170 ロージー軍曹
エルモリヤ教国のナバーロの街を襲撃した元哉とさくらは用が済んだらさっさと撤収して再びドラゴンの背に乗り込んだ。どうせ行き掛けの駄賃で襲撃したのだから、少しでも敵に損害を与えて侵攻のタイミングを遅らせることが出来れば上出来という最初からの考えだった。それでも予想以上に成果が上がって、駐屯地の倉庫を空っぽに出来たので、特にさくらは大した戦いをしなかった割にはご機嫌のようだ。
「兄ちゃん、このまま獣人の森に向かうからね!」
元哉の頷く表情を見て、さくらは念話でジグムントに森に向かうことを伝えた。ジグムントは森の場所がわかっているらしくて自らその方向に向かって飛行していく。
飛ぶこと1時間ほどで今まで教国内にあったものとは桁違いの規模を持つ、広大な森が鬱蒼としたその姿を現した。ドラゴンがゆっくり飛んで1時間ということは、ナバーロから森の最も浅い場所までは約100キロほどになる。ナバーロを出発した教国の部隊は5日も掛からないうちに森の入り口に到着するのだ。だからこそ準備の時間を確保するために、元哉とさくらは侵攻のタイミングを少しでも遅らせたかったのだった。
「兄ちゃん、このまま戦士たちの集結地点まで向かうよ!」
さくらはこの地を飛び立つ前に、オーガとの戦いを終えた戦士たちにはこの森で2番目に大きな集落のパークレデンスに集まるように指示を出していたのだった。この集落は元々の人口が約3000人の規模の街で、森の入り口から約50キロ奥に進んだ場所にある。彼女は元哉の助言もあってこの場所を拠点に教国を迎え撃つ腹積もりでいた。
「どうやら見えてきたな」
元哉の視界に森の中に突然そこだけ開けた場所が映る。2体のドラゴンがその上空を旋回すると空を見上げた獣人たちが大きく手を振る様子が伝わってくる。この前やって来た時も王様がドラゴンに乗って颯爽と空から来たことを知っていた獣人たちが、戻ってきた自らの主に対して心からの歓迎を示しているのだった。
2体のドラゴンがふわりと広場に舞い降りると森中の木々が大きく震えるような大歓声が一行を迎えた。獣人たちは皇帝オーガを見事に成敗した王様が『強国が攻め込んでくるかもしれない』との言葉を残して空に飛び立って行ったので、いつ戻ってくるのか、本当に戻ってくるのかと不安な日々を送っていたのだ。それがこの日、待ちに待った王様の姿をその目にしたのだから、彼らの熱狂振りは想像を絶するものがあった。大人も子供も続々と広場に詰め掛けて、声を枯らして大歓迎している。
「さくら、すごい人気だな」
「当然だよ兄ちゃん、私はみんなに愛される王様だからね!」
さくらには謙虚とか謙遜といった言葉は全くの無縁なものだ。だからこのような一体誰の事を指して言っているのかわからない言葉が口から飛び出す。その上、褒められるとどこまでも空高く昇っていく天然記念物並みのお人好しなので、こうして皆から歓迎されるとついつい気分も上々になってしまうのだ。
鳴り止まぬ歓声に応えてさくらはドラゴンの背中に立ってビシッとⅤサインを決める。
「みんな、王様のさくらちゃんが戻ってきたよ!」
「王様ー!」
「万歳! 本当に戻ってこられた!」
「おおさまー!」
ウサミミをピコピコさせてポーズを決めるさくらに森の住民たちの歓声は収まる気配を見せないが、これでは大事な話が出来ないのでさくらは首に掛けた橘特製のマジックアイテムで声を拡声してその場を静める。
「えー、これから大事な話をするから、みんなよく聞くように」
さくらが一体何を話すのかとその場にいる全員が顔を見合わせている。
「ここに来る途中で教国の様子を空から見てきたけど、どうやら近いうちにやつらが攻めてくるよ!」
「ウオーー! 俺たちの力を王様に見せてやろうじゃないか!」
「人族の連中を返り討ちにしてやれ!」
さくらの言葉に特に集結していた戦士たちから大きな歓声が上がる。中には自分の武器やコブシを天高く突き上げるものも大勢居た。
「全員静かに! 最後まで私の話を黙って聞けない者はこの場から立ち去っていいよ」
さくらの言葉に興奮してコブシを突き上げていた彼らは借りてきた猫のように大人しくなった。骨の髄まで王様の言葉に従うという意思を見せるが、さくらにとってはそれだけでは軍人として失格だった。彼女はもうこの場から自分の下で戦う者はどうあるべきかという訓練を開始するつもりだった。
「よく聞いてよ! 私と一緒に戦いたいというなら、今から地獄の訓練に参加してもらうからね。もしその訓練に最後まで耐えられれば、王様の軍に入れてあげる。だめなヤツは容赦なく切り捨てるからそのつもりでね! 返事はイエスかノーで!」
「サー、イエッサー!」
