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186 元哉の挨拶回り 前編

仕事の都合で遅くなりました。すみませんです。

「ロジちゃん、行くよ!」


 さくらはロージーの腕を引っ張って今にも出掛けようとするが、まだ朝食を終えたばかりでロージーといえども外に出るのには色々と準備が必要だ。


「さくらちゃん、待ってください! まだ身支度もしていないんですから。それに食べ歩きはダメですよ、この前延々引張り回されて酷い目にあったんですからね!」


 ロージーはさくらの本日の行動に釘を刺しておく。こうしておかないといつものように彼女に食べ物の店を連れ回されるためだ。


「ロジちゃん、わかっているって! 少しは普通の観光もちゃんとするよ!」


 さくらの『わかっている』ほど信用ならないものはない。それに『少しはちゃんとする』という言い草そのものが丸っきり胡散臭い。これまでも彼女の言葉を信じて数々の痛い目にあっているロージーだ。今回こそはより慎重を喫して念を押す。


「本当に観光で回るんですよ! また食べ歩きで連れ回したらさくらちゃんは無駄遣いばかりしているって橘さんに言い付けますからね!」


 ロージーもさくらとはかなり長い付き合いだ。彼女の弱点がよくわかっている。さくらは橘のお説教を何よりも苦手としているのだった。もし橘に逆らえば、お小遣いは減らされるは、おやつは無くなるはと恐ろしい目にあうためだ。さくらはロージーの言葉に大きな危険を感じ取っていた。彼女には珍しくその表情に動揺を見せる様子は、あたかも犬が尻尾を丸めてるような反応に近い。


「ロ、ロジちゃん、そんな恐ろしい事を言ってはいけません! ここはひとつ冷静に話し合いましょう」


 このままでは非常に都合が悪いので何とかその場の収拾を図りたいさくらだが、ロージーが更に畳み掛ける。


「あとディーナちゃんに手作りのお菓子を作ってもらってマジックバッグに常備しておくというのはどうでしょう?」


 危険極まりないロージーの発言を聞いてさすがのさくらも涙目になる。あれだけはダメだ! おやつ業界の殺人兵器、いや戦略級兵器『名状しがたいディーナの手作りのパンケーキらしきもの』はさくらの食欲中枢を直撃した。すでにその目は自ら敗北を認めて虚ろになっている。


「ロジちゃん、なんだか急に食欲がなくなったよ! どこかきれいな景色でもあれば見に行こうか」


 朝食を食べ終わったばかりだというのに食欲がある方がおかしいと心の中で突っ込んだロージーだが、さくらが珍しく弱気になっている今がチャンスとばかりに自分が行きたい所を提案する。


「まずは帝都にある聖教会ですよね。あそこで結婚式を挙げるのがこの国の女の子の憧れなんです。ぜひともこの目で見ておかなくちゃ!」


 年頃の女の子らしく結婚願望丸出しのロージーだが、それを聞いたさくらの目は虚ろを通り越してもはや死に掛けている。食べ物と戦闘に関係ない場所とはさくらにとっては丸っきり出掛ける価値を見出せない場所なのだ。


「わ、わかったよ。まずはそこに行こう! あとはロジちゃんの希望はあるの?」


 だが追い詰められたさくらに残された道はロージーの提案を丸呑みするしかなかった。今日はその合間に買い食いを楽しむしかなさそうだ。さくらは頭の中に順路を描いて、立ち寄れそうな店をピックアップしていく。地図がからっきし読めないくせに、食べ物屋の位置だけは正確に頭に入っている。本当にこのお粗末な頭の構造はどうにかならないものだろうか。ただどちらにしても前回はさくらがロージーを引っ張りまわしたのだから、今回はその反対になってもこれでちょうどお相子だ。


