173 大魔王ここに宣す
「報告いたします。教国軍は森から一日の距離に到達いたしました。行軍の速度は予想通りでありますが、一つだけ気懸かりな点があります。隊列の後方に5頭立ての荷車で大きな物体を引いておりますのが確認されました。幌が掛けてあって正体はわかりませんが、四角い形で高さは2メートルほどであります。以上報告を終わります」
パークレデンスの本部に待機している元哉の通信機に森の外の草原に放った偵察部隊からの報告が入る。元哉はその報告にあった正体不明の物体が気になって、偵察部隊に可能な範囲で更なる調査を命じて通信を終えた。今回の戦いではまさかさくらに作戦指揮を執らせるわけには行かないので、元哉が全ての部隊を掌握して指揮を執っている。仮にさくらの指揮だと作戦は全て『ガンガン行こうぜ!』になって、結果的に教国に勝利したとしても味方にも大きな被害が出かねないのだ。
すでに森中に各部隊の配置を終えており、獣人たちは戦いの火蓋が切られるのを今か今かと待っている。本部には元哉たちのパーティーメンバーのうちで椿を除く全員が顔を揃えている。彼女は爆裂の術式を込めた矢の作製に追われて『疲れた』と言って部屋で休んでいた。彼女は魔王城の外の空気が吸いたくてやって来ただけで、元々この戦い自体に参加するつもりはない。自分の仕事が終わったら、いつものように引き篭もり生活に戻っている。
「全員聞いてくれ、あと一日で教国軍は森の入り口に到達する」
「兄ちゃん、ついに来たね! よーし暴れてやるぜ!」
元哉の話がまだ途中にも拘らず、さくらはソファーから立ち上がってコブシを突き上げているが、その反対の手にはしっかりとドーナツが握り締められていた。本当に獣人たちは彼女を王に選んでよかったのだろうか。それにしても食べている最中は話に参加せずにひたすら食事に集中しているのに、戦いの話となると耳に入ってくるのが不思議でならない。
「さくら、話は最後まで聞け! 戦いが始まるのは明日以降だからな」
「何だそうなんだ! つい気合が入り過ぎちゃったよ!」
元哉に窘められてようやく現実を認識したさくらは、再びドーナツに集中し始める。これでようやく正常に話し合いを行う準備が整った。話し合いの時のさくらはお菓子でも食べていてもらった方が丁度いい。
「元くん、それだけの報告にしてはずいぶん長い時間遣り取りをしていたけど、その他に何かあったの?」
さすがは橘だ。元哉の通信の様子を見ていただけで何らかの彼が気になる問題があったと理解していた。同じ姉妹として育ったのにこの差は一体何処から来ているのだろう? 『環境が人を育てる』などと主張する偉い先生が彼女たち二人を見たらどう思うか気になるところだ。
「ああ、隊列の後方に5頭の馬が引く頑丈な荷車に載せた四角い物体がいくつもあるそうだ。教国が新たに戦いに備えて用意した新兵器の可能性があると思ったんだ」
元哉は率直な感想を述べたが彼の第6感は正確に真実を見通していた。
「なるほどね、この所遣られっ放しの教国が何らかの対策を打ってきた可能性はあるわね。西ガザル地方から逃げ出した住民から私の存在やドラゴンの目撃情報が伝えられているとしたら、今回の戦いに私たちが関わっていると気がついて当然よね」
橘らしい分析だ。そのほかにも散々ドラゴンで上空から偵察を繰り返しているので、森に住む獣人たちに何らかの形で大魔王が関わっていると教国は判断していると思った方が良さそうだと元哉は考えた。事実こうして橘がこの場にやって来ているのだから、教国の判断は正しいと認めなければならないだろう。
「そうだな、橘が言うように教国は考えているとこちらは思って行動した方がいいだろう。出来れば早いうちにその物体の正体を確かめておきたいんだが、誰か偵察に出てもらえないか?」
「偵察? 行く行く! 私が行く!」
またまたドーナツを両手に持って今まさに頬張ろうとしたさくらが声を上げる。だから何で聞いてなくていい時だけ話を聞いているのか本当に不思議だ。
「却下だ! お前は王様なんだからここに居ろ!」
