175 夜襲決行
さくらたちは焼け焦げた森の上空を旋回しながら、再び火が燃え広がらないか警戒をしている。
「そうだ! リバイアさん、水龍なんでしょう! この辺りに雨を降らせてよ!」
さくらが言う通り水色の鱗を持つリバイアさんは雨を司る水龍に他ならない。ちなみにヘルムートは氷龍だ。
『お安い御用だ! ヘルムートと協力してこの辺りを水浸しにしてやろう』
2体のドラゴンは天高く上昇するとそこで魔力を解放した。すると見る見る間に真っ黒な雲が集まって霙混じりの滝のような豪雨が一帯に降り注ぐ。
「おおー! これならもう火の心配はないね」
さくらも天候を自在に操るドラゴンの力に目を見張っている。まだ若い龍といえどもこのくらいは簡単に遣って退けるのだ。
「さくらちゃん、何か悪いものでも食べたんですか? いつものさくらちゃんにしては信じられないようなグッドアイデアですよ! もしかして橘様がさくらちゃんに化けているんですか?」
さくらの後ろに乗っているディーナはドラゴンの力を使って雨を降らせることを思いついたさくらに天地が引っ繰り返るほど仰天している。
「ディナちゃん、失礼なことを言うんじゃないよ! こう見えても私は天才さくらちゃんなんだからね! そんなことを言うならここで降りて歩いて帰ってもらうよ!」
さくらはディーナの発言に憤慨しているがそれは彼女のいつものアホな所業のせいであって、決してディーナが間違った発言をしているわけではない。そもそもさくらからこのような発想が飛び出てきたこと自体が、一つの願いを適える対価として魔法少女になるレベルに匹敵する奇跡なのだ。
「別にここで降ろされたって構いませんよ! その代わり今度さくらちゃんのオヤツに私の手作りの一品をコッソリと混ぜておきますからね!」
「ディナちゃん、ずっとこのまま乗っていてね! いや、どうか乗っていてください!」
どうやら今回の勝敗はディーナに上がったようだ。さくらの脳裏にあのディーナの手料理を一口食べた時の悪夢が甦って、上空でリバースし掛けた程の破壊力のある一撃だった。見かけはごく普通のパンケーキのようだったが、一口食べたさくらが一瞬三途の川を垣間見たほどの衝撃だった。青汁とピ-マンを濃縮して5年くらい発酵させた上にタバスコと砂鉄を混ぜたようなあの味はさくらにとって一生のトラウマだ。
2体のドラゴンの力で地面に川が出来て流れ出すほどの勢いで降った雨もすっかり止んで、燻って煙を上げていた箇所の鎮火を確認した一行はパークレデンスに戻っていった。
「兄ちゃん、火は消し止めて戦車は全部破壊してきたよ!」
広場に降り立ってドラゴンを送り返したさくらは司令部に戻り元哉に第一報を報告する。遅れて戻って来た橘たちからも詳しい話を聞いて何とか事なきを得て胸を撫で下ろす元哉。
「ご苦労だった。俺の考えが足りなかったばかりに余計な手間をかけさせた。改めて礼を言う」
彼は自らの非を認めて素直に頭を下げた。
「いやだなあ、兄ちゃんのせいじゃないよ! それに私たちが早く駆けつけたからそれほど被害も出なかったしね」
さくらは彼を慰めるように声をかけるが、元哉の方はこの事態をかなり深刻に受け止めている。
「いや、そうも言っていられない。これで夜襲の計画を見直さなければならなくなった」
元哉はテーブルに広げた地図を元にして全員に説明を始める。それによると、森の入り口付近に潜んで夜を待ち敵陣に襲い掛かるはずだったのが、肝心の身を隠す森の最も教国軍に近い所が焼けて見通しがよくなってしまった。そのため付近で待機していた猟犬部隊と闇猫部隊が敵陣まで接近するのに時間が掛かり過ぎて、敵に発見されるリスクが大きくなってしまった。
「でも元くん、そうまでして夜襲に拘らなくてもいいんじゃないの?」
橘は今回の作戦計画の文書しか見ていないので、そこに記されていない一つ一つの作戦の意図までは理解していなかった。ちなみにさくらは一度説明されてはいるが、一晩寝た後にはもうすっかり忘れていた。彼女と一緒に聞いたロージーでさえ、その複雑に絡み合った細かな内容の全てを理解しているとは言い難い。
「そうか、まだ口頭では説明していなかったな。夜襲を掛けるのは教国軍を森に引き込むための心理的な意味合いが強い。あの場で動かずに我々が出てくるのを待たれるのが今回最も敵にとって有利な戦術だ。対して少しずつ心理的な圧迫を加えて、森に侵攻せざるを得ないように仕向ければ圧倒的にこちらが有利だ。まして味方が森に入っているのにそこに火を放つ馬鹿はさすがに敵にも居ないだろう」
元哉としては長期戦でも短期決戦でもいいように二通りのプランを準備しているが、住民たちの生活を様々な分野で制限しているので早く戦いが終わるに越したことはないと思っている。おそらく兵糧に不安がある教国軍は黙っていても森に攻め込んでくるはずだと睨んではいるが、その時期は早ければ早いほど森の平和を早く取り戻せるのだ。
