188 元哉の挨拶回り 後編
宿屋で夕食を取る客たちが引けて後片付けを開始するロージー、皿を洗ったりテーブルを拭いて回ったりしながら久しぶりの実家の雰囲気を楽しんでいる。ボルスとアンナは厨房の片付けに回ってフロアーには居なかった。
もう少しで片付けが終わる頃に元哉が2階から降りてくる。さくらはお腹いっぱい食べたあとシャワーを浴びてまだ髪が十分に乾かないうちに寝入ってしまった。フィオはまだ部屋で起きているが、遠慮して降りて来なかった。
「ロージー、お疲れさんだったな。久しぶりの実家の居心地はどうだ?」
昼過ぎに到着してからロージーは久しぶりの宿屋の仕事で働き通しだった。もちろん手伝いに来てくれている叔母や従妹と協力しながら、元看板娘としてホールに出ていたのだ。久しぶりにロージーを見掛けた馴染みの客は皆『久しぶりだね』『冒険者として遣っているらしいね』などと声をかけてくれた。しばらくぶりでも自分のことを忘れずにいたお客に丁寧に応対しながら笑顔を振りまくロージー、やはりどんな経験をしても彼女は根っからの宿屋の娘だった。
「元哉さん、ありがとうございます。久しぶりに張り切っちゃったから少し疲れました」
にっこりといい笑顔を見せて元哉に返事をするロージー、ハイヒューマンだから肉体的に疲れたのではなくて精神的にちょっと久しぶりが響いた程度だ。ちょうどそこにアンナが遅い夕食のお盆を手にしてやって来る。
「ロージー、まだあるから手伝って」
厨房に入って親子3人分の食事と元哉のために軽くつまむ物を両手に運んでくる。
「元哉さんも一緒にどうぞ」
「わざわざ気を遣ってもらって悪いな」
夕食のボリュームが凄かったのでまだお腹がいっぱいの元哉だが、せっかく用意してくれたので少しだけ手をつける。
「おう、なんだ兄さんも降りてきたのか! これから食事だが付き合ってくれよな」
厨房から出てきたボルスは威勢のいい声で元哉を晩餐に誘った。もちろん元哉としては最初からその気なので快く了承した。
ボルスがこの数ヶ月どのような冒険をしていたのか聞きたがる。あまり本当のことを話すと彼が白目を剥いて倒れるので、差し障りの無い部分だけを慎重に選んで話をしていく。ロージーがさくらとの修行の日々の辛さを口にしたり、ワイバーンに乗って空を飛んだりしていると教えると、ボルスはそれでも驚いている。
「お前、ちょっとの間にそこまでの事中々出来ないぞ! 俺が想像する以上に凄いパーティーなんだな!」
それはそうだ、大魔王と獣人の森の王が居て僅かの期間に数々の戦いを経て、ロージーに至っては今やハイヒューマンだ。ボルスの想像など追いつくはずがない。隣のアンナはまるで物語を聞くような表情をして自分の娘がそこまで強くなった事に対する認識など全く持っていない。彼女にとってロージーは昔と何も変わらない一人娘だった。
和やかな会話が弾む食事が終わってロージーがお茶の用意を始める頃、元哉が今回の訪問の最大の目的を切り出した。
「近いうちにロージーを俺の妻として迎えたい。時期がいつになるかはまだわからないが。当面は婚約を認めてほしい」
元哉は先日のフィオの家族に申し出た件に続いてこれで2度目なので多少の度胸がついたのか、いつものような冷静な表情のままだ。
「まあまあ、ついにうちの子にもこういうおめでたい話がやって来たのね!」
アンナは手放しで喜んでいる。周囲の年頃の娘たちが次々に結婚する中で、中々その話がなかった我が子についに来た春に大喜びしている。
対してボルスは無言で厨房に入っていった。残された3人が『何をするつもりだろう? まさか包丁でも持ち出して暴れるつもりでは?』などとその行方を見守っていると、彼は1本の酒ビンを片手にテーブルに現れた。
「アンナ、グラスを用意してくれ。これはロージーが嫁に行く時に空けようと思ってとって置いた酒だ。ずいぶん長い事待たされたが、いよいよこいつを空ける時がやってきたんだ。今夜は思う存分付き合ってもらうぜ!」
グラスに酒を注ぐ彼の目は喜びに満ちている。ボルスとしてはロージーを元哉に預けた時から半分嫁に出したような気持ちでいた。それがようやくこの日実を結んだのだから、とっておきの酒を空けたくなる気持ちも良く分かる。その傍らで父親の喜ぶ様子を受けてロージーは顔を赤らめて『もう、お父さんったら!』などと言いながら照れている。その様子は元哉の目にも微笑ましくも可愛く映っていた。
「ロージーの嫁入りを祝って乾杯!」
