171 大魔王到着
エルモリヤ教国の侵攻が間近に迫った現在、獣人たちは森の中で厳しい訓練に明け暮れている。
「オオカミさんチーム(仮)は素早く後方を遮断して包囲網を完成させるんだ! アリの子1匹這い出る隙間も与えるな!」
「トラさんチーム(仮)とクマさんチーム(仮)は、一気に雪崩れ込め! グズグズしていると包囲が破られるぞ!」
元哉の指示で敵役の兵士を囲い込んで一気に反転攻勢に出る作戦計画に基づく演習が繰り返し行われている。森での行動に慣れた獣人たちは音を立てずに相手に忍び寄って、いつの間にか獲物の至近距離まで近付いてから仕留めるのが得意である。おまけに彼らは気配の遮断や察知に優れており夜目も利く。言ってみれば生まれながらの特殊部隊なのだ。
ただし彼らは個々の身体能力やスキルが高い分一人で突進して戦う傾向が強いので、集団戦というものを教え込むのに非常に時間が掛かった。与えられた任務の遂行を最優先にして、個人の手柄などは後回しにするという考え方が彼らには中々理解し難いものだった。はじめの内は役割分担を決めても勝手に持ち場を離れて暴れまわろうとする者が多数居たので、作戦や戦術の意味から教えて常に味方と連携をとる近代戦の手法を洗脳に近いレベルで元哉は獣人に刷り込んでいった。そこには人権など全く認めない容赦の無い手荒な方法が存在したのは言うまでも無い。この世界に人権団体が存在していないのは幸いなことだった。
この森に居る獣人たちは6種族で、狼人、熊人、虎人の他に犬人、猫人、狐人が種族入り混じって街や集落に住んでいる。元哉とさくらは種族ごとに部隊を編成して、その身体特性に合わせて各々に任務を割り振っていた。
元哉とさくらが直接檄を飛ばしながら鍛え上げているのは3種族で、熊人と虎人はその恵まれた体格と人族よりも遥かに高い身体能力で戦いの最終局面で敵に突入して殲滅する役割を期待されている。最も危険な乱戦に突っ込んでいく彼らには戦いが始まるまでにオーガの素材で製作した武器と防具が装備される予定だ。
それに対して狼人は猪突猛進型が多い獣人に在って例外的にチームで行動するのが得意だ。その特性を生かして、2個小隊規模で常に行動して他の部隊と連携しながら敵を包囲する役割が与えられている。包囲が完成したら、切り込む部隊の圧力に押されて逃げ出して来る敵を各個撃破する。
猫人と犬人の部隊は斥候及び敵の追跡と後方の霍乱が主要な任務で、現在ロージー軍曹に預けて別の場所で訓練の真っ最中だ。その他にもその身軽さを生かして夜襲や奇襲の役割を担う。特に猫人族は元哉が帝国で調達したボウガンで樹上から狙撃するスナイパー役にも抜擢されている。
狐人族は獣人の中では貴重な魔法を使用できる種族で、最も得意とするのは幻惑の魔法だ。幻を見せて敵を混乱させる時に彼らの能力は大変重宝する。100人程がソフィアとフィオの元で魔法の効率のよい使い方を学んでいる。
元哉たち一行が獣人の森に着いて今日で3週間が経過した。さくらは約束通り橘とディーナを迎えに魔王城までドラゴンで飛んでいって今日の夕方には戻ってくる予定だ。途中でドワーフの街にも立ち寄って、発注していた剣を受け取る手筈になっている。さくらが出掛けている間は元哉が何千人にも及ぶ獣人の戦士たちを一人で見るのだが、幸いなことに各小隊に一人くらいは戦術の理解が合格点レベルの者が居るので、彼らを下士官にして現場の指揮を執らせている。さもないと元哉の所に入ってくる通信だけで手が一杯に為りかねないのだ。
夕方になってパークレデンスの街の上空にドラゴンに引き連れられたワイバーンと翼竜が姿を現す。上空を何度か旋回してから最初にドラゴンがふわりと着陸するとその周囲に他の個体も橘の魔法によってゆっくりと地上に降り立った。彼女は以前『飛行機の事故は着陸時に多い』と聞いたことがあって、ならば絶対に事故を起こさないように下から適度な風を起こして浮力を失わずに低速で降り立つ術式を作り上げていた。何せ操縦が未熟なメイドたちも一緒なので万が一の事態が無いように彼女なりに配慮しているのだ。おかげでワイバーンや翼竜もドラゴン並みにふわりと着陸していた。
丁度戦士たちは本日の訓練が終わっていたので、疲れもなんのその戻ってきた王様を直立不動で出迎える。本当はヘトヘトにも拘らず王様の前でみっともない姿は見せられないと懸命に見栄を張っているのだ。
「みんな出迎えありがとうね! そこの翼竜に乗っているのが私の妹で大魔王のはなちゃんだよ! それからあっちの胸が大きいのが前の魔王の娘のディナちゃんだからね! 二人とも怒らせるとおっかない魔法が飛んでくるから気を付けてね!」
さくらがこの地に初めてやって来た橘とディーナを紹介すると『大魔王』というフレーズに兵士や住民の表情は引き攣っていた。彼らも物語の中に出てくる登場人物として魔王という存在を知ってはいたが、それが実際に目の前に現れるとその威圧感は半端ではない。子供たちは親の陰に隠れて泣きそうな表情をしている。
「でもみんな安心していいよ! 二人は一緒に教国と戦ってくれる強い味方だからね! それじゃあ今日は解散で、疲れている人はいっぱいご飯を食べていっぱい寝るんだよ!」