したがって夜襲で嫌がらせをして、頭に血が上った教国軍には森への侵入を早目に決断してもらって、その上で完膚なきまでに叩き伏せて二度と森に攻めて来れないような歴史的大敗を味わっていただく手筈だった。
「なるほど・・・・・・ そうね、それなら私がまた一人で行ってもいいわよ」
橘が言うように彼女が一たび出陣すれば、夜襲などと細かいことを言わずに一万人の敵を全滅に追いやるのも不可能ではない。だが元哉はこの提案を却下した。
「そうしたいのは山々だが兵士たちに経験を積ませる上でも、また士気を高める上でも今回の緒戦は獣人たちに任せたいんだ」
元哉は先々のことを考えて獣人たちが例えさくらや元哉が不在でも自らの手で森の平和を守っていけるように今後とも鍛えていく方針だ。そのために今回の実戦は貴重な経験の場でもあった。実戦で学んだことを訓練でさらに鍛え上げていけば、獣人たちの部隊はこの世界でも最強の存在になることも可能だ。
「そうね、大魔王が兵士で対応できる所にわざわざ押しかけて行くのもおかしいし、元くんの方針に従うわ」
橘は自らの国に当て嵌めて考えてこの場はすんなりと引いた。元哉はしばらく考え込み今までのプランにいくつかの修正を加えて前線の部隊に指令を出し始める。
その夜、半月が夜空を照らし星は無数に瞬いている。だがそんな息を呑むほど美しい夜空に背を向けて、地面を這って進む一団が森の奥から草原を目指す。武器と背嚢を背負った背中には擬装用の草を植え込んだギリースーツを被って、周辺の草と一見すると見分けがつかない。顔も泥で黒く塗って闇夜の中で目立たなくしている。
彼らは当初の出撃地点から西に2キロ離れた場所から3つのグループに分かれて敵陣をを目指していた。最初の予定よりも移動距離が3倍以上になったが、誰一人文句を言わずに周囲を警戒しながら音を立てずに進んでいく。
教国の軍勢は焼け焦げた森から約500メートル離れた草原に点々と見張りの兵を配置して、その煌々と焚かれている篝火によって周囲に異変がないか監視をしていた。巧妙に配置された光源で動く物の姿がないか厳重な監視をしているのだった。
今回の夜襲に参加している獣人は猟犬部隊が200人と闇猫部隊が50人で、彼らは篝火で作り出される明るい場所のさらに外側を大きく迂回してゆっくりと静かに移動している。獲物に忍び寄るのは得意でも、戦場で敵陣に少数で接近するのは比較にならないほど緊張感が異なる。見つかるのではないかという恐怖心を押し殺して、気温が低いにも拘らず額にじっとりと汗をかきながら匍匐前進で小隊単位で進んでいく。
ジリジリと前進をすることおよそ3時間、全ての小隊が敵の見張りの目を掻い潜って本陣が見える場所まで到達した。煌々と焚かれる篝火のおかげで夜目を働かせなくてもその様子は手に取るようにわかる。
闇猫部隊が先に本陣の見張りを始末しに、矢を放つのに最も適した場所を求めて散っていく。3人一組になって同じ標的を同時に3本の矢が襲う手筈になっているので、各チームが自らの担当に向かって静かに近づいて伏射の姿勢でボウガンの照準を合わせる。
「撃て!」
小声の合図によって放たれた矢は歩哨の額や喉元を正確に射抜いて声を上げる間も無く彼らは次々に倒れていく。こちら側を向いている連中を倒したら、反対側の見張りに取り掛かっていく。
「見張りの排除完了」
闇猫部隊のリーダーからの通信が待機している猟犬部隊に伝えられると、彼らはその場で立ち上がって音もなく敵陣に忍び寄る。その内部に侵入すると彼らは毛布や外套に包まって寝ている敵兵の喉元に次々と短剣を突き刺していく。刺された敵兵はやはり声を上げる間も無く事切れていった。
約200人の部隊が敵の本陣を横断するように音もなく殺戮を繰り返していく。残酷なようだが、こうしておかなければ今度は自分たちや家族がこの兵たちに襲われることになるのだ。猟犬部隊の隊員たちも当然それが分かっており、一切その表情を変えることなく敵兵を屠っていく。闇討ちは卑怯だが、戦争は勝者だけが常に正しいのだ。
陣を横断しながら途中にある幹部の天幕に入り込んで、内部の人間も始末していく。侵入に気がついた者は誰も居なくて、それほど鮮やかな彼らの奇襲だった。とても訓練を開始してから2週間とは思えない、それほど獣人たちはこのような特殊戦闘において高いポテンシャルを持っていた。
頃合も良しとばかりに、ハンドサインで撤収の合図が示されて獣人たちは静かにその場を離れていく。跡には首を掻き切られた多くの教国軍の兵士の死体だけが残されていた。
次回の投稿は金曜日の予定です。