一糸乱れぬ返事が返ってきた。さくらにとってはこの時点では中々良い感触だ。彼女の脇でその様子を眺めている元哉は『さあ始まったぞ』とニヤニヤしている。果たしてこの場にいる全員が教国との戦いまでにどこまで使えるようになるか元哉としても楽しみだった。
「戦士はこのあと早速街の門の外に集合! 私が直々に訓練するからね! 街の偉い人たちは兄ちゃんから話があるから、どこか話が出来る場所に案内して! 以上、全員解散!」
さくらの指示に従ってすぐに行動を開始する獣人たち、元哉はソフィア、フィオ、椿の3人とともに里長の家に案内されて、事前の打ち合わせ通りにこの先の住民たちの安全を確保するための様々な段取りを手配する。
一方のさくらはロージーとともに門の外に出てこの地に集結した獣人の戦士5000人を目の前にしていた。一緒に連れてこられたロージーは『また私肉体労働ですか!』と不満な様子だが、さくらとしてはハイヒューマンの彼女の力もぜひ借りたいのでその意思はまるっと無視してこの場に連れて来ていた。
「うほほー! いっぱい居るねー! ロジちゃん、何か格好いい事言ってよ!」
「いきなり丸投げかい! さくらちゃん、まさか何にも考えていないんですか?」
「だって、兄ちゃんに任せようと思っていたら、お爺ちゃんたちと話があるってあっちに行っちゃうんだもん!」
さくらのまさかの態度にやっぱり来るんじゃなかったと後悔し始めているロージーだが、5000人をただその場で待たせるわけにも行かずに必死で過去の兵士の訓練の模様を思い出していた。
「まずはさくらちゃん、訓練担当の私と元哉さんの紹介をしてください」
「ああそうだね! さすがロジちゃん、いいところに気がつくよ!」
他力本願全開のさくらだ。本当に獣人たちはこのような人物を王に迎えて良かったのだろうかと、人事ながらロージーは心配になる。
「えーと、ここに居るロジちゃんと私の兄ちゃんが全員の訓練担当だから、しっかり言う事を聞くんだよ」
さくらの話に獣人たちは不満げな表情を浮かべる。王様直々に訓練をしてもらえると思って勇んで駆けつけてみれば、人族の若い娘が王の横に立って訓練を担当するらしい。果たして彼女にそんな実力があるのかもわからずに、素直に従えるはずもないといった表情だ。そんな空気が流れる中でロージーが口を開く。
「訓練担当のロージーだ! そこのお前、人族の若い娘の言う事など聞けるものかと思っているだろう! 私の言葉はここに居る王の言葉と同じだ。もし聞けないというならこの場を去れ!」
ロージーに指差された狼人族の青年は苦々しそうな表情を浮かべながら『従います』と答えた。
「ほほう、その表情は心から従っているとは思えんな。よろしい、お前好きな武器を手に私に掛かってこい。もし1分持ったらお前の好きにしろ!」
ロージーは心の中で必死に元哉の様々な言動を思い出して演技していた。決して彼女の本意ではなくてアホなさくらのために彼女なりに頑張っているのだ。
「うほほー! ロジちゃん面白そうな展開だね!」
人の気も知らないでさくらは一人で喜んでいる。自分の王国の兵隊たちのことなのにいい加減もここに極まれりだ。ただし実際の訓練に入ると獣人たちはさくらの恐ろしさをその身で味わうのだから、今は気のいい王様でも良いのかもしれない。
狼人族の青年が全員の前に進み出る。その手には短剣を持ち、自信有り気な表情で余裕さえ伺える。
「好きな時に掛かってきていいぞ」
ロージーは構えも取らずにそう告げると、全くの自然体で待ち受ける。両腰のナイフも短剣も使用する気はないようだ。
青年は全く構えも取らないロージーの姿を見て馬鹿にされていると思い頭に血が上った。彼は獣人ならではのしなやかで力強い肉体に物を言わせて、右手の剣を振りかざしてロージーに襲い掛かった。だがその剣が届く寸前に彼女の左手がわずかにブレたように見えたと思ったら、その剣は青年の手を離れて宙を舞っていた。そしてロージーはその左手の裏拳で彼の顔面を優しく薙いだ。
「グオーーー!」
青年は悲鳴を上げながら横にすっ飛んで、地面に体を打ち付けてピクリとも動かない。彼は狼人族の間では名の通った戦士らしかったが、その彼が成す術無くロージーに一瞬で敗れ去った事に獣人たちは生唾を飲み込んだ。
「今のでわかったかな? ロジちゃんは怒らすと結構怖いからね! それじゃあ全員私に続いて森を走るよ! 遅い人は後ろからロジちゃんがケツを蹴飛ばして回るから気をつけてね。それじゃあ元気よく行ってみよう!」
さくらの掛け声に続いて獣人たちが走り出す。もちろん彼女にとっては鍛錬にもならない遅いペースだったが、獣人たちにとっては追いかけるのがやっとのとんでもない速さだった。次々に落伍する者たちをロージーが蹴飛ばしながら追い立てる。その後延々3時間に渡るランニングを終えた時には、立っていられる獣人は一人も居なかった。
次回の投稿は連休という事もあり月曜日を予定しています。お楽しみに!