187 元哉の挨拶回り 中篇
「ただいまー!」
ロージーの声がテルモナの街のごく平凡な宿屋『竈の煙亭』に響く。
昼時の客がようやく途絶えた時間でちょうどテーブルを拭いていた女将のアンナはその聞き慣れた声に『まさか!』と思い顔を上げると、そこには数ヶ月前冒険者になって旅立っていった我が娘の姿があった。
「ロージー! まあ本当に戻ってきたのね。あれから手紙のひとつも寄越さないし、どうしているのか心配していたのよ。アンタ! ロージーが帰ってきたわよ!」
その声に厨房で片付けをしていたボルスがホールに顔を覘かせる。その表情は久しぶりに帰ってきた一人娘が無事だった様子に安堵している。
「何だ、ロ-ジー、急に戻ってきて冒険者を辞めたのか?」
だが男親の照れくささだろうか、素直に喜ばずにちょっと憎まれ口を叩く。全くいい年をして娘にくらい素直になればいいものだが、それがボルスの性分なのだろう。
「そんなわけないでしょう! 今日は二人に会いに元哉さんたちと一緒に来たのよ」
ロージーは危うく『ドラゴンに乗って飛んできた』と言いそうになったが、そんなことを言い出したら両親が腰を抜かすだろうと思ってなんとか踏みとどまった。
「おっちゃん、久しぶり!」
そこにさくらを先頭に元哉とフィオが入り口から入ってくる。それにしてもさくらは年上の人物に対してもう少しまともな口の利き方が出来ない・・・・・・ いや、もはやこれ以上言うまい。
「ボルス、元気そうだな。この街に居た時は世話になった」
さくらの後に続いて現れた元哉とその陰に隠れるようにしてフィオが立っている。
「おう、嬢ちゃんも兄さんも元気そうだな。おや、後ろのお嬢さんはなんだか初めて見る顔だな。あの別品さんと可愛らしい女の子はどうしたんだい?」
元哉たちはボルスが一人娘を託したパーティーだ。当然彼の頭にはその一人一人が強い印象で残っていた。
「ああ、橘とディーナは訳あって今は別の所に居て、この後合流する予定だ。ここに居るのはフィオ、新しいメンバーだ」
「フィオです、よろしくお願いします」
元哉としても『二人は今魔王城に居ます』とは言えなかった。その辺の事情を誤魔化す代わりにフィオを紹介する。フィオは初めて会うロージーの両親に対して失礼がないように丁寧な挨拶をした。
「またまた綺麗なお嬢さんだな、なんていうか気品がある。もしかしてどこかの偉い貴族の娘さんか?」
ボルスの勘は全くのビンゴだったが、正直に『はい、軍務大臣の孫です』などと言おうものなら根っからの小市民な彼は腰を抜かすので、その辺りは事前の打ち合わせ通りに口裏を合わせる。
「とんでもありません、貴族とは名ばかりの小さな家の出身です。あまり裕福ではないので冒険者になりました」
帝国政府の重鎮の孫で魔法学校の元生徒会長の彼女だが、こう言っておけばそれほど周囲から貴族扱いされないと学んでいた。
「ほう、そうなのかい。それにしてもうちの娘が居るから言う訳ではないけどよ、お嬢さんいいパーティーに入ったね。元冒険者の俺が保証するよ!」
以前ディーナに買い与えたミスリルの剣を『金貨2枚半』と値踏みしたボルスの目が果たしてどこまで正しいのか疑問の余地は残るが、この世界最強のパーティーであるのは動かしがたい事実だ。
「あっそうだ! お父さん、お土産があるから倉庫まできてよ!」
このままではボルスの話がどこまで進んでいくかわからないので、ロージーは彼を連れ出す。その間にアンナは元哉たちを空いている部屋に案内した。この辺りはしっかり者の女将だ。
「お父さん、今から出す物にびっくりしないでね」
一応ロージーは事前に注意はしておく。だが小市民の父親はおそらく腰を抜かすだろと予想している。そして彼女の予想通り目の前に現れた200キロを優に超える塩の塊を見てボルスは叫んだ。
「何じゃこりゃーー!!」
その見たこともない大きさの白い塊に呆然とするボルス、これだけあれば金貨にして2000枚近い価値がある。向こう1年以上宿屋の料理に使って余りある量だ。