気が早いボルスの言葉に合わせて4つのグラスが音を立てる。両親に祝福されたロージーはぱっと花が咲いたような綻んだ表情だ。
「うん、そういえば兄さんはあの綺麗な嬢ちゃんとも婚約していなかったか?」
少し酒が回った頭でボルスは記憶を辿って思い出したように発言する。
「お父さん、元哉さんみたいな素敵な男性が一人の妻で収まる訳がないでしょう。私を含めて5人の婚約者が居るんですよ」
ロージーの言葉に普通の父親ならば驚くところだが、酔いが回っているせいもあり気が大きくなったボルスはそんな事はどうでもいい状態だ。
「そんな細かいこと構うもんか! 4人でも5人でもまとめて面倒見てもらえ! 俺ももっと甲斐性があったらアンナだけじゃなくてもっと大勢の妻を迎えたかったが一人で我慢しているんだ! まったく羨ましいたらないぜ!」
「アンタ! 我慢とは何よ!」
この発言の後でボルスは当然ながらアンナに思いっきり耳を掴まれて引っ張られたのはいうまでも無い。
夜も更けて明日の事もあるので、元哉とロージーは部屋に戻り座はお開きとなった。テーブルに一人残って物思いに耽るボルスの瞳には一粒の涙が光っていた。その涙は一人娘がようやく嫁ぐ嬉しさか、それとも父親が感じる寂しさか、はたまたアンナに耳を引っ張られた痛みのせいなのか、誰も知る由がなかった。
翌朝、短い滞在だったが再開を約束して一向は『竈の煙亭』を旅立っていく。一旦森に入って待たせてあるドラゴンの背中に乗って空に飛び立つ。
「さくら、すまないがあそこに立ち寄りたい」
「兄ちゃん、了解だよ」
2体のドラゴンは元哉が指定した場所の近くに降り立って、背中から4人が地上に降りる。
「元哉さん、ここは魔境の真ん中ですよね。こんな危ない所に用事があるんですか?」
魔境の恐ろしさを知っているロージーが尋ねるが、元哉はまったく気にしていない。さくらなど『手近な所で魔物狩りが出来るよ!』と大喜びしている。
「すまない、ここで待っていてくれ。すぐに戻る」
元哉そう言い残して森の中に分け入って姿を消した。
木々の間から元哉の視界に古い神殿の跡が飛び込んでくる。そこは元哉たち3人がこの世界にやって来て初めてそこに住む者と話をしてディーナという新たな仲間を得た所だ。言ってみればこの世界における本当の出発点に当たる場所に相違ない。
「ずいぶんと木が生い茂ったな」
ほんの数ヶ月前にここに来た時よりも神殿は木々に覆われて更に朽ち果てた印象を与える。元哉はアイテムボックスから魔剣のレプリカを取り出して入り口付近の邪魔になる木の伐採を開始した。本来このような用途に使用するのはこの剣を打ったドワーフに申し訳ない気がするが、背に腹は代えられないので止むを得ない。軽く振るっただけで大木が冗談みたいに切り倒されていく。切り倒した木はそのままにして置くと邪魔になるのでアイテムボックスに放り込んでいく。
こうして10分ほど森の木々と格闘するとようやく入り口までの道が開けた。元哉はズカズカとその神殿の内部に足を踏み込んでいく。そのまま礼拝堂を過ぎて地下に降りると、以前ディーナが監禁されていた部屋にやって来た。そこには元哉が今は亡きディーナの父マインセールのために立てた墓標が静かに佇んでいる。
「久しぶりだな、寂しくなかったか?」
元哉はまるでそこに亡き人物が居るかように声を掛けた。当然応えはないが元哉は更に言葉を続ける。
「縁があってお前の娘のディーナを妻に迎える事になった。今日はその報告だ。あの日からずいぶん経つような気がするな、お前の娘も見違えるくらいに逞しくなった。今度は一緒に連れてくる」
そう言ってアイテムボックスから取り出した酒ビンの栓を抜いて無言で墓標に掛けていく。昨夜ボルスと酒を酌み交わしたあの出来事をマインセールとも同じように遣りたかったのだ。助け出してから息を引き取るまでのほんの一瞬の出会いだったが、元哉の中に彼の姿は娘を思う父親として大きな印象を残していた。
こうして今は亡き故人を偲んで元哉のささやかな挨拶は終わりを告げた。
「待たせてすまなかった。時間をとってしまったが出発しよう」
「兄ちゃん、もう少しゆっくりしていても良かったのに! ここは魔物が入れ食いだよ!」
さくらの足元には倒した獲物が山と積んである。その辺りを一回りした成果をロージーとフィオに披露していたらしい。二人はその量にドン引きしている。
都合によりソフィアの所への挨拶はまだだが、一通り婚約の挨拶回りを終えた元哉は橘が待つ魔王城に向けて出発するのだった。
次回の投稿は金曜日の予定です。