「兄ちゃん、行ってくるよ!」


「元哉さん、フィオちゃん、いってきます。お二人とも今日は頑張ってくださいね」


 残った二人に挨拶をして帝都の観光を大いに楽しもうとロージーに引っ張られるように諦め切ったさくらが出て行った。


「元哉さん、では私も支度をしてまいります」


 フィオが朝食の席を立つ。それを見送る元哉はやや引き攣った表情のままで無言で頷くのだった。





「それでは行ってくる」


 宿舎の使用人に見送られて馬車の乗り込む元哉とフィオ、昨日軍務大臣に家に顔を出すようにといわれたフィオと一緒に彼女の実家に向かうのだ。


 フィオは一番お気に入りの暖色系のグラデーションも鮮やかなドレスに身を包み、プラチナの髪をアップにしている。普段から上品だがこうして清ましているとどこから見ても紛うこと無き貴族の令嬢だ。それも帝国政府の重鎮の孫娘だから、その家柄は大変なものだった。





 馬車は貴族が多く住んでいる区画の城に近い所でやや東に向かって5分ほど進むと石造りの3階建ての大豪邸が見えてくる。元哉も一人で一度来たことがあるが、その時はこうしてこの家のご令嬢と一緒にその門を潜るとは思ってもみなかった。


 政府の重鎮の私邸だけに訪問客が多く、門の警備は厳重に行われている。見慣れない馬車に一体何処の誰だろうと門番がいぶかしむ様子を見せるるが、馬車の窓を開けてフィオが顔を覘かせると彼の表情が急ににこやかになる。


「お嬢様、お帰りなさいませ」


 一礼する門番に軽く手を振って馬車はそのまま玄関前に横付けされる。係の者が馬車のドアに手を掛けて開くとまず元哉が先に降りてその後からドレスの裾を気にしながら元哉の手をとったフィオが登場すると、急にその場が華やいだ雰囲気に包まれる。


「お嬢様、お帰りなさいませ」


 使用人たちが勢揃いして出迎えて、久しぶりの令嬢の帰還を皆が喜んでいる。フィオは魔法学校でも人望が厚かったが、こうして実家でも使用人一同から慕われている様子が伝わってくる。彼女は出迎えてくれた彼らにその名を呼んで一言ずつ言葉を掛けている。このような所作が自然に出来るのは貴族としての教育が為されているせいか、はたまたフィオの元からの性格なのかは元哉には不明だ。


「お嬢様、お帰りなさいませ。皆様がお待ちです、こちらへどうぞ」

 

 実直そうな執事の案内で二人は応接室に通される。そこには彼女の両親と祖父の軍務大臣がまだかまだかとその到着を待ち侘びていた。


「お父様、お母様、お爺様、ただいま戻りました」


 帰宅の挨拶をするフィオに両親は表情を緩めるが、それ以上に爺バカ丸出しの軍務大臣はデレーっとしただらしない顔をしている。騎士たちを前にしてこの顔を見せたら長年築き上げてきたその信頼が一気に揺らぐ事になりそうだ。昨日は城内ということでまだあれでも自重していたらしい。


「それからご一緒に旅をさせていただいております元哉さんです。お爺様はよくご存知でしょうから、詳しいお話はしなくて大丈夫ですね」


「ご両親にははじめまして、大臣殿にはいつもお世話になっております元哉です」


 いつも無理難題を吹っかけておきながら『お世話になっている』とはよく言ったものだが、これは日本人独特の言い回しなので仕方がない。


「以前から父やフィオレーヌに聞いて元哉殿には非常に興味があったんだよ。こうして救国の英雄に会えたのは全て娘のおかげだ」


 フィオの父親が席を立って元哉に握手を求める。彼は軍務大臣と違って帝国の財務畑の官僚をしているそうだ。その手を握り返して元哉が照れくさそうに返す。


「救国の英雄は止めてほしい。本当の英雄は勇敢に戦った兵士たちだ」


 元哉の言葉にフィオの父親は『なるほど』と感銘を受けたようだ。あれだけの功績を残しながらそれを全く鼻にかけない元哉の人柄を一目で気に入った。その横にいる母親もどうやら同じらしい。真の英雄とはなんと素晴らしい人格の持ち主かとしきりに褒めている。


 フィオの両親から過剰な褒め殺しに会っているようで多少背中がムズムズする元哉だが、幼い頃のフィオの話などを聞いてだいぶ場が和んできたのを感じている。その時彼の膝の辺りをフィオが軽く突く、そろそろ切り出せという合図だ。


