヒューマンとして後には引けないという覚悟を見せている。


「二人ともそんな事はどうでもいいから早くご飯にしようよ!」


 さくらはまったくこの争いに関係なく、ひたすら食欲を満たすのに頭がいっぱいの模様だ。これは彼女にとってはいつもの事なので誰も気にしない。ようやく迎えの係がやって来て3人を部屋に案内する。だがさくらだけは途中で厨房に寄って、先日魔境で捕獲した2メートルを超える特大のイノシシをマジックバッグからドーンと出して『晩ごはんよろしく!』と声を掛けるのを忘れない。このためにわざわざ狩をしたのだから、食事には妥協を許さない姿勢だ。その獲物を見て厨房の関係者が大いに奮い立ったのはいうまでもない。



「元哉さん、元哉さんはどこですか?」


 ドラゴンの到着を聞きつけたディーナの声が橘の執務室に響く。だがそこには呆れた表情のメイドが3人佇んで居るだけで彼女が探す元哉の姿はなかった。この時点で先手必勝とばかりに橘は彼を自らの私室に連れ込んで、その入り口を厳重に封印していたのだった。


「せ、先手を奪われました・・・・・・」


 その部屋のドアに設置されたディーナすら理解不能な厳重な封印魔法の術式を見て、両手を床につけて脱力するディーナ。まさか橘がいきなりここまでするとは想定外だった。仕方なしにさくらたちが通されている部屋に向かうと、そこにはお茶を飲みながらおやつをモリモリ食べているさくらと歓談している残りの二人の姿があった。


「皆さんようこそ魔王城へ、さくらちゃん、そんなにお腹が空いていたんですか?」


 それはおやつというよりも普通の大人の食事に匹敵する量だ。さくらの目の前に置かれた皿から次々にパンケーキがその口に運ばれていく。どうやら食べることに気をとられてディーナの声が耳に入っていないようだ。


「さくらちゃん、そんなにパンケーキが食べたいのなら私が作りましょうか?」


 ディーナがその魔法の言葉を発した瞬間、さくらの手が止まった。徐々にその手が震えだして、恐る恐る顔を上げるとその眼には薄っすらと涙を浮かべている。 


「ディナちゃん、お願いだから何にもしないでここに居て! そうしてもらわないと私の心臓が止まるから」


 どうやらディーナ本人が口にしたその言葉はさくらにとって事の外絶大な効果があるようだった。涙目で訴えるさくらを気の毒に思ったロージーはさくらを安心させるためにディーナを自分の隣に座らせる。


 それを見て心の建て直しに成功したさくらは先程よりもゆっくりとしたペースでパンケーキを口にしながら、その合間に話を聞くようになっていた。


「まったく、ディナちゃんが脅かすから食欲がなくなっちゃったよ!」


 そう言いながらもパンケーキが1枚また1枚と消費されていく。まったくどの口が『食欲がない』などと言えるのだろうか。


 その後獣人の森や新ヘブル王国のその後について彼女たちの間で情報交換が始まる。さくらも一応話を聞く振りはしている。さもないとまたあの忌まわしい呪いの言葉が放たれる可能性があるので、健全な精神状態を保つために彼女なりに真剣なのだ。


 やがて夕食の時間が迫る頃に元哉と橘が一同の前にその姿を現す。当然ながら橘の顔はツヤツヤしており、それとは対照的に元哉の方は若干やつれ加減だ。この2時間の間に二人が何をしていたのかは今更言うまでもないだろう。


「これからの予定は食事をしながら話をしよう」


 元哉の言葉にちょうどパンケーキをすべて食べ終わったさくらがその空になった皿を放り出して立ち上がる。


「うほほー! 待ってました! 今日は私が仕留めたイノシシの料理だよ!」


 つい今し方迄食べっ放しだったにも拘らず、さくらはヨダレを垂らさんばかりの勢いだ。実は魔境の魔物の肉はさくらをウットリさせるほど大変に美味だった。彼女はそれが楽しみで仕方がないようだ、先頭を切って一目散にテーブルについている。


 料理に舌鼓を打ちながら今後の予定の話が始まる。


「帝都に訪問するのは来週でどうかしら?」


 元哉が打診したところ、帝国はいつでも受け入れ可能との返事だったので、この発言で1週間後に帝都に向けて旅立つことが決定された。


「さくらの所がまだ具体的に何も動いていないから一度戻っておきたいんだが」


 獣人の森での様々な施策の元となる資金調達が今回の帝国訪問の最大の目的だった。塩を売った代金で目標とした金額が調達出来たので、なるべく早い内に実施に移したいと元哉は考えている。それとは対照的に当事者のさくらはひたすら『美味しいね!』と大喜びで肉料理を味わっていた。元来難しい問題は元哉か橘に丸投げするさくらなので、話を一切聞いていないくらいでちょうど良い。


「そう、それなら私も一緒に行こうかしら。何か手伝えることがあるかもしれないから」


 橘はあっさりと同行を申し出る。すでに王国の行政は軌道に乗り始めており、ディーナの幼馴染のシャロンをはじめとしたスタッフがその仕事を分担してこなしているので、以前のように橘に全ての権限が集中する仕組みではなくなっているのがこの国の現状だった。大魔王が国を離れてもそれほど国の運営が滞る要素がなくなってきたのだ。


 それは一重に橘が自分が楽をするために権限を大幅に行政担当者に譲渡して、大魔王は王国の象徴的存在に少しずつ改めていった結果だ。そのおかげでディーナも一時の書類地獄から解放されて、本当に重要な書類のみに眼を通すだけになった。


 もちろん国政の最高権力を所持しているのは大魔王本人で橘の言葉は法律よりも重いとされているが、彼女自身が自ら公布した法律を遵守しているので、国内では少しずつ法治国家という考えが浸透しつつあった。


「それでは明後日に出発でいいか?」


 少し忙しないとは思いつつも元哉はなるべく出発を急がせたかった。ソフィアと椿が留守番をしているとはいえ、獣人の森に何かあるといけないという思いがある。獣人が慕う王様をドラゴンの操縦士代わりにしていつまでもその身柄を戻さないのは彼らにも申し訳ない。


「私はどうしましょうか?」


 ディーナが不安そうに元哉と橘に尋ねる。橘の代理を務めることが多い彼女は場合によっては国に残らなければならないのだ。


「ディーナも一緒だ。橘、問題はないな?」


 橘はひとつ頷いた。それを見たディーナの表情が笑顔で綻ぶ。若々しいその笑顔は周囲を照らすように華やいだ雰囲気を醸し出した。


「それからディーナに大事なことを伝えるのを後回しにして申し訳なかった。ここに居る皆にも聞いておいてほしい。ここに来る途中でディーナの父親が眠る場所を訪ねて婚約の報告をしてきた。晴れてディーナは俺の婚約者だ」


 ディーナの眼から見る見る涙が溢れてくる。彼女は最近忙しさに父のことを忘れがちな日々が続いていた。だが元哉はここに来る途中で父が眠るあの場所に立ち寄ってくれた。そしてその墓前で婚約の報告をしてくれた。それは元哉がどれだけ過ぎしあの日の出会いを大切に思っていてくれたかの証明に他ならない。


「元哉さん、私・・・・・・ 嬉しい」


 ディーナは溢れる感情でそれ以上はもう言葉にならない。ただ涙を流しながら席を立って彼の背中に縋り付いている。


「ディーナ、機会があったら改めて二人でお前の父に報告に行こう」


 元哉の優しい言葉にただ頷くことしか出来ないディーナだった。


 

次回の投稿は日曜日の予定です。

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