さくらの言葉に兵士たちはビシッと敬礼をして部隊ごとに食事と休養をとりに仮設の兵舎に戻っていった。住民たちは総出で行っていた兵士たちの食事の準備を放ぽり出してさくらの出迎えに集まっていたので作業の続きをしに戻っていく。何しろ5000人分の食事なので住民は手分けして何らかの作業を受け持っているのだ。その報酬として家族全員が暖かい食事を兵士たちと一緒に食べられるためみんな喜んで参加している。この大所帯を賄っている食糧の出所は鹵獲した教国の兵糧なのでさくらは気前良く大放出していた。
「さくらちゃん、いきなり大魔王なんて言うからみんなびっくりしていたじゃない! もっとほかに言い方があるでしょう!」
「そうですよ! 私なんか『胸の大きいのが』なんて言われて恥ずかしいたらないです!」
橘とディーナはさくらの紹介があまりにストレートすぎると苦情を申し立てるが、さくらは一向に頓着した様子が無い。自分の紹介はパーフェクトだったと信じているのだ。
「はなちゃんとディナちゃんは何を怒っているの? 素晴らしい紹介と私のナイスな王様振りをちゃんと聞いていたの?」
この返事を聞いて橘は全て諦める外無かった。神様になろうが王様になろうがさくらはさくらなのだ。へんな期待をするだけ無駄だと心の中で割り切っていた。
「そうね、さくらちゃんは中々いい王様みたいね。みんなさくらちゃんの姿を見るだけで嬉しそうだったし」
「うほほー! そうでしょう! さすが王様の先輩のはなちゃんはわかっているね! 先輩の王様として多少の意見は聞いてあげるよ!」
ずいぶん上から目線の物の言い方だが、生まれた時から一緒に育ってきた橘はすでに達観していた。『さくらは人の話を全然聞いていない!』この動かしがたい事実は今後おそらく一生変わらないだろうと。
「橘、早速で悪いんだがいつものように宿泊施設を造ってくれないか。俺たちは里長の家に世話になっているんだが、さすがにこの人数は無理だからな」
姉妹の話は結果的に何も生み出さないだろうと判断した元哉は差し迫った事情を説明して橘に寝る場所の用意を求めた。
「そうね・・・・・・ どうせならそんな当座の用を足す物ではなくて司令部と王としての執務も行えるような本格的な建物にしましょう」
すでに橘はアライン要塞をはじめとする様々な建造物を造り上げているので、この程度の建物はお安い御用だ。土魔法で一気に空き地に部屋数30はある豪邸を建てる。まるで地面から建物が生えてくるようなその光景に近くに居た獣人たちは何事かと驚いていたが、出来上がった建造物を見て彼らの驚きはさらに倍になった。
「内装と外装はこの街の職人を呼んで綺麗にしてね」
まるでコンクリート剥き出しのビルのような造りの3階建てのその建物に入っていく。まだドアや窓はついていないので早速明日用意しないとならない。
それでも元哉が収納していた旅をしている頃の家具類を2階に在るリビングに配置すると、一応人が住めるだけの部屋になった。冷たい外気が入ってくるので、この部屋と各自が寝る部屋だけ橘が魔法でガラスを作り出して窓のサイズに合わせて嵌め込んでいく。
隣の部屋はダイニングになる予定でここにも元哉がテーブルを取り出して椅子を配置するが、あいにく人数分には足りないのでリビングの椅子を足りない分だけ持ってくるしかなかった。
橘のお付のメイドたちはせっせと夕食の準備を始めており、マジックバッグから取り出した料理の数々が並ぶ。当然ながら誰にも呼ばれないうちから、さくらは勝手に席について全ての準備が整うのをまだかまだかと待っていた。
彼女の胃を満たすには生半可な量では足りないので、メイドたちはその分も考慮に入れて大忙しだ。大魔王専属の調理人が用意した食事を皿に盛り付けていくが、さくらの目の前に置かれた皿だけはその量が尋常ではなかった。軟らかく煮込んだ肉の大きな塊がドンと本来は数人で取り分けるサイズの皿に盛り付けられて配膳されるとさくらのテンションはマックスになっている。
「うほほー! 私のことが良くわかっていてくれて嬉しいよ」
全員が集まった瞬間に『いただきまーす!』と一声発して、それ以降全く無口でひたすら肉の塊と格闘するさくらだった。
食事が終わるとリビングのソファーに戻って、中央の低いテーブルに置かれた元哉手書きの地図を見ながらの作戦会議が始まる。
「教国は一両日中にも出発できそうな様子で準備を整えていたわ」
ここに来る間にもナバーロの街とその周辺を偵察してきた橘の見解だ。彼女の魔法で街ごと灰にしてもよかったのだが、教国と獣人たちの争いごとにそこまであからさまに大魔王が絡むわけにはいかない。この戦いの主役はあくまでも獣人たちなのだ。
「作戦はこの街の周辺にヤツらを引き込んで森の中で戦う予定だ。その方が獣人たちの力を100パーセント発揮できるからな。ただしここに来るまでにはいくつかの罠を用意してあるから、ヤツらは相当な出血を強いられることになるだろう」
元哉は森の各地に散らばる罠のいくつかを説明する。彼の見積もりではここまで来る間に教国の兵士たちは半分に数を減らしている予定だ。その他いくつかの確認をしながら話は続いていく。お腹いっぱいになったさくらだけは口を開いたままソファーで寝ていたので、仕方なく元哉は彼女の部屋に運んでベッドに寝かせた。冬が目の前に迫っていてかなり冷え込むため王様のさくらが風邪でも引いては大変だ。もっとも彼女は生まれてこの方風邪に罹ったことが無かった。『バカは風邪を引かない』を身を以って証明しているのだ。
今回の戦いの最大の当事者不在のまま、その話し合いは深夜にまで及んだ。
次回の投稿は水曜日の予定です。