元哉から止められたさくらはがっかりとしてドーナツを丸々一個一気に頬張った。そのせいで喉に詰まり掛けて慌ててお茶を飲むと、今度はそのお茶が彼女の猫舌には熱過ぎて口から盛大に霧状に吹き出す。この娘は一人で一体何のコントをやっているんだろうか。
「さくらちゃんはもう少し落ち着きなさい! いいわ、偵察は私とディーナで行ってくるわ。ついでにその新兵器とやらをお土産に持って帰ってくるから待っていてね。ディーナ、今から行くわよ」
メイドたちがテーブルを拭くのを尻目に橘はディーナを引き連れてスタスタと部屋を出て行く。彼女はこの戦いに大魔王が参戦しているとはっきりと教国に宣戦布告をするつもりだった。
「元哉さん、いいんですか? 橘さんを行かしてしまって?」
ロージーが心配そうに元哉に尋ねるが彼は黙って頷くだけだった。元哉とさくらがこの場から動けない以上は彼女が出るのが最も意味のある偵察を行ってくる筈だというのが元哉の考えだ。当たり前の話ではあるが、大魔王はその力も頭脳も常に元哉の大きな信頼を得ているのだ。
メイドが操る馬車に乗って二人は門の外の飼育場に向かう。この飼育場も橘が造り出したもので、屋根つきの立派な建物とワイバーンや翼竜を放し飼いに出来る広大な森からなっている。橘が近付くと翼竜とディーナのワイバーンはその巨大な魔力を感じ取って入り口に近い辺りまで自分からやって来て待っていた。契約獣としてもうすっかり飼い慣らされているというよりも、橘の強大な魔力の言い成りになっている。
「大魔王様、姫様、行ってらっしゃいませ」
メイドの丁寧な見送りを受けて二人は颯爽と空に舞い上がっていく。橘の魔力を全開に受けて、ドラゴンに近い速度で2体は大空を飛んでいく。30分ほどで森を抜けてそのまま飛び続けると彼方に兵士たちの隊列が見えてきた。
「あれね、ディーナ付いていらっしゃい!」
橘は魔力で巧みに翼竜の飛ぶ方向を操作して、隊列の最後方にふわりと降り立った。対して教国の兵士たちは突然空からやって来た2体の魔物に右往左往してまともに対応出来ない。ドラゴン程ではないにしても翼竜やワイバーンは人間にとって恐ろしい敵だった。
腰が引けて今にも逃げ出さんばかりの兵士たちを翼竜の背中から睥睨して橘は拡声の魔法で全員に聞こえるように厳かに宣言する。
「獣人の森に攻め込もうと企てる愚かな人間たちよ、そなたたちに大魔王自ら告げる故によく聞くがよい。此度の戦い我は獣人たちに大義があると判断し彼らの側に立って参戦する決意を固めた。そなたたちは我によって滅ぼされる運命から逃れられぬことを思い知るがよい。すでにこの姿を見て怯えている哀れな者達よ、安心せよ! 今日は挨拶に来ただけだ、このまま死に向かって進む愚かな輩達の顔をわざわざ見に来てやった事を感謝せよ!」
日頃人前に余り出たがらない橘にしてはずいぶんと重々しい言葉がすらすらと出ている。実は彼女は以前ネタニヤの街を落とす際のディーナが作成した演説原稿が余りに恥ずかしかったので、もう2度とあのような目に会いたくないとミカエルと入れ替わっていたのだ。この所全く出番がなかったミカエルはノリノリで大魔王を演じて自信たっぷりに口上を述べ切った。
「撃てー、相手は憎っくき魔王だぞ。今ここで長年の恨みを晴らすのだ!」
教国の指揮官はたった二人で現れて『一体何者だ?』と思っていたところに、相手が『魔王だ』と名乗ったものだから、さっきまでの怯えた様子から打って変わって兵士たちに矢を放てと命令を下す。教国の民にとって魔王とは恐怖も忘れる程に心の底からの憎しみの対象だった。それはまるで行き過ぎた反日教育を行った結果自国の歴史教育が世界史との整合性を全く失ったどこかの国よりも、その教義による洗脳に近い魔王への憎しみだった。だがその矢は橘に届く前にシールドに阻まれて悉く地に落ちる。
「ふん、有象無象が寄り集まって、もう少しまともな戦いの一つでも出来ないものか! 全くこのような者たちを敵とせねばならない我も哀れなものよ。ディーナよ、軽く眠らせてやれ!」
「はい、大魔王様」