「実は、今日こうして二人でやって来たのは皆さんにお願いしたい事があってのことだ」


 さすがの元哉も緊張の色を隠せない。それはこれから口にしなければならない重要な案件のためだ。たとえ10万人の敵を前にしても緊張とは無縁の男が手の平にじっとりと汗をかいている。


「今すぐではないが、フィオレーヌ嬢を嫁にしたい。当面は婚約を許してもらいたい」


 日ごろの厚顔不遜は全く見る影もなく心臓がバクバクしている元哉、隣のフィオは元哉が男らしく決めた事に喜びを隠せない。両手をその頬に当ててデレデレしている。今まで男性と付き合ったことすらなかった彼女が、お付き合いを飛び越えて一気に婚約なのだからその喜びはひとしおのものがあるのだろう。


「ワ、ワシは絶対に認めんぞーーー!」


 まさかの元哉の申し出に爺バカ丸出しの軍務大臣は声を大にして叫ぶが、フィオの両親はまったく別の反応だった。


「この子は今まで浮いた話のひとつもなくて、持ち込まれる縁談は全部断ってしまうし、私たちは本当に心配していたんです。でもこうして心に決めた人が現れてくれたなら、喜んで二人の幸せを祈りましょう。実は昨日私たち夫婦はそんな予感がしていて、もし娘が結婚という話になったら大喜びで認めようと話し合っていたのです」


 フィオの母親が夫妻の本心を明かした。二人は家柄とかではなくて、本物の英雄を自らの伴侶に選んだ娘をむしろ褒めてやりたい気分だった。


「父上、あなたが何を言っても無駄ですよ。もしその気があるのなら腕力に訴えてみてください、一方的な勝敗は目に見えていますが」


 爺バカを宥めるフィオの父親の声にまだ諦めがつかない軍務大臣だが、元哉を相手に決闘を申し込める度胸はさすがに無かった。ガックリと肩を落として『ワシのフィオレーヌが・・・・・・』とブツブツ呟くしか出来ない。


「お父様、お母様、お爺様、今私とっても幸せです。これでやっと私も元哉さんのお嫁さんに仲間入り出来ます!」


 艶やかなそのドレスが霞む程の満面の笑みを浮かべるフィオ、だが彼女の言葉に引っ掛かりを覚えた父親がその意味するところを尋ねる。


「フィオレーヌ、今確か『仲間入り』と言ったように聞こえたが、それは一体どんな意味だ?」


 どうにも嫌な予感しかしない父親だが、ここははっきりとしておかなければ娘の将来が懸っている。


「意味の何もそのままですわ。元哉さんには5人の婚約者が居て、私はその内の一人ということです」


 身も蓋も無いフィオの言葉に元哉は頭を抱える。嬉しさのあまり舞い上がっていたフィオはオブラートに包まずに何もかもぶっちゃけてしまったのだ。さすがにこれには驚きを隠せないフィオの両親だが、軍務大臣は息を吹き返そうとしている。


「わはははは、おぬしもついに尻尾を出したな! 大事な孫娘を5人目の妻として迎えるなど断じて認められん!!」


 祖父の強硬な反対におろおろするフィオ、次第にその目に涙が浮かんで皆の前で大泣きし始める。小さな頃から物分りがよくて、親の前でも決して涙など見せた事がない我が娘の突然の号泣に母親が驚いて宥め役に回った。


「フィオレーヌ、あなたは小さな頃から本当に賢くて何でもよく出来る子だったわ。そのあなたが選んだ道なら私は母親として喜んで応援してあげる。お父様も同じ気持ちよ、だからそんなに泣いたりしないで、今日はとっても喜ばしい日なんだから」


 母親はキッとした表情で祖父と父親を睨み付ける。その一睨みで男二人は何も言えなくなった。どこの世界でも女性が家庭の実権を握っているのだ。


「お母様、ありがとうございます」


 まるで子供のように母親の胸に飛び込むフィオ、転生して前世の地球の記憶を持つ彼女はこの時この世界でこの両親の子供として生まれてきて良かったと心から感じていた。


  

次回の投稿は日曜日の予定です。

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