「凄いでしょう! 私がさくらちゃんと一緒に採ってきたのよ。これならお父さんに喜んでもらえると思って」
ロージーの言葉にようやく驚愕から立ち直ったボルスはどうやら娘が冒険者として頑張っているのが理解出来たようだ。父親として誇らしい表情を浮かべながらロージーに向き直る。
「これだけの塩を取って来れるなんてお前も立派になったんだな」
その通りです、帝都の対抗戦に出場して準優勝したり、ハイヒューマンになってワイバーンを操ったり、ボルスの想像を大きく超えてロージーは成長していた。
「お父さん、ありがとう。私も結構頑張った来たけど、こうして褒められるとやっと一人前になったんだっていう気がしてきた。それから久しぶりにお父さんが作った料理が食べたいから、今夜はこれを使って美味しい晩ご飯を作ってね」
娘の言葉にジワリと涙を浮かべるボルスだが、そこは彼も料理人としての意地とプライドがある。ロージーが運んできた塩を指先でほんの一つまみ掬って口に入れる。
「うん、いい塩だ! 旨い物を作ってやるから待っていろよ」
ドンと胸を叩いて威勢のいい声を出す父親とそれをにっこりして見つめる娘、本当に良い親子の姿がそこにあった。
元哉たちは久しぶりの親子の会話を邪魔しないように部屋にそのまま引っ込んだが、ロージーは昔と同じように宿屋の手伝いを始めている。
「ロージー、旅の疲れもあるだろうから無理をしなくていいのに」
「大丈夫よ、お母さん。こうして仕事をしている方が落ち着くしね」
帝都からテルモナの街まではドラゴンの背中に乗って約6時間だった。街に直接ドラゴンで乗り付けるわけには行かないので少し離れた森の陰に着陸して1時間歩いたがその程度では当然大した疲れはない。そもそもロージーはハイヒューマンになった当初はその体を持て余していたが、今ではさくらと組み手をしても疲労すら全く感じない強靭な肉体を持っていた。
夕食の仕込が始まる頃、さくらが一人で1階に降りてくる。
「おっちゃん、忘れていたよ! これを料理に使って!」
さくらが握り締めているのはドワーフの街の郊外で手に入れた岩トカゲだった。それもかなり大振りなやつを2体両手に持っている。
「おお、凄い大物だな! よし、任せろ! 旨いのを作ってやるぜ!」
ボルスはすかさずさくらからその岩トカゲを受け取って器用に捌き始める。亜空間に繋がったマジックバッグに収納されていたので鮮度も抜群だ。料理人としていい素材といい調味料が手に入ったからには、俄然やる気が沸いてくる。一人で肉を捌いてたくさんの鍋やフライパンを火に掛けながら動き回るボルスの姿をそっと覗き込んだロージーは誰にも聞こえないような声で呟いた。
「あんなに張り切っているお父さんを見るのは久しぶり」
その言葉を残してそのままホールに出ていそいそと夕食のためのテーブルのセッティングを開始するのだった。
「うほほー! 美味しそうだね! 私が3人前で満足するのはこの店だけだよ!」
圧倒的なボリュームと何よりも美味しそうな香りがテーブルに並べられた料理から漂っている。さくらが提供した岩トカゲだけではなくて、今日はボルスが仕入れていたホーンシープの厚切りソテーも食卓の華を飾っている。
「相変わらずお父さんは作り過ぎるんだから」
ロージーは呆れたような声を出すがさくらは大喜びだ。岩トカゲとホーンシープを交互に口に運んで、今は全く周囲が見えなくなっている。当然ロージーやフィオが食べ切れなくて残した料理は綺麗に彼女が片付けた。
「ロジちゃん、今日は特別に4杯目いってみようか!」
すでにさくらの前には食べ終えたお皿が重なっている。ロージーが片付けてもすぐに次の皿が空くので、もう一々片付けるのは面倒になったらしい。食材の提供者なのでもちろん本日は食べ放題だ。それをいいことにさくらは続々とお代わりを繰り出している。
「部屋に戻るか」
見ているほうが胃もたれしそうなので、元哉たちはさくらを放置して部屋に戻っていく。心往くまでボルスの料理を堪能したさくらが腰を上げる頃には、2時間以上が経過していた。
次回の投稿は水曜日の予定です。