ディーナは軽やかにワイバーンから降り立つと、剣を抜いて魔力を込める。大魔王からは『眠らせるように』との命令だったので、威力は限りなく落として横薙ぎにその剣を振るう。
「雷光!」
彼女の剣から放たれたお馴染みの弱い電撃は瞬く間にその場にいた兵士たちを昏倒させた。たったの一撃で数十人単位で倒れていく。彼女が10連発で剣を振るうと、最後方を進んでいた部隊で立っている者は一人も居なかった。彼らは重たい荷物を運んでいたため他の部隊よりも足が遅くて前方とはかなり距離があったのだ。
「ディーナ、ずいぶん腕を上げたわね」
「まだまだです、橘様」
橘はミカエルと入れ替わって元に戻っている。彼女は久しぶりに見たディーナの魔法が以前よりも無駄な魔力が発せられる点が無くなって、非常に洗練された魔力の使い方になっているのを感じ取っていた。書類仕事に追われながらも魔法も剣術も練習を欠かさない彼女の努力が少しずつ実ってきているのだ。
「さて、ではこれを一台貰っていきましょうか」
橘は荷車に詰まれて幌を掛けてある物体に近づいてその姿形を確認しないまま一台をマジックバッグに収納した。全て奪ってもよかったのだがせっかく敵が用意した新兵器だ、使わせないのは無粋だし、さくらから『楽しみを奪うな!』という苦情が出かねない。
「橘様、一体何か確認しないのですか?」
ディーナはそれが何か見当も付かない様子だが、橘の方は大よそその物体の使用目的の心当たりがあるようだ。
「そうね、持って帰ってみんなの前で披露した方が楽しみがありそうだから、このままにして帰るわ」
彼女はそう告げると颯爽と翼竜の元に戻って飛び立つ準備を始める。ディーナもそれに従ってワイバーンに跨って2体は空に羽ばたいていく。
「はなちゃん、ディナちゃん、お帰り!」
「二人ともご苦労だったな」
大した手間ではないといった表情で時間もかからずに戻ってきた二人をメンバーたちが出迎える。僅かの時間に十分な成果を挙げて戻ってきた彼女たちだった。
「軽い挨拶をして来ただけよ、このくらいは感謝されるまでもないわ。それよりお土産があるからみんなちょっと離れてね」
お土産と聞いて何か美味しい物だと勘違いしたさくらが喜びかけたのも束の間、その場に現れたのは大きな荷車に積まれた四角い箱のような物体だった。
「ロージー悪いけどその幌を外してくれるかしら」
ロージーが硬く縛り付けられている縄を全て切って幌を取り外すとそこに現れた物は・・・・・・
「なるほどな、こんな物を用意していたのか」
「なんとなくそうじゃないかと思ってけどやっぱりね」
「何だ、食べ物かと思って期待しちゃったよ!」
どれが誰の意見かは賢明な皆さんならよくお分かりのはずだ。そこに置かれている物の正体が何か分かっている3人はともかく、ディーナをはじめとして残ったメンバーは鉄で出来た箱のようなこの物体の使用目的がさっぱり分からない。例外でフィオだけは『何か車輪が付いているけど・・・・・・』と思っているがそれでもそれが何か分からないようだった。
「これは一体何ですか?」
納得顔の3人の様子に堪りかねたディーナが全員を代表して元哉に尋ねると彼は笑って答えた。
「すまなかったな、俺たちだけで納得してしまって。これは戦車の原型に当たる物だろうと思う。戦車というのは俺たちの世界では結構ありふれた兵器で、この中に乗り込んで戦うんだ」
元哉の説明を聞いてもフィオ以外はチンプンカンプンできょとんとしている。日本での知識があるフィオも戦車などには縁遠い生活だったので、彼女がうろ覚えで知っている戦車と余りに形が違うため『これが本当に戦車ですか!』と目を丸くしている。
「何はともあれ教国が戦車を準備していたことが分かったからには、こちらもこれ以上の兵器を造り出すわよ」
橘の目は燃えていた。大魔王の威信に掛けてこれをはるかに凌駕する兵器を造り出すという意気込みに溢れている。そのためならば徹夜も辞さないと言わんばかりの雰囲気だ。その意気込みとは裏腹に再び激務が待っていそうな嫌な予感がしている魔法使い組は背中を冷たい汗が流れるのを感じていた。
次回の投稿は月曜